
アンバー・ハードという人がよくわからない。そのインタビューを読めば読むほど、捉えどころがないのだ。
1986年にテキサス州オースティンで生まれたハードは、17歳で高校を退学した後に、ニューヨークでモデルとして活動するも挫折。その後、ロサンゼルスに移って女優を目指し、テレビでのいくつかの端役を経てスクリーンデビューする。そして、『ラム・ダイアリー』という映画の共演者として、2009年にジョニー・デップと出会う。
それを契機に23歳年上のデップとの交際がはじまる。20億円超の土地をプレゼントされたり、2人で過ごすはじめてのクリスマスにバハマのビーチをプレゼントされたりと、ハードはデップを夢中にさせた。ちなみに、バハマのビーチはハードのお尻の形に似ているという理由で贈り物に選ばれたという。
2015年2月に自宅で結婚式を挙げた2人。しかし、わずか15か月後の2016年5月には「和解しがたい不一致」を理由にハードが離婚を申請する。その際に、ハードは「結婚している間ずっと、ジョニーは言葉や暴力で私を虐待した」と告発する。だが、結局、3か月の騒動を経て2人は和解した。「私たちの関係は激しく情熱的で、ときに不安定でしたが、いつも愛で結ばれていました」という共同声明とともに。そして、デップはハードに和解金として約700万ドル、つまり、8億円を超える額を支払っている。

だが、事態は再燃する。
2018年、「2年前に、私はDVを象徴するようなパブリックフィギュア(※著名人)となった」と、ハードはワシントン・ポストに論説を公表する。家庭内暴力を訴えようとする女性を圧殺する社会を変えるために、自ら声を挙げるのが使命だと感じたと彼女はいうのだ。
これを契機としてデップは2つの裁判を起こす。1つは、自身を「DV夫」と報じた大衆紙サンを相手どった英国の裁判。もう1つは、ハード本人を相手どった米国の名誉棄損裁判である。そして、2020年11月、英国では実質的にデップが敗訴し、ところが、今月、米国の裁判で実質的にデップは勝訴した。英米で相違が生じた理由については、一説には英国が裁判官、米国が陪審員による判断だったためらしい。陪審員は、世論をよりダイレクトに反映する。
デップを嘲るハードの音声テープは、確かに世論を逆転させた。テープの中で「私は52kgくらいの女性だ」と、ハードは自分自身の性別と体型をデップに誇示する。「フェアな争いだったって、どうぞ言いなさいよ。そして、陪審員や裁判官がどう考えるかをみましょうよ。ジョニー、世界に向けて言ってやりなさいよ。ジョニー・デップ、こう告げるのよ。俺はジョニー・デップ、男性で、俺自身も家庭内暴力の被害者だと」とけしかけるのだ。また、「私は叩いていたのよ、殴っていたんじゃないわ」と前夜の自身の暴力を認めているかのような音声も存在する。
訴訟の内外で明かされた様々な証言は、感情の起伏が激しくときとして怒りを抑えられない人物像を描き出す。
デップに出会う前の2009年、ハードは当時の恋人で写真家のタスヤ・ヴァン・リーへのDVで逮捕されている。シアトル・タコマ国際空港での喧嘩が発端だった。ただし、リーがこの出来事について「大げさに扱われた」と話したことは差し引いて考えるべきだろう。リーによれば、ハードを逮捕した警察官は「同性愛嫌悪」と「女性嫌悪」に満ちていたという。そう、バイセクシャルを公表しているハードの、当時の恋人リーは女性だった。
ハードには、彼女の妹ホイットニー・エンリケへのDV疑惑も生じている。デップの弁護士が法廷に提出したビデオには、プールサイドでホイットニーの頬と腕をつぶさに見ていた友人の女性が「アンバーがあなたをぶったなんて信じられない」と話す模様が収められていた。「かわいそうな妹は、基本的に蹴る犬のように扱われていました」との証言も出るものの、ホイットニー自身は、法廷でハードからの暴力を否定している。
アシスタントの女性ケイト・ジェイムズは、ハードの「盲目的な怒り」について法廷で証言した。「昼夜問わずに、パワハラ的なメッセージの集中砲火」をしてきたハードは、ある日、給与をあげてほしいと交渉したジェイムズに対して、「椅子から飛びあがり、顔を至近距離まで近づけてきて、よくもそんな給料がほしいなんて言えるわねと言った。私の顔に唾を吐きかけても当然だと思っていた」と語る。
2015年、デップが中指の先端を切断する大けがを負ったことはよく知られている。オーストラリアの超豪華な貸別荘で、デップとハードが休暇を過ごしていた間の事故だ。その原因については、口論になってハードが投げたウォッカのボトルで指先を切断したと語るデップと、薬でハイになったデップが自傷したと語るハードとの間で証言が割れている。
ハードは感情を暴発させる。とはいえ、その理由の1つは、もしかしたらデップに見捨てられる不安にあったのかもしれない。「私がおかしかった、ごめんなさい。あなたを傷つけて、ごめんなさい。あなたのように、傷ついたとき、私も意地悪になることがあります。挑発されたり、動転させられたと感じるとき。そして、昨晩の私はそうでした」とハードはデップに宛てた手紙に綴る。「私はリリー・ローズのことで見捨てられたように感じました。私のここでの最後の夜なのに、あなたが帰ってこないのでものすごく動揺しました。そして、それ以外はとてもゴージャスだったあなたとの旅の最後のこの状況をなんとかしようという私の側の幾多の試みが無駄になって、悲しかったし、怒ってもいました」

リリー・ローズというのは、デップと長年のパートナーだったヴァネッサ・パラディとの間の美しい娘で、ハードとの不仲が伝えられている。もしかしたら、デップが自分以外に向ける愛情は、常にハードを不安にしたのかもしれない。ハードは続ける。「あなたを傷つける理由にはなりません。あなたは世界で最も傷つくべきでないもの、傷つくべきじゃない人です」と記したハードは、「愛してるわ、スティーブ、私は永遠にあなたのもの、スリム」と手紙を締める。スティーブとスリムというのは、デップとハードの互いの間のあだ名だという。
「猛烈に自立的」と自らを形容するハードが、執着といえるほどデップに依存していることに驚く。互いに束縛し合い、愛を貪り、独占したいと望み、そしてその不可能な欲望が満たされないと、恐ろしいほどの感情を投げつけ合う。“ファム・ファタール”とは、「男を破滅へと導く魔性の女」とされているが、もともとは「運命の相手」を指すらしい。ハードはデップにとってのファム・ファタールだったのだろう。
彼女が何を間違えたのかと言えば、デップに出会ったことでも、彼を愛したことでも、破局したことでもなく、彼との相互に依存した特別な関係を、DVのステレオタイプに押し込めて、#MeTooの象徴的存在になろうとしたことだろう。
「女性が入る会議は長い」
という趣旨の発言は、森喜朗氏という稀代のキングメーカーを、少なくとも公的な立場からは葬り去った。もしかしたら森氏が特定の女性との間の具体的な行き違いを苦笑まじりに皮肉ったものだったのかもしれない。だが、権力ある年配の男性が女性を不当に軽んじたという“女性蔑視”のフレームワークで捉えられたがために、海外でも大きく取り上げられて、オリンピックを控えた日本にある種の外圧としてすら働いた。
現代において、性別、人種、性自認や性指向といった“マイノリティ”カードは、すさまじい力を発揮する。それは個人への苦言じゃなくて、虐げられてきた人々全般への侮辱と捉えられ、熱量の高い怒りを買うからだ。
だが、これは逆もまたしかりであることを忘れてはならない。

ハードは、ソーシャルメディアが彼女にとって「不公平」な空間になっていると語る。TikTokでは“#ジョニー・デップに正義を”というハッシュタグには200億回のビューがある一方、“#アンバー・ハードに正義を”というハッシュタグは8,000万回に留まるという。そして、SNS空間には彼女に対する罵詈雑言が並ぶ。
だが、ハードは、女性としての属性を攻撃されているわけじゃない。バイセクシャルとしての性指向でもない。彼女本人の暴力、暴言、そして虚言という具体的事実の数々。
そう、現代社会においては、“マイノリティ”カードを直接攻撃することはできない。だが、日々溜まる鬱憤の数々。そして、自らデップとの固有の関係を、虐げられる女性全体の物語へと広げようとした彼女は、それゆえに、デップ個人だけじゃなく、#MeTooをめぐる世間の怨嗟をもその身に背負うことになった。
#MeToo運動を直接批判するなんて無理。でも、ハードの具体的な行為を攻撃することで溜飲を下げようぜ、とばかりに。
こういう傾向は、大坂なおみ選手やメーガン・マークル氏、つまり、人種という切り札を切る人にも同様に当てはまる。“マイノリティ”カードには、当事者だけの具体的な話を、マイノリティ全体に共有される大きな物語へと称揚する力がある。だが、その切り札を切るならば、マイノリティ優遇によって劣位に置かれる人々の怨嗟を、個人として受け止める覚悟も、場合によっては必要になるのではないだろうか。
ハイスペック女子のため息 season2

ハイスペ女子は自分で自分が面倒に思うこともある。社会に邪険に扱われ、「なぬ?」と思うこともけっこうある。今日もぶつかる壁や疑問を吐露する社会派エッセイ。
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