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おとなの手習い

2021.07.31 公開 ツイート

オリンピック後、ひとかけらの希望は残るのか? 香山リカ

(写真:iStock.com/Taa22)

東京オリンピックが始まったが、いつもの五輪のようにテレビで観戦してひいきの選手を応援するだけというわけにはいかず、多くの人と同じようにいろいろなことを考えている。

ひとつは、コロナの感染拡大がこれ以上、進んだどうなるんだろう、ということ。そして、もうひとつはオリンピックそのものことだ。

 

コロナに関しては、高齢者や医療従事者ではワクチンの接種がほぼ終わっているものの、若い人の接種は“道半ば”。さらに、ワクチンの供給が止まってしまい、私が定期的に手伝いに行っている自治体の会場からも「接種のめどが立たないので8月で終了します」という連絡が来た。

まだワクチンの接種が予定通りに進めば、変異株の感染拡大との“レース”を危機一髪、逃げ切れるのではと思っていたが、秋以降、ワクチンを受けられないまま若い層がバタバタと倒れる可能性もあるのではないか。頭の中に昔見た「氷河期を乗り切れずに息絶える古代生物たち」の絵が浮かんでは、「いけない」と消し去ろうとしている。

でも、「ワクチン接種終了のお知らせ」は私個人にとっても意外なダメージとなった。そのメールを見た瞬間は、正直言って「週末の朝から夜までを奪われるのはけっこうしんどかったから、もう行かなくてよいなら助かった」と安堵する気持ちがあった。募集があったときに勇んで手を挙げたのはよいのだが、土曜や日曜は私にとってたまっている原稿を書いたり読書で新しい知識を仕入れられたりする貴重な時間だ。毎週ではないとはいえ、それが定期的になくなることで、すでにいろいろと仕事に支障が生じていたのだ。「9月からは土日にしっかり執筆や勉強をしよう」と自分に言い聞かせた。

ところが数日たつと、別の感情が芽生えてきた。それは、ワクチン接種会場に行くことで、「私は少しでも感染拡大防止に貢献できている」と思っていたそのよりどころがなくなる、という無力感であった。コロナ病棟で実際の感染者の治療にあたっているわけではない私にとって、ワクチン接種への協力はひそかな自分の支えになっていたのかもしれない。

そして、もちろんオリンピックそのものをめぐっても、いろいろと考えることがある。とくに今回は、直前になって、女性蔑視発言、障害者へのいじめ加害の自慢げな告白やユダヤ人虐殺をお笑いのネタにしたという過去の発覚などで、関係者が次々、辞任、解任で姿を消していった。その後も、開会式に出演予定だったアフリカ人ミュージシャンが突然、キャンセルされたことや、プレスセンターにイスラム教徒のための礼拝所やハラル食の用意がないことなどもわかり、ひとことで言えば「人権」への配慮が著しく欠如しているがために、さまざまな問題が起きている。

私自身は1960年生まれで、小学校時代、繰り返し「平和」や「平等」の大切さを教えられた。それは担任となった教師たちの個人的な考えというより、その時代の特性だったのだと思う。歴史社会学者の山本昭宏氏の『戦後民主主義 現代日本を創った思想と文化』(中公新書、2021)では、上野千鶴子氏との対談で評論家の大塚英志氏が語った言葉が紹介されている。

「僕が自分の根拠として見いだすところの『戦後民主主義』は、まさに僕が育ってきた環境そのものをいいます。もっと限定していえば、戦後の義務教育を基盤にした教育制度や、知の大衆化をもたらしたメディア環境です」

さらに、著者は評論家・坪内祐三氏の言葉も引く。

「私は『戦後民主主義』という言葉の八割に偽善性を、つまり平等という名を笠にきた無責任なものを感じながら、残りの二割に、機会は全ての人にその人の性格や能力に応じて平等に開かれているという、明るく前向きなものを感じている」

大塚氏、坪内氏はいずれも1958年生まれだから、私とほぼ同世代と言ってもよいだろう。いずれにしても私たちの世代は、私のように北海道であっても大塚氏たちのように東京であっても、同じように「いちばん大切なのは民主主義」だと教わり、より具体的には平和、平等、そしてそれぞれの人権の尊重などを説かれ、反対に戦争やそこで生まれた侵略、虐殺などは“絶対悪”だと習って育ったのである。

もし私がそのとき高校生だったら、坪内氏のようにそこに偽善性のにおいを強く感じ、反発しようとしたかもしれない。いや、実は小学校高学年になった私は「先生の言うことはきれいごとなのではないか」と疑問を抱き、田中角栄氏の『日本列島改造論』などを読んで「みんなの話を聞いていてはキリがない。強い権力を持った人が強引に政策を進めることも必要なのではないか」などと考え、親に頼んで田中氏の札幌での講演会に足を運んだこともあったのだ。

とはいえ、しょせん小学生が考えることには限界があり、そのうち“角栄熱”は冷めていった。そして、結果的には「平和、平等、人権を基本とする民主主義の尊重」が私の基本OSとなったまま10代を終え、20代、30代と年齢を重ねていった。その途中で、「女性の人権」「LGBTの人権」などそれぞれの属性ごとの人権回復を求める動きが高まったが、それは「社会の進化」の一過程なのだとごく自然に受け止めた。

ところが、40代から50代になる頃、つまり21世紀にさしかかる頃、私は世の中の雰囲気が大きく変わるのを感じた。もっとも大きなきっかけとなったのは、2002年の日韓共催ワールドカップだった。小学生時代、私の担任は「戦争時代、日本の国旗は軍国主義の象徴として使われた」といった話を繰り返しし、学校では式典でも国旗掲揚は行われなかった。もちろん、いろいろな場面で「日の丸」は目にしておりとくに悪い感情があったわけではないが、「要注意」という意識はあった。

それが、02年のワールドカップでは応援のときに顔に日の丸ペインティングをしたり配られたミニ国旗を振ったりする若者が現れた。また、とくに共催国でありながらライバルであった韓国チームを強い口調で非難したり、そこから派生して韓国人や韓国全体について否定的なことを言い出したりする人も出てきた。

当時はすでにインターネットが普及しつつあり、そういった言葉はあっという間に拡散されていった。さらにその非難や悪口は日本に住む在日コリアンにも向けられ、「彼らにはさまざまな特権が与えられている」というデマとともに、ネットにはいわゆるヘイトスピーチがあふれ返っていったのである。

最初、それを目にしたとき、私はひたすら驚いた。「平和、平等、人権の尊重」は戦後の最終解答であり、その価値が揺らぐことはない、とあまりにも素朴に信じ込んでいたからである。それは決して最終解答などではなく、しっかりと守り続け伝え続けなければ簡単に失われるものだったのだ、と気づいたとき、私はすでに50代になっていた。そして、そこからは社会的弱者と呼ばれる人たちへのサポートや外国人や障害者などいわゆるマジョテリティとは異なる属性を持った人たちへの配慮などを活字や講演、あるいは授業などで積極的に語るようにしてきたが、はっきり言って「ときすでに遅し」の感があった。

なぜなら、そのときすでに「人権」というワードじたいがすっかり「社会の敵」と見なされる雰囲気ができ上がっていたからだ。

私が「あらゆる人の人権をもっと尊重しよう」と主張すると、それだけで日本への批判、否定に聞こえてしまうのか、「反日、売国奴」「日本の足を引っ張るな」「そんなに日本が嫌いなら出て行ってください」といった誹謗中傷が大学の郵便箱や公開しているメールアドレスに押し寄せるようになった。自治体から講演を頼まれても、その情報が公開されると、「この人は日本をおとしめる危険な人間です。税金を使っての講演には反対です。もし実行するなら安全は保障しません」といった電話などが寄せられ、ここ数年だけでも何度も企画が取りやめになった。

「平和の祭典」であるオリンピックの東京開催が決定した2013年は、毎週のように街頭でのヘイトスピーチデモが繰り返されていた頃だ。「〇〇人は出て行け」「ウソツキ〇〇人は許さないぞ」などおぞましい差別煽動発言がプラカードに描かれ、シュプレヒコールで叫ばれる。書店には嫌韓、反中と呼ばれる書籍が並び、それらの内容を語るコメンテーターがテレビなどにも出演して大人気を得るようになっていた。しかも、その中には時の内閣のメンバーなどの権力者と親しくつき合い、それをSNSなどで吹聴する人もいた。

戦後、きれいごとであり偽善的であったかもしれないが、日本の社会がまがりになりにも大切だと考えてきた「平和、平等、人権」が猛スピードで失われる中で、オリンピック招致が決まったのだ。

それから8年。いくらなんでも為政者たちも「オリンピックを開催するのだから、もう一度、社会の基本的価値を見直そう」と考え直すのでは、という私の淡い期待もむなしく、時間はいたずらにすぎた。「『人権』などと口にする人はうさんくさい」という雰囲気も変わらないままで、私への誹謗中傷メール、電話も定期的に続いている。

一方で世界はまったく逆の方向に動いている。Me Too運動やBLMに象徴されるように、さまざまな属性を持つ人たちへの人権が傷つけられると、当事者やサポーターたちが大きな声を上げ、実際に制度が変わることもある。もちろん、まだまだ問題は山積みだが、あらゆるところで「人権の問題は最優先で解決されるべき」という問題意識が共有されつつあると言ってもよい。

その中で日本だけが取り残されたまま、オリンピックの開幕を迎えた。直前になって関係者の問題が発覚して辞任したり、大会中にも問題が海外メディアから指摘されたりしているのは、冷めた言い方かもしれないが当然、予想されたこととしか言いようがない。

オリンピックが終わったあと、日本社会はこれをどう総括するのだろう。「やはりこのあたりで本気で考え直さなければ」となるのか、それとも「理解してくれない方がおかしい。こっちは一生懸命にやったのに」と態度をさらにかたくなにして世界に背を向けるのか。

もし後者だったとしたら、もうこの社会にはひとかけらの希望もないことになり、そのとき私はどうしたらよいのか。オリンピックを見ながらそんな悲観的な“未来予想図”を描かなければならないのは、あまりにも残念な話ではある。

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ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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