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2021.04.24 更新 ツイート

伊是名夏子さんから学んだ「読書の真髄」 香山リカ

今回は、コラムニストの伊是名夏子さんから「読書の真髄」を学んだという話を書きたい。

そう言うと、「え、伊是名さんってあの」と思う人もいるかもしれない。電動車いすユーザーの伊是名さんは、いまブログの内容がネットメディアやニュースに取り上げられ、大きな社会的注目を集めている。それは「読書の真髄」などとはほとんど関係ない。静岡県のJR来宮駅を利用しようとしたところ駅員から断られた、という自身の経験をベースに伊是名さんは、4月4日付のブログで障害者の移動のしにくさについての問題提起を行ったのだ。

 
伊是名夏子さん(写真:​佐藤健介)

そのブログやそれを取り上げたネットメディアに寄せられたおびただしい意見には、伊是名さんへの反論や批判、中には伊是名さん自身への誹謗中傷なども含まれていて、私は心から驚いた。個人的には、伊是名さんの問題提起には「もっともだ。早くエレベーターを設置するなど、障害のある人も駅や電車をスムーズに利用できるように整備すべき」としか思わず、それ以外の意見があるとは夢にも思っていなかったからだ。

そして、個人的にもうひとつ驚いたことがある。3月13日の伊是名さんのコラムで、私は冒頭に記したように「読書の可能性」についての気づきを得て感銘を受け、この連載でも紹介しようとしていたいたからだ。

だから今回は、あえてJR乗車拒否の件には触れず、その3月のコラムの話をしたい。

それは、『HUFFPOST』に載った「『障害者と結婚なんて、大変そう……』 夫と私を苦しめた『〇〇なんだから』の思い込み」というタイトルのエッセイだ。

エッセイの冒頭で、伊是名さんは自らの障害についてこう説明している。

私は生まれつき、骨の折れやすい障害があり、車いすで生活しています。身長は100㎝しかなく、できないことも多いので、福祉制度を利用しており、1日10時間ヘルパーさんが来てくれます。

2010年に伊是名さんと結婚式を挙げるとき、夫は両親、親戚から大反対を受けたという。理由は、障害のある人との結婚で苦労し、不幸になると思われたからだそうだ。友人、同僚もだいたい同じ反応。

その後、ふたりの子どもを出産した伊是名さんは、家族である夫には必要以上に自分の介護を担わせないよう、できるだけヘルパーや看護師の助けを借りて「夫に頼りすぎないように」と思って生活をした。それは自分のことだけではなくて、育児に関しても同様だったので、次第に夫は“かやの外”の状態になっていったようだ。

「夫と向き合いたい」と悩む伊是名さん。

「えっ」と私が驚いたのは、その先の展開だった。私はこの箇所まで読んだとき、こんな安易な予想をした。

――たぶん、「子どもたちからの励まし、それが夫との話し合いの背中を押してくれた」という話かな。いや、同じ障害のある先輩に会いに行って、「伴侶を大切にしなさい」と叱られたのかな……。

しかし、それは完全に間違っていた。次の段落の冒頭の小見出しが、すべてを物語っている。

私を救ってくれたもの。それは本からの知識だった。

なんとかしなければ、と思った伊是名さんは、さまざまな本を読みあさる。しかもそれらの本は、決して専門書や学術書ではなく、ちょっと本が好きな人なら知っている本、すぐに書店で手に入る本ばかりだ。伊是名さんが「読んで救われた」という本をあげてみよう。

よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』(清田隆之著、晶文社)
きみは赤ちゃん』(川上未映子著、文春文庫)
母ではなくて親になる』(山崎ナオコーラ著、河出文庫)

伊是名さんは、こういった本を読み、自分に起きていることは「よくあることだと知った」、客観的に「自分を顧みることができた」と言う。そして、こういった知識や情報、それを得ることが「私を変えてくれ、救ってくれたのです」と強調するのである。

とくに、男性側からの自省的なジェンダー論である『よかれと思ってやってたのに』を読み、伊是名さんの態度は劇的に変わる。その箇所をブログから引用させてもらおう。

夫が悪いというよりもこれは男性によくみられるパターンだと考えられるようになり、彼を責め立てるよりも冷静にその行動を見ることができるようになりました。時には「でた! 男性によくあるパターン」と笑うことができるようになったほど

これは、心理学で言うところの「セルフモニタリング」という態度だ。自分や他者の言動を第三者の目で客観視し、相対化したり類型にあてはめたりすることで、「なるほど。あのパターンね」と感情的になるのを防ぎ、冷静に対応することができる。

もちろん、いつもこうすればいいというわけではない。昔、精神科医のエッセイを読んでいたら、精神科医夫婦がケンカをして、夫が「キミはいま、親の問題を僕に投影して同一化し、怒りを増幅させているんだね」と解説してしまったのだそうだ。そのときの妻の答えがふるってる。「なに言ってるの! マジメにやってちょうだい!」。つまり、真剣にひとりの人間どうしとしてケンカをしているのに、職業モードで客観視されるのは、妻にしてみれば「マジメではない」と考えたのだ。お互い仕事や立場など忘れて、感情丸出しでケンカに没入してもらいたい、という妻の考えはおおいにわかる、とそのときは思った。

とはいえ、どんなときも感情に溺れていればよい、というのもまた違う。話がズレるが、最近のコロナでは不安や心配がかき立てられたり、今度はそれを否定したりするような情報が飛び交っており、感情的に右往左往しているとストレスでやられたり、もっとひどい場合は誤った情報に支配されてコロナ感染に近づいたりすることにもなりかねない。「私はいま、不安のあまりおかしな情報に飛びつこうとしているのではないか」というセルフモニタリングは必須だ。

そして、肝心なときに自分を客観視できるようにするためには、まさに伊是名さんが言うような「知識や情報」が必要であり、質の良い知識や情報を与えてくれるものこそが本、ということになるのだろう。私はこのエッセイこそ「読書の真髄」について書かれたものだと思い、新年度に使う学生の教材に加えたのだった。

最近の学生を見ていると、どちらかといえば「本で得た知識」より「実際の経験」や「誰かから直接聞いた言葉」を重視する傾向がある。たとえば、読書よりもYouTubeなどの動画で政治や歴史などについて学ぼうとする学生も多いが、それは読書が面倒くさいからというより、もしかすると「作家や学者が顔を出して自分の声で語ってくれることの方が、より役立つし信用がおける」と思っているからではないだろうか。

私たち年長者は、若者が「YouTubeで見たので」と動画を自己の主張の根拠にするのを笑い、「なに言ってるの。根拠にあげるなら本にしなさい」と言うが、彼らにしてみれば「本なんか著者の顔も見えないし、無責任に書かれただけじゃないか」とでも思っているのかもしれない。

しかし、言うまでもないことだが、ともすれば過剰な演出が施され10分間くらいの短い時間にまとめられた動画と、長い時間をかけて紡ぎ出され、実証的な内容であればそれぞれの論拠についての確認もなされているはずの本とでは、奥行きも広がりも後味として残るものもまったく違うはずなのである。

おそらく、つらい気持ちになった伊是名さんはいくら癒し系の動画や「人づき合いのコツ」といったノウハウの動画を見たとしても、根本的に救われることはなかったはずだ。先にあげた3冊は、いずれも定評ある書き手による本だからこそ、伊是名さんは納得し、自分の夫への態度や感情をセルフモニタリングし、これから先どうしたよいかについても考えることができるようになったのだ。

さて、私自身、最近そういう読書体験をしただろうか、とわが身を顧みる。最近はもっぱら診察現場で使う診断学の教科書やコロナ後遺症に関する論文などを読むことが多く、ゆったりと読書をしてないな、と思う。カズオ・イシグロの新刊『クララとお日さま』(早川書房)は読んだが、「意識を持つAIというテーマなら、その先駆として楳図かずおのすばらしい作品があったはずだ」と思い出し、『わたしは真悟』(小学館文庫)全7巻を買ってつい一気読みしてしまった。

ピンチに陥ったとき、まわりに助けてくれる友人や先輩がいなくても、同じような経験をした助言者がいなくても、本が自分を救ってくれるかもしれない。

このメッセージは、多くの人を励ますものだと思うのだがどうだろう。そして、私もまたそんな本が読みたいし、できれば誰かをちょっとでも救ったり窮地から助け出したりできるような本を書いてみたい。そんなことを思ったのであった。

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ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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