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おとなの手習い

2021.07.03 更新 ツイート

ワクチン接種会場で気になってしかたないこと 香山リカ

(写真:iStock.com/Irina Lev)

自分のこだわり。自分の「ねばならない」。それがあるとしたら、なんだろう。そんなことを考えた。

きっかけは、何冊かの本を読んだことだ。

 

まずは、食文化ジャーナリスト・阿古真理さんの『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』。本サイト内で書評も書かせていただいた

タイトルからもわかるように、阿古さんは職業柄、当然、食べることや料理に強いこだわりを持っていた。基本的に、食事は手作り、材料は旬のもの、ふらりと外食なんてとんでもない。夫に「そうしなさい」と言われていたわけでもないのに、そんな“決まり”を阿古さんは自分に課していたようだ。

それが、30代後半で思いもかけずうつ病になり、すべてできなくなる。おなかはすくが、買い物に行けない。料理もできない。ふつうなら「じゃ、出前かコンビにで」となるところだが、さまざまな“決まり”に縛られた阿古さんには、それじたいがとんでもなく苦痛なのだ。しかし、うつ病の治療の効果があらわれて少しずつ回復していくにつれ、「毎日、手作りじゃなくていいんだ」「近所で外食をしてもいいんだ」とこだわりから解放されていく。そして、本当の意味での食べる楽しさ、作る楽しさを手に入れ、いまではまた手の込んだオーブン料理などにもチャレンジしているという。

私は料理が得意ではなく、食へのこだわりもあまりないので、食事はとにかく簡単に短時間ですませるクセがついてしまった。とくに平日は、大学の授業と診療所での診察が続く日が多いのだが、その点、東京は便利で、駅ナカのお店に女性がひとりで入ってそばやパスタを大急ぎで食べても誰も気にしない。昼食も夕食もそんな感じですませる日が続く。もちろんコンビニも多用。「毎日手作りじゃなきゃ」という“決まり”で生きている人から見たら、およそ信じられない食生活だろう。

そして、もう一冊は、人気インスタグラマーだった著者が過酷なダイエットを始めてからやめるまでを描いた『ぜんぶ体型のせいにするのをやめてみた』。この著者もまた、「体重を落とさなきゃ」というこだわりにとりつかれ、「チーズを食べてはいけない」「1日30分以上の有酸素運動をしなければならない」といったさまざまな“決まり”にしばられて日々を生きる。

しかもこの著者の場合、そういったダイエット生活の様子をイラストにしてインスタグラムに投稿することによって、フォロワーが増え、「楽しみにしてます」「かわいい」といった肯定のコメントがたくさん寄せられる、という“成果”も得られた。そうなると、ほかの話題を投稿したりダイエットを中断したりするわけにはいかなくなる。

著者はこう書いている(「プー子」というのはアカウント名だ)。

私の自己肯定感はプー子により形成され、プー子が存在するインスタに依存してしまったのです。
投稿に寄せられる「いいね!」や「保存」の数は、ただの数字に過ぎないのに、自分の価値のような気がして、そればかりを求めてしまいました。

手段がダイエットではなくても、同じ状態に陥っている人は大勢いるだろう。「料理は手作りで」の阿古さんは自分の中の“決まり”にこだわっていたのだが、「プー子」の場合の“決まり”は、何万人ものフォロワーからの期待にこたえなければ、という外部との関係へのこだわりだ。そうなると、自分ひとりの決意だけではなかなかやめられなくなる。

結局、この著者は恋人の支えもあって少しずつダイエット生活から抜け出ていけるのだが、診察室にはそれができないまま、拒食症と過食症を繰り返す人たちもやって来る。その人たちは、「いまの体重だけが私の自信。これで体重が増えたらなにひとつ自分の支えになるものがない」と決まって口にする。

私はそういう人には、「では、いまは拒食や過食を治そうとは思わないようにしましょう。それはいったんカッコに入れておいて、そのほかに楽しめそうな趣味やできそうなボランティアを探しましょうよ」と話すことがある。ダイエット生活以外に“居場所”や“足場”が見つかることで、「ダイエットだけが私のよりどころ」というこだわりを手放せるはず。それを狙ってのことだ。

とはいえ、一度、ダイエットが成功した人ならわかるはずだが、体重計に乗って「3キロ減ってる!」と思ったときに匹敵するような快感は、ほかのことではなかなか得られない。趣味やボランティアで得られる「私はここにいていいんだ」という自己肯定感は、もっとじんわりしたものだからだ。

もちろん、その方が長続きするのだが、体重計に乗るときのスリル、そして前より減った数字が表示されたときの「やった!」という鋭い喜びの感覚には、麻薬か何かのような作用があり、それを断ち切るのはむずかしい。そして現在は、「プー子」のようにそれをSNSに書くことでつく何千、何万という「いいね!」がさらなる快感を生む。

――こだわりや自分の“決まり”がある人が、そこから解放されるのは本当にむずかしい。

この2冊の本を読んでそう思いながら、ふと「私は何かにこだわっているのだろうか」と我が身をふり返ってみた。実は私自身、「これだけは」というこだわりがほとんどなく、むしろそれが自分の欠点だと思ってきた。それどころか「こだわりを持って生活できる人はうらやましい」とさえ思い、いつも「私も今度こそはこだわれる何かを見つけたい」といろいろ手を出してみるのだがいっこうに長続きしない。

逆にここまでこだわりがないからこそ、50代半ばになってから始めた総合診療科での再研修で、自分のほぼ半分くらいの年齢の“先輩医師”たちに「このカルテの記載、間違ってますよ」などと注意されても、「あ、すみません。気をつけます。教えていただいてありがとうございます」とすぐに謝ったり感謝したりもできる。同世代の知人に話したら「よくそんな年下の医師たちにペコペコできるね」とあきれられたが、そういうのはまったく平気なのである。

そして最近、別の場所でも「こだわりがありすぎるのは良し悪し」と思うことがある。それはワクチンの接種会場においてである。私はいま、ある自治体のワクチン接種会場で週末の手伝いをしているのだが、とくに高齢者のほとんどが日常的に大量の薬を飲んでいることにいつも驚かされる。多くの人は「お薬手帳」を持参し、そこにきちんと貼られた処方の記録を見せながら、「こんな薬を飲んでいるのですが、接種はだいじょうぶですか」と問診の場で質問する。

今回のコロナワクチンでは抗がん剤を含むほとんどの薬は接種に影響なく、いわゆる「血液をサラサラにする薬」の中で筋肉注射後の止血にやや影響を及ぼすと考えられるものがあるので、そのときだけは「3分くらい押さえておいてください」と伝えることになっている。それでも多くの高齢者は心配そうに「血圧の薬や逆流性食道炎の薬を飲んでいるのですが」と手帳を差し出すのだが、私は心の中で「ワクチンへの影響よりも、そもそもこんなに服薬していることの方が心配です」と言いそうになる。

いま日本の医療では「ポリファーマシー(多剤併用)」が大きな問題になっているが、とくにビタミン剤、胃腸薬、抗コレステロール薬などの中には“不要不急”と考えられる薬もあり、また漫然と抗うつ薬や睡眠導入剤が処方されていたり、予防的な意味で抗認知症薬が出ていたりするケースもある。

日本老年医学会からのガイドラインでは「薬は6種類以上になると、効果よりも有害事象の方が大きくなる」とされており、分解する内臓の負担が増え転倒のリスクなども高くなる。医師向けの本である『薬の上手な出し方&やめ方』(矢吹卓・編集、医学書院)は、ベテラン内科医の編者と若手医師たちの対話形式でポリファーマシーの危険性や処方の減らし方が解説されるユニークな解説書だが、その中の「薬は死ぬまで飲み続けるのか!?」という章にこんな箇所がある。

[山本]矢吹先生の「死ぬまで飲む薬」の候補は?
[矢吹]患者さんにも聞かれるんですよね。例えば「血圧の薬って1回飲み始めたら、死ぬまで飲まなきゃいけないんですよね?」って。
個人的には、「死ぬまで飲まなきゃいけない薬はないんですよ」と答えています。やはり、最後は患者さんの価値観次第かな、と思うんです。

矢吹氏は、とくに高齢の患者さんにとって薬は「この薬さえ飲んでいれば」という“魔除けの効果”をもたらしている場合もあるので、一概に「飲んでもムダです、やめましょう」と処方をストップするのはいけない、とも言っている。とはいえ、服用することで明らかに肝臓や腎臓に負担をかけたり、転倒のリスクが上がったりして、結局は余命が短くなるということもある。また、一定の効果は出たとしても、からだがだるくなったりぼうっとしたりして寝たきりですごすのでは意味がない。

ワクチン接種会場で、「現在、何らかの病気にかかって治療(投薬)を受けていますか」の項目の「いいえ」にマルをつけて出す高齢者は、私の経験では20人にひとりくらいだ。中には80代、90代でも「いいえ」の人がいるが、彼らはみなとてもハツラツとして見える。短い問診時間だが、そういう人には「すごいですね。健康の秘訣は?」と質問することにしている。すると、そこで返ってくる答えのほとんどは、「とくに何もない」なのである。せいぜい記憶に残っているのは、「庭仕事をすることですかね」「孫が肉が好きなのでいっしょに食べることかな」くらいだ。

――そうか。やっぱり通院や薬にこだわらず、自分の健康維持にさえ無頓着で、そのときどきやりたいことをやって生きる方が、健康によいのだ。

おかしなところで、自分のこだわりの希薄さを正当化している最近の私だ。とはいえ、医療の現場では、この「薬の出しすぎ、まじめに飲みすぎ」のポリファーマシーの問題には少しこだわってなんとかしなければならない。そうも思うのである。

関連書籍

香山リカ『ノンママという生き方 子のない女はダメですか?』

ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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