1. Home
  2. 生き方
  3. おとなの手習い
  4. ヨガよりマインドフルネスより中国語レッス...

おとなの手習い

2020.03.21 更新 ツイート

ヨガよりマインドフルネスより中国語レッスン香山リカ

(写真:iStock.com/XiXinXing)

前回も書いた通り、中国語で書かれたフレーズや文章を目にして大意をつかむのは、私たち日本語の使い手にとってそれほどむずかしいことではない。

しかし問題は、その読み方、発音の仕方だ。

意味は日本語と変わらなくても、読み方は日本語とはまるきり違う。最近は駅の構内放送などで日本語、英語、中国語、韓国語のアナウンスを流すところもあるが、とにかく中国語は勉強したことがないと何ひとつわからないのではないか。韓国語の方がまだカタカナ用語など日本語と共通するものがあり「おっ」と耳に残る言葉があるが、中国語にはそれもない。

 

たとえば、「我是日本人」と見るとすぐに「私は日本人です」と理解できるが、これを読むとなると「ウォシィーリーベンレン」となり、「ワレ」も「ニホン」もまったく出てこない。しかも、この「シィー」や「リー」「ベン」「レン」は日本語の発音にはない音で、このままカタカナ読みしてもおそらく通じないだろう。「自分は日本人です」と自己紹介する段階で心が折れそうになるのだ。

そしてさらに、大学の第二外国語で中国語を取った人たちはわかっていると思うが、中国語には同じ「アー」でも声のトーンで意味を使い分ける「声調」というものがある。それが一声から四声まで四種類あり、「アー?」と上げるように言うのと、「アーア……」という感じで下げるように言うのとでは、それぞれの漢字がまったく別で、異なる意味になってしまう。私も2年近くたった今でも、教科書を音読する途中で先生に「三声!」「二声!」と何度も注意される。

レッスンは毎回1時間だが、私にとっては毎回7分くらいに思える。テーブルとホワイトボードだけの一坪ほどの小さなレッスン室に入ったが最後、ずっと頭をフル稼働し、緊張感を持続して集中し続けなければ頭が真っ白になって、すべてを忘れそうになるのだ。

これは久々の体験だった。「ふだん診察では緊張してないのか」と言われそうだが、診察場面では、もう30年も続けていることもあり、自分をモニターするくらいの余裕がないと正しい判断ができない。患者さんの話を「そうですか。そんなたいへんなことが」と身を乗り出して聴きながら、どこかで自分を眺める自分もいて、「ちょっと感情移入しすぎ。このへんで視線をパソコンのモニターに移して距離を置いて」などと指示を出している。

ところが、中国語ではそうはいかない。その緊張感の8割は、文法や読解ではなくて、ひたすら日本語とはまったく違うその読み方によるものだ。とくに先生の言う簡単な指示(「次の例文を読んでください」とか「練習問題に答えてください」など)も、全力で集中しないとまったくわからない。

何度も繰り返すが中国語には日本語、あるいは英語と同じ発音をする単語が皆無なので、「ステーション……あ、電車や時刻表の話だな」という手がかりがないのだ。大げさに言えば、何かを中国語で突然、話しかけられたときに、それが天気の話なのか、おいしい餃子屋の話なのか、それともカゼを引いて休んだという話なのかを判断するにも、これまでの人生で一度も耳にしたことのなかった音の羅列から単語をなんとか浮かび上がらせ、推察するしかないのだ。

そうやって中国語を理解する作業じたいは、とても興味深い。自分の脳の中のこれまで使ったこともなかった場所を稼働させている感じがする。

ヨガのインストラクターや自律訓練法を行うカウンセラーが「ゆっくり息を吐いて、心やからだにたまったイヤなものを全部、いっしょに外に出してしまいましょう」と誘導することがあるが、私にはそれがなかなかできない。「息は息」という感じで、脳の中はいつも小さい悩み、迷い、怒りなどでいっぱいのままだ。

ところが、中国語のレッスンでは、そんな雑念に気を取られたら最後、目の前の先生が話す言葉がまったく無意味な音の羅列にしか聞こえなくなる。そのため、手に汗を握りながら聴き取りと発音に過集中して1時間のレッスンが終わったあとは、頭がやけにスッキリしているのを感じる。私にとって中国語は、ヨガや自律訓練法などより“効く”、脳のクリーンアップ、心のケアになっているのだ。

しかし、中国語を学び始めて困っていることもある。それは、いま勤務している大学の大学院には中国からの留学生が大勢いるのだが、日本語で授業を受け、論文を書いている彼ら彼女らに対する尊敬の念が大きくなりすぎてしまう、ということだ。さらに院生たちは英語やフランス語の文献なども読み込んで、それを日本語のレジュメにまとめて発表したりもする。

私は内容よりもまず、「これってまず英語を中国語に訳して、その中国語を日本語にするの?」など、翻訳のプロセスの方に関心が向いて尋ねる。すると彼らは「どうしてそんなこと尋ねるの?」と言いたげに、「いろいろですよ。英語から日本語にすることもあるし、ちょっと中国語にすることもあるし」などと言う。私には「似て非なるもの」としか言いようがない日本語と中国語の両方を難なく使いこなす院生たちが天才のように見えて、つい採点の評価が甘くなりそうなことがあり、「いかんいかん、それとこれとは別」と思うのである。

残念ながらこれを執筆している時点では、日本と中国は「感染拡大の防止」という名目のもと、旅行などでの行き来がほぼ不可能になっている。とはいえ、必ず新型コロナウイルスの蔓延は収束に向かい、また旅行や勉強、ビジネスなどで人が両国間を往来する日が来るはずだ。坚信爱会赢。愛があればこの試練に勝てると信じてる。その日のためにも、そして私の週に1回の脳内クリーンアップのためにも、クールな先生のもとで中国語をがんばりたい。

関連キーワード

関連書籍

香山リカ『ノンママという生き方 子のない女はダメですか?』

ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

{ この記事をシェアする }

おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

バックナンバー

香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP