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おとなの手習い

2021.05.13 更新 ツイート

目の前の病人に治療ができない医者に、存在意義はあるか 香山リカ

(写真:iStock.com/Akiromaru)

他人に甘く自分にも甘い。

 

これが自分の長所でもあり短所でもある、と思っていた。誰に対しても多くを求めず、相手の失敗や間違いにもあまり腹が立たないのだが、自分に対しての厳しさも皆無で、忘れたりしくじったりは日常茶飯事。若いときは自分自身に関してはもう少しちゃんとしなければ、と思ったこともあったが、いまはすっかりあきらめた。それに、ひとにも自分にも甘いと「期待が裏切られた」「目標が達成できなかった」と落ち込むこともない。考え込む時間もそこそこに、すぐ目の前の楽しいことに気を取られて気分が良くなる、という利点もある。

その私が、最近、「これはちょっとマズい」と自分でも心配になるほど気持ちが沈んでいる。

去年は新型コロナ感染症の疑いのある人に、なかなか検査をしてあげられなかった。そして今年は、コロナに感染した人に、入院などの治療を受けてもらえないのだ。

「医者ってなに。病気の人への治療ができない医者なんて、意味がないのではないか」と考え込み、どんよりしてした気持ちがずっと続いている。

いまから1年以上前、このコラムで「外来で担当していた患者さんが熱発したが、コロナ感染症のPCR検査を受けてもらえる医療機関が見つからず、途方に暮れた」という話を書いた。それまでは私自身、「大規模なPCR検査は不要」というムードに流され、「検査しにくいのは仕方ないのかな」となんとなく考えていたのだ。ところが、実際に自分がよく知る、内科的な基礎疾患もありひとり暮らしの患者さんから、「熱がずっと続いていて咳も止まらない。保健所に電話したら、それでは検査の対象にはなりませんと言われた」とSOSの電話が病院にかかってきたときに、ハッと目が覚めた思いがした。当時は、「体温37.5℃以上が4日間続けば検査」というルールがあり、それにあてはまらない人はなかなか検査を受けられなかったのだ。しかし、医療が進んでいるはずの日本で、明らかに必要としている人も検査さえ受けられない、というのはどう考えてもおかしい。

それから機会があるごとに、「医師が必要と考えた場合はすぐにPCR検査を受けられるようにするべき」と発言してきたが、その仕組みはかなり整ってきている。ただ、外国で行われているような無症状者に対してのPCR検査や、感染者が出た場合の職場全体、地域全体の検査にまではまだ拡充されていない。

そして、検査へのハードルが下がってきたのはよいが、今度はそこで陽性となった人をどうする、という新たな問題が持ち上がっているのだ。

いま大阪の「医療崩壊」が全国的に注目されている。陽性という判定が出た人の多くが病院に入院できないどころか、ホテルなどの療養施設にも入れず、自宅ですごさなければならないという。また、関西の高齢者施設で、入所者にクラスターが出ても、感染者は入院して医療を受けることができず、そのまま多くの人が亡くなったというケースが相次いで報道されている。

しかし、それは大阪に限ったことではないと思う。東京でも、発熱などでPCR検査を受けて陽性だった場合、保健所ですぐに入院調整をしてくれてどこかに入れる、ということはまずないのではないか。私の知るケースでも、熱や咳などの症状があっても、あるいは医療機関で胸部CTを撮影してコロナ特有の肺炎像があっても、「息が苦しくて仕方ない」など血中酸素濃度の低下が軽いと考えられた場合は、原則は入院せずに自宅療養と指示される。

たしかに、新型コロナ感染症は根本的な治療法がないので、入院したとしても熱が高ければ解熱剤を出すなど対症的な療法しかない。肺炎が進行してしまい呼吸機能が落ちれば、酸素吸入、抗炎症作用を期待してのステロイド投与などを行うが、それもウイルスそのものを抑えるものではない。本人の免疫機能がウイルスに打ち克って、はじめて回復に向かうのである。

とはいえ、症状があるのに「医療」の枠組みに入ることさえできず、ただ自己回復を待って自宅にいるだけ、というのはどうなのだろう。もちろん、カゼや打撲など日常的な疾患やケガの場合、いちいち病院に行って“患者さん”にならずに、家で安静にしたり自分で湿布薬を貼ったりして治るのを待つ、ということはいくらでもある。私も自分が病院を受診する機会はほとんどなく、相当、熱があったり腹痛がしたりしても、「これはそのうち治るだろう」と思えば市販薬を飲んで時間が解決してくれるのに期待することが多い。

しかし、それと新型コロナウイルス感染症は違う。重症化して命にかかわる例も少なくないし、何よりその重症化の仕組みがまだよくわかっていない。とくに最近、流行している変異株では、若い世代が突然、重症化することもあるといわれる。いまは症状が軽くても、「今夜にでも呼吸困難が突然、起きるのではないか」と思いながらすごす人たちの不安はどれほどだろう。

それに、いくら陽性とわかった人たちに保健所が「家にいてください」と伝えたとしても、いまは感染者の急増で自宅への食料配布なども滞りがちだ。中には、食料や解熱剤を求めてスーパーやドラッグストアに出かけなければならない人もいるだろう。さらにもしその人が食べるものに困り、近所のハンバーガーショップや牛丼屋に食事に行ったとしても、誰も責めることはできないのではないか。しかし、当然のことながら、出先で近くにいる人たちの感染リスクは高まることになる。

先日、中国の上海市でコロナ診療に携わる医師たちとのオンラインシンポジウムで司会をしたのだが、彼らは繰り返し、「早期検査、早期発見、早期隔離、早期治療」と言っていた。中国では感染者が出たら、範囲を決めてそのコミュニティの多くの住民の検査をすぐに行う。もちろん濃厚接触者ではない人、無症状の人も含めてだ。そして、陽性となった人たちは、とにかく病院に入院してもらう。中国でコロナ用の入院施設が突貫工事で作られたことが昨年、日本でも大きく報道されていたが、そこは主に検査陽性の無症状者、軽症者を入院させるための施設なのだそうだ。

「たとえ無症状でも軽症でも、とにかく『医療』の枠組みの中で診ていく」。これが中国の方針なのだという。そういう病院の中では、無症状者などにも積極的に中医薬(漢方薬)で治療を行ったところも多かったそうだ。その結果なのか、「この病院からは一例も重症者病院に転院するケースは出なかった」というところもあった。これはただの推測だが、無症状あるいは軽症でも、PCR検査で「陽性が出た」となれば、本人の不安や恐怖は相当なものだと思う。そこですみやかに入院できて、食事の心配もなく安静にしていられ、漢方薬などの“手当て”も施されれば、その人はかなり安心できるはずだ。「リラックスや前向きな気持ちが免疫機能を高める」という仮説の評価は慎重でなければならないが、こういう軽症者用の病院には実はそういう機能もあるのではないか。

さらに私が驚いたのが、現在、コロナの発生はほとんどゼロに抑えられている上海でも、医療従事者は発熱者にかかわっている、かかわっていないにかかわらず、2週間に1回のPCR検査を義務づけられていると聞いたことだ。昨年からときどき発熱者の診察をし、PCR検査を行ったこともある私だが、実は一度も自分はPCR検査を受けたことがない。もちろん、その間、感染を疑う発熱などがなかったからなのであるが、このような医療の現場にいれば感染して無症状のままという可能性もおおいにありうる。ところが、その医療機関では外来で仕事をする医療従事者のPCR検査は義務づけられていないのだ。もちろん、やろうと思えば唾液を用いる抗原検査キットを購入して自主的に検査を受ける方法もあるのだが、まわりでもそうしているという人は聞いたことがない。

上海の医師たちの話を聞いてから、自分の中でむなしさにも似た気持ちがどんどん大きくなっていった。

――コロナ陽性とわかって自宅療養を指示されたあの患者さんは、そのあとの期間をどういう気持ちですごしたのだろう。しんどくはなかっただろうか。不安もあったはずだ。医者としてもっとできることはなかったのか。

――もしかしたら私も知らないうちに感染し、無症状のまま誰かにうつしていないだろうか。医者なのにウイルスをばらまいていた、などということになったらどうしよう。

どう考えてもこの状況はおかしいだろう。そして、さらに私の気持ちを暗くするのは、多忙な医療の現場では、誰もこの状況に疑問を感じていないようだ、ということだ。「コロナだと思います。でも血中酸素濃度は十分ですから、自宅療養になるでしょうね」と診断だけつけて、その急変の可能性もある“病人”を医療の枠組みに入れることもなく、その人を帰宅させるというのは、明らかに「医の道」に反している。しかし、「私のやっていることは、もしかすると『医の道』からはずれているのでは?」などと悩む人は、少なくとも表面的に見ているかぎりでは、PCR検査がなかなかできなかった昨年も、感染者に医療を受けてもらえない今年も、まわりにはいないように思われる。

これは、医者が医学教育やその後の臨床の中で、「自分の置かれている状況を社会的な文脈で考える」というトレーニングを受けていないからだ。とくに最近は、身に着けなければならない知識やスキルも増える一方で、とても「社会の中の医者」「歴史の中の医療」と構造的に自分たちの立ち位置を考える、といったレクチャーを行う余裕はない。しかし、この新型コロナのパンデミックでは、医療は政治や社会と不可分であることが明らかになったはずだ。それにもかかわらず、「検査ができないのも感染者を入院させられないのも、政治とはなんのかかわりもないですよ。医者が必要ないと判断したからです。すぐに政治のせいなんて言うのはサヨクだけです」といったことをネットで平気で発言する若手を見ていると、「やっぱり医者にも社会教育、政治教育が必要だったのだ」と悔やまれるばかりである。

こんな時代に医者はどうやって自分の「存在理由」を見い出せばいいのか、となんだか20代のようなことを考えている。いや、20代ならまだ先があり夢もいっぱいだが、もう自分には先がない。

この先、オリンピックが開かれて、私のいる医療現場からも結局は何人かがボランティアスタッフに出ることとなったり、開催中に発生した感染者を優先的に入院させたりしなければならなくなったら、あまりのむなしさにもう医者を辞めたくなるかもしれない。それだけはないように、と自分に言い聞かせながら五月晴れの空をあおいでため息をついている。

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ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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