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おとなの手習い

2023.03.10 公開 ツイート

「おだいじに」「この薬を飲めばよくなります」くらい中国語で言いたくて 香山リカ

現在は北海道でへき地医療に取り組む香山リカさん。香山さんは、内科の基本を学ぶために大学病院の総合診療科で研修を始めたとき、「増え続けている中国人の患者さんたちに少しでも母国語で話しかけたい」という思いが高まり、語学スクールで中国語を習い始めたといいます。忙しい仕事の合間を縫ってスクール通いをする中で体感した、学びの楽しさと意外な効用とは――。

※この記事は、「もう中国語を学ばないわけにはいかない、私の理由(2020.02.29公開)」「まさかこんな中国語を覚えることになるとは(2020.03.14公開)」「ヨガよりマインドフルネスより中国語レッスン(2020.03.21公開)」を再編集したものです。

*   *   *

総合診療科にやって来る中国人の患者さんは、旅行者であったり、日本の親戚を訪ねて来日した人であったり、中には日本の企業や飲食店で働いていたり商店や会社を経営したりしている人もいる。日本語のレベルもさまざまで、日常会話にはまったく支障がない人から、同行の友人や親族の通訳を介さなければひとことも話せない人もいる。

(写真:iStock.com/ArkadiuszWagula)

私が属している大学病院には、中国語と日本語バイリンガルの職員がおり、どうしてもコミュニケーションに困ると、その人を呼ぶことになっていた。とはいえ、毎回、その人を呼び出すわけにはいかないし、連絡しても「いま病棟で中国人の入院患者さんの対応をしていて手が離せません」と断られることもある。

そうなると、明石家さんまさんのCМで有名になった通訳機「ポケトーク」や『医療者のための指差し会話・中国編』といった本の出番だ。また、あたりまえのことだが中国語は漢字を使用するので、筆談でけっこう切り抜けられることもある。

そういうわけで、中国人の患者さんの診療もだいたいの場合はそれほど問題なく進むのだが、やや大げさに言えば毎週ひとりはそういう患者さんに会う中で、私は思った。――ああ、ここで「おだいじに」とか「心配ないですよ。この薬を飲めばよくなります」くらい中国語で言えたら、旅行中などで心細い思いをしている中国人の患者さんは、きっと喜んでくれるのではないかな……。

実際にスクールに通い始めるまでは、なんだかんだと半年もかかってしまった。語学にくわしそうな知り合いに「どこの学校がよいか」と尋ねたり、「NHKのラジオ講座から始めようか」とちょっとやってみたりしたのだが、なかなか波に乗れなかった。

そこで「もうどこでもいいからとにかく通わなければダメだ、自力ではとてもできない」とようやくハラをくくり、ネットで適当に「中国語/教室/夜間」などと検索し、出てきた中でいちばん通いやすそうなところにメールをして、訪れてみたのだ。

そのスクールはさまざまなオフィスが間借りしているビルの中に、1坪ほどのレッスン室をいくつか借りているようだった。メールで指定された部屋に入ると、中はテーブルとイスとホワイドボード、きわめてシンプルだった。

そこに「こんにちは」と現れた先生は、30代だろうか、黒くて長い髪、大きな目、白い肌の韓国女優チェ・ジウを全体に小柄で清楚にした感じのステキな人だった。英語などの講師によくいる「ハーイ!」といったテンションの高いタイプではなく、もの静かな印象だ。私は最初から「もうどこかで習うしかないし、これ以上あちこち探すつもりもない」と思っていたのだが、この先生を見て「なんて感じがいい人なんだろう。この先生について行きます!」と心の中で勝手に弟子入りした。

そして、先生が「今日は体験レッスンですね」と言うのを、「いえ、先生。もうここに決めましたので、今日からふつうにレッスンお願いします」と制して、椅子にしっかりと座りなおしたのだった。

2年前の7月に、突如、中国語スクールに通い出した私。

いちばんの動機は、「増え続けている中国人の患者さんたちに少しでも母国語で話しかけたい」というものだ。授業の最初にそう伝えると、私の先生である朴先生は「そうですか。がんばりましょう」とほほ笑んだ。先生は中国生まれで教育大学を卒業したあと来日、日本の大学院で言語学の修士号を取った秀才だ。

 

端正な顔だちだが派手な印象はなく、初対面の人は「女性アナウンサーですか?」と言うかもしれない。さらには感情がいつも安定している感じで、大はしゃぎすることもなければ不きげんさを顔に出すこともない。私など、いいトシをしてすぐに「ええーっ! マジですか!? それは超ビックリ!」などと大きな声を出すことがあるので、中国語以外に“落ち着いた振る舞い”も先生から学んでいる。

(写真:iStock.com/TuiPhotoengine)

しかし最近、そのクールな朴先生がちょっと涙ぐむところをはじめて見た。

それは、新型コロナウイルスの感染の広がりを受けて、ジャッキー・チェンらが参加した応援ソングの動画をスマホで見せたときのことだ。17人の中国の歌手や俳優が歌うこの歌はコンセプトとしては「We Are The World」に似ているが、タイトルは中国名で「坚信爱会赢」。日本語訳つき(動画の一部は日本への感謝を表す内容に変更)もあるので、ぜひ見てみてほしい。

さて、タイトルの「坚信爱会赢」とはどういう意味だろう。

中国語をまったく知らなくても、「坚」は「堅」、「信」はそのまま、「爱」は「愛」を簡略化した字となんとなくわかるだろうから、「愛があれば何かが起きると固く信じている」というところまではすぐに予想がつくだろう。そして、これは新型コロナウイルスの話なのだから、「愛があれば乗り越えることができると固く信じている」ではないか、と推測することもできるはずだ。

そう、その通り。

中国語は漢字のみを使用する言語なので、私たち日本人は知識ゼロでもある程度、書かれた文章を読むことができる。私の場合、英語は何年勉強しても、新聞記事や論文を見せられてパッと内容を把握する、ということがまったくできない。ある程度、頭から一字一句を追って行ってはじめて、「ははあ、新しい抗うつ薬が出たけれどその効果には疑問の声もある、と……」と何について書かれた文章かを把握することができる、という具合だ。

ところが中国語の場合、「这个先生是非常好的上司」という文を見ると、一瞬にして「なんか誰かがいい上司だと言いたいのかな」とわかる。私はかねてから、「英語は何十年勉強してもサッパリ身につかず、一秒も勉強したことのない中国語の方がわかるなんて……」と情けなく思っていた。「よし、それならいっそ中国語の勉強をしてみようか」というのも、実は学習を始めた動機のひとつである。

それはよいとして、先のタイトルにもう一度、戻ろう。

「坚信爱」まではよいとして、「会」とは何か。これは中国語で英語の「can」にあたる言葉だから、直観ではわからない。そして問題は「赢」だ。これはカタカナにすれば「イン」と読み、日本ではまったく見ない漢字だ。

「病膏肓に入る」の「膏肓」を合わせたような、なんだか深遠な意味を持った漢字に見えるが、「試合などに勝つ」という意味で日常会話でもよく使う。とはいえ、あまりに覚えにくい。私の先生はこれが教科書に出てきたとき、「亡くなる口に月・貝・凡、と覚えれば簡単です」と教えてくれたが、そうは言ってもこの画数の多さを見ただけでギョッとしてしまう。

このように中には見たこともない漢字もあれば、「爱人」が「愛人」ではなく「妻、夫」だったり、と日本語とは似て非なる意味ということもある。いくら見慣れても「我的爱人」という単語を見るとつい「私の不倫の恋人」というのが頭に浮かぶが、もちろんこれは「ウチの家内」という意味なのだ。

話がずいぶん本題からそれてしまったが、やさしいがいつもクールな先生は、その応援ソング「坚信爱会赢」の動画を私が「こんなのがありました。ご存じですか?」とレッスンの冒頭で見せると、じーっと見入って「涙が出そうです……」とつぶやいたのであった。先生の家族は現在、アメリカを拠点に仕事をしているとのことだが、故郷の中国で感染症が広がり、みんなが必死で闘っている姿に当然のことながら、いろいろ思うこともあるのだろう。

先生は日本でも新型コロナウイルスへの警戒が強まる中、一時は「教室をしばらく閉めた方がいいかな」とも思ったそうだが、生徒らが「できればこれまで通り習いに来たい」と希望し、これまでのところ通常通り授業は行われている。私も中国から発信される情報をこれまで以上に切実に読みたいと思うようになり、「ぜひ続けてください」と頼んだひとりだ。

もちろん、約2年前に学習を始めたときは、まさか「新型冠状病毒的肺炎(新型コロナウイルス肺炎)」などという単語を覚えることになるとは思わず、診察室や旅行先での会話がちょっとできればいいな、と思ったのだった。

中国語で書かれたフレーズや文章を目にして大意をつかむのは、私たち日本語の使い手にとってそれほどむずかしいことではない。

しかし問題は、その読み方、発音の仕方だ。

意味は日本語と変わらなくても、読み方は日本語とはまるきり違う。最近は駅の構内放送などで日本語、英語、中国語、韓国語のアナウンスを流すところもあるが、とにかく中国語は勉強したことがないと何ひとつわからないのではないか。韓国語の方がまだカタカナ用語など日本語と共通するものがあり「おっ」と耳に残る言葉があるが、中国語にはそれもない。

(写真:iStock.com/joxxxxxjo)
 

たとえば、「我是日本人」と見るとすぐに「私は日本人です」と理解できるが、これを読むとなると「ウォシィーリーベンレン」となり、「ワレ」も「ニホン」もまったく出てこない。しかも、この「シィー」や「リー」「ベン」「レン」は日本語の発音にはない音で、このままカタカナ読みしてもおそらく通じないだろう。「自分は日本人です」と自己紹介する段階で心が折れそうになるのだ。

そしてさらに、大学の第二外国語で中国語を取った人たちはわかっていると思うが、中国語には同じ「アー」でも声のトーンで意味を使い分ける「声調」というものがある。それが一声から四声まで四種類あり、「アー?」と上げるように言うのと、「アーア……」という感じで下げるように言うのとでは、それぞれの漢字がまったく別で、異なる意味になってしまう。私も2年近くたった今でも、教科書を音読する途中で先生に「三声!」「二声!」と何度も注意される。

レッスンは毎回1時間だが、私にとっては毎回7分くらいに思える。テーブルとホワイトボードだけの一坪ほどの小さなレッスン室に入ったが最後、ずっと頭をフル稼働し、緊張感を持続して集中し続けなければ頭が真っ白になって、すべてを忘れそうになるのだ。

これは久々の体験だった。「ふだん診察では緊張してないのか」と言われそうだが、診察場面では、もう30年も続けていることもあり、自分をモニターするくらいの余裕がないと正しい判断ができない。患者さんの話を「そうですか。そんなたいへんなことが」と身を乗り出して聴きながら、どこかで自分を眺める自分もいて、「ちょっと感情移入しすぎ。このへんで視線をパソコンのモニターに移して距離を置いて」などと指示を出している。

ところが、中国語ではそうはいかない。その緊張感の8割は、文法や読解ではなくて、ひたすら日本語とはまったく違うその読み方によるものだ。とくに先生の言う簡単な指示(「次の例文を読んでください」とか「練習問題に答えてください」など)も、全力で集中しないとまったくわからない。

何度も繰り返すが中国語には日本語、あるいは英語と同じ発音をする単語が皆無なので、「ステーション……あ、電車や時刻表の話だな」という手がかりがないのだ。大げさに言えば、何かを中国語で突然、話しかけられたときに、それが天気の話なのか、おいしい餃子屋の話なのか、それともカゼを引いて休んだという話なのかを判断するにも、これまでの人生で一度も耳にしたことのなかった音の羅列から単語をなんとか浮かび上がらせ、推察するしかないのだ。

そうやって中国語を理解する作業じたいは、とても興味深い。自分の脳の中のこれまで使ったこともなかった場所を稼働させている感じがする。

ヨガのインストラクターや自律訓練法を行うカウンセラーが「ゆっくり息を吐いて、心やからだにたまったイヤなものを全部、いっしょに外に出してしまいましょう」と誘導することがあるが、私にはそれがなかなかできない。「息は息」という感じで、脳の中はいつも小さい悩み、迷い、怒りなどでいっぱいのままだ。

ところが、中国語のレッスンでは、そんな雑念に気を取られたら最後、目の前の先生が話す言葉がまったく無意味な音の羅列にしか聞こえなくなる。そのため、手に汗を握りながら聴き取りと発音に過集中して1時間のレッスンが終わったあとは、頭がやけにスッキリしているのを感じる。私にとって中国語は、ヨガや自律訓練法などより“効く”、脳のクリーンアップ、心のケアになっているのだ。

しかし、中国語を学び始めて困っていることもある。それは、いま勤務している大学の大学院には中国からの留学生が大勢いるのだが、日本語で授業を受け、論文を書いている彼ら彼女らに対する尊敬の念が大きくなりすぎてしまう、ということだ。さらに院生たちは英語やフランス語の文献なども読み込んで、それを日本語のレジュメにまとめて発表したりもする。

私は内容よりもまず、「これってまず英語を中国語に訳して、その中国語を日本語にするの?」など、翻訳のプロセスの方に関心が向いて尋ねる。すると彼らは「どうしてそんなこと尋ねるの?」と言いたげに、「いろいろですよ。英語から日本語にすることもあるし、ちょっと中国語にすることもあるし」などと言う。私には「似て非なるもの」としか言いようがない日本語と中国語の両方を難なく使いこなす院生たちが天才のように見えて、つい採点の評価が甘くなりそうなことがあり、「いかんいかん、それとこれとは別」と思うのである。

残念ながらこれを執筆している時点では、日本と中国は「感染拡大の防止」という名目のもと、旅行などでの行き来がほぼ不可能になっている。とはいえ、必ず新型コロナウイルスの蔓延は収束に向かい、また旅行や勉強、ビジネスなどで人が両国間を往来する日が来るはずだ。坚信爱会赢。愛があればこの試練に勝てると信じてる。その日のためにも、そして私の週に1回の脳内クリーンアップのためにも、クールな先生のもとで中国語をがんばりたい。

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香山リカ『ノンママという生き方 子のない女はダメですか?』

ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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