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住所不定 「映画」と「踊り」を探して

2021.01.09 更新 ツイート

大宮競輪場のラーメン屋と予想屋の二人にぼくは強いシンパシーを抱いた 太田信吾

地元に競輪場があることも知らなかった

前回、女川の移動販売のラーメン店「あらどっこい」のことを書いたためだろうか、最近、ボクのところに美味しいラーメン店の情報を教えてくださる方が増えた。ある夜、行きつけのバーで酒を飲んでいると前回の原稿を読んでくれたという知人がボクに言った。

 

「太田くん、ラーメン好きなの? 大宮競輪場のラーメンも美味しいよ。一度食べてみて欲しいな」

大宮競輪場? ボクは長野で生まれ、埼玉で育ったが、地元に競輪場があるということは初めて聞いた気がする。場所を調べると、大宮競輪場は育った浦和の町からも、なるほど、そう遠くない。その存在をこれまで知らなかったのは自分がギャンブルに程遠い生活をしてきたためだろう。競輪場の中にあるラーメン店。そのコアな感じがなんだか気になる。仕事で首都圏に滞在しているタイミングで、ボクは育った町の知らない文化を知りたいと、足を運んでみることにした。

実際にその場所に向かったのは十二月も下旬に差し掛かった日のこと。木枯らしが落ち葉を巻き上げる大宮公園の敷地の遊歩道を歩くと、やがて鉄門が現れる。その鉄門の向こうが大宮競輪場だ。簡単な個人情報登録の手続きをすると個人番号が割り振られた入場パスが発行される。それを係員に見せ、体温検査を行うと、競輪場の敷地内への入場が許される。この日レースはなく、「場外」と呼ばれる全国の他の競輪場の車券売り場としてこの競輪場が機能していた。

敷地に入ると、本場開催でないためか、1周500メートルのバンクがある観客席に人はおらず、屋外にそびえ立つ巨大なモニターの周囲に、50数名の人々が集っていた。年齢層は高く、60代以上と思しき人がほとんどだろうか。見渡す限り女性は清掃員の方を除き他にいない。

あ、と見渡す視点が止まる。男性たちがたむろする巨大モニターの奥に、古びたラーメンの暖簾が見えた。立ち食いのスペースも奥に見える。ボクは今日の目的であるそのラーメンを食べに、店の方へと歩いた。

「いらっしゃいませ」

40代くらいだろうか、男性が店の奥から出てくる。若い! という印象を受ける。40代は世間的にはそれほど若くはないと思うがなぜそんな感覚を抱いたのか? 競輪場に集う客たちがほとんど60代以上のおじさんたちだったからだと思う。

メニューを見る。醤油ラーメン、味噌ラーメン、つけ麺、そしてチャーシュー麺が手書きのマジックで短冊に書かれている。メニューの脇には、「コタン特製」という文字がある。コタン…初めて聞く言葉だ。店名だろうか? どんなラーメンなのだろう? ボクはあたりを見渡すと傍らの立ち食いスペースの方で高齢の男性が二人、それぞれ片手に持った競輪新聞に目を落としながら、ラーメンのスープをすすっている。ラーメンの様子も気になるが、ボクはハッと我に帰り、着丼してからの楽しみに、先客の食べるラーメンの丼から目を逸らす。ボクはチャーシュー麺を頼みつつ、その若いお兄さんに話しかけた。

「コタン、ってお店の名前ですか?」
「そうなんですよ。アイヌ語で”人が集まる場所”って意味で」
「へぇ、そうなんですね」
「ボクがつけたんじゃないですけど」

何代か続く店なのだろうか? いきなりそんなことを聞くのも気が引けて、ボクはラーメンを食べに来た理由を告げた。

「知人からここのラーメンは美味しいと聞いて、どうしても食べてみたくって…」
「ありがとうございます! 卵サービスしておきますよ」

ありがたい。普段人見知りなボクが気軽にこうして話しかけられるのは、その若いお兄さんから物腰柔らかそうなオーラが漂っているからだろ思う。

「店主さんですか?」

「はい。あ、トッピングで卵、追加ねー!」

プレハブ小屋の中は調理スペースになっているのだろう、お兄さんはカーテンをめくり上げると中に声をかけた。湯気が外へと溢れ出てきて調理スペースの様子を窺うことはできなかったが、調理を担当しているのは別のスタッフの方らしい。ボクは、屋外にビニール製のカーテンで作った半屋外のような場所に置かれたテーブルに腰掛け、お目当てのラーメンを待つ。

「お待ちどおさまです」

ラーメンは数分でボクの目の前に現れた。オーソドックスな醤油ベースのラーメンだ。トッピングはメンマとナルト、のりとネギ、そしてチャーシュー。漆黒の醤油ベースのスープに、鶏ガラで出汁をとっているのだろうか、きらびやかな油が所々に浮かんでいる。外が寒かったこともあり、ボクはまずスープから口にする。

「美味しい!」

身体が芯から温まってくる。スープを飲み進めるのが全然苦ではない、野菜の出汁がしっかりと効いている。懐かしい味だ。思わず独り言を呟きながらラーメンを啜っていると、レジ脇のテーブルの上に両手をついて、スマホに目を落としていた店主がこちらを振り向く。

「ありがとうございます。気に入って貰えてよかったです」
「いやぁ、すごい美味しいです。懐かしい味ですね」
「はい。昔ながらの味を、守りたくて」

昔の味を、守る…?

ボクはラーメンをすすりながら、店主のその言葉に胸を掴まれた。

昔、与野駅とさいたま新都心駅の間の、よく通った屋台の支那そば屋のラーメン店を思い出す。店主は高齢の男性だった。幼少期から食べていた支那そばの魅力を伝えたい、食事だけではなく集える場所を作りたいと、自治体にたびたび警告を受けながらも屋台営業にこだわり、シンプルな屋台の支那そば屋を経営していた。10年以上前、学生の頃に気になって入ったのがきっかけで、ボクはその店に通っていたが、いつの間にか、あの屋台は姿を消し、跡地には家系ラーメンの店舗が建った。あのオヤジさんも、「昔の味を守りたい」とボクに語ってくれた気がする。

大宮駅前の八百屋から大宮競輪場のラーメン屋へ

どうして店主の方は、この昔ながらのシンプルなラーメンをこの競輪場という特異な場所で提供し続けているのだろう。もっとこの店のこと、店に向き合う店主の思いを知りたい。意を決して、ボクは店主の方に話を伺えないか、相談をすることにした。店主は快く許諾してくださった。ラーメンの丼を片付け、店主の方と距離を開けて座り、ボクは彼に話を聞いた。

ボクにトッピングの卵をサービスしてくださったラーメン店”コタン”の店主・磯崎浩平さん(46歳)はこの店の三代目店主だ。浩平さんはさいたま市大宮区に生まれ育った。先代(二代目)としてこの店を守った浩平さんの母・圀子さん(73歳)曰く、浩平さんが生まれた年に祖父の清三郎さんが創業したというから、創業年は1974年、今年でこの店は46年目ということになる。

元々、創業者の清三郎さん(故人)はこのコタンを創業前は大宮駅前でカットフルーツなどを売る八百屋を経営していた。配達がメインの八百屋だが軒先でも営業をしていたが、駅前再開発や大手のスーパーの乱立で時流が変わった。

そんな時期に、大宮競輪場で店舗出店を募集しているという話が舞い込む。大宮競輪場といえば、東日本の競輪発祥の地と言われ、西の小倉競輪場と双璧を成す由緒ある競輪場である。毎年一月にはこの競輪場で「東日本発祥 倉茂記念杯」と名付けられたレースがこの会場で開催され、多くの観客で盛り上がる。

清三郎さんは当時ブームとなり始めていたラーメン店を大宮競輪場内に創業する決意を固める。すぐに行動を起こし、近所の中華料理店でラーメンづくりを習得、間も無く創業に漕ぎ着けたという。

コンセプトは”しつこくないラーメン”。鳥と豚、ネギや生姜などの食材を五時間に渡って煮込んだ出汁を秘伝の醤油で割る。麺は高塚製麺所のちぢれ細麺。店の地味だけれども優しいラーメンの味は口コミで伝わり、競輪好きで知られる往年の映画スターをはじめ、本来、選手は不正防止のために特別行事のイベント以外では競輪場に入れないが、埼玉の”ミスター競輪”こと故・永倉通夫氏(46期)も、イベントの度に様々な後輩を連れて訪れるなどこの店を贔屓にした。最近では著名なタレントもラジオやSNSで大絶賛するなど、コタンのラーメンを愛するコアなファンも多い。

興隆を極めた競輪界と共に順風満帆に進んできたラーメン店「コタン」の歴史だが、これまで経営の危機はゼロではなかった。初代の清三郎さんから引き継いだ店を受け継いだ先代の両親が、引退を決断した時だ。浩平さんの父はサラリーマンの道を選んだ。

浩平さんの両親が店を担った当初、競輪は最盛期、大宮競輪場における本場開催日数(実際に競輪場でレースが行われる日のこと)は1ヶ月にわずか約6日程度だった。その他に場外と呼ばれる、他の競輪場のレースの中継場所の役目を果たす日が3日あったものの、月に営業は約9日のみ。それでも数百万円の売り上げが出たという。コタン二代目の浩平さんの母は引退当時を振り返りながら、言う。

「もの凄く流行った時代があり、その恩恵を受けてきた。でも今はネットの時代。明らかに客が減った。潮時だと思った」

先代の母親から、店をやめるという決断を聞いた時に、浩平さんの内側にこみ上げてきたのは、昔の味を守りたいという思い。それから、物心ついた時から好きだった競輪に関わる仕事に就きたいという思い。思えば幼い頃から時間があると両親の仕事を手伝ってきた。

「兄と姉がいるんですけどどっちも硬い仕事に就いてて、オレだけ自由人だったんで自然とそれなら店を継ごうと思ったんですよ」

コタン店主の磯崎浩平さん(左)と従業員の方(右)。
日付が98年になっているのは設定ミスのせい

ボクはリスクを承知でも好きな職業を選んだ浩平さんのかつてのエピソードに共鳴し勝手ながら親近感を感じていた。

浩平さんが約20年前に見た競輪の世界におけるバブル期を象徴するようなエピソードを教えてくださった。

「奥さんが死んで保険金が降りたっていうおっちゃんが百万円の札束をいくつもバッグに入れてやってきたんですよ。賭け方が半端じゃなかった。札束を投げるような勢いで金を使っていた。当たったら取り巻きを連れて南銀(大宮駅前の繁華街)でどんちゃん騒ぎ。でも、そのおっちゃん、数ヶ月で消えましたね」

「どうしてそこまで競輪に人はハマるんですかね?」

全く競輪の魅力に無頓着だったボクは、競輪を愛する浩平さんに失礼な質問をしてしまった。

「競輪は他のギャンブルとは違って奥が深いんですよ。博打打ちの墓場や終着駅と言われるくらい、ありとあらゆるギャンブルを経験した人たちが最後にハマるのが競輪なんです。それは勉強すれば勉強するだけ儲かる可能性があるから。探究のしがいがある。まあみんな結局やられちゃうんですけどね。ボクもそんな競輪に惹かれたんです」

ボクは競輪場の一角の投票用紙を書く記述台の方に目を向ける。

真剣な表情で競輪新聞と向き合っているおっちゃんたちがいる。

競輪場や競馬場には、ワンカップを手にした酔っぱらいたちが集うしょんべん臭い場所という身勝手な先入観があったが、そんなものはこの大宮競輪場にはない。人の姿はまばらだが、その表情は真剣そのものだ。真剣勝負の狭間に味わう、グルメ。登山の時に山頂で食べるカップ麺が、おいしかったのを思い出す。戦いの場所で食べるという場所のシチュエーションも、さらにコタンのラーメンをここで戦うおっちゃんたちに愛される理由なのではなかろうか。

その時だった、”コタン”の店内まで聞こえるような、若い男性の声が響いてきた。

「さぁさぁ次のレース、行ってみよう!」

大柄な男性が、演題のようなものを前に、フェイスシールドをつけた状態で叫んでいる。彼の背後には、様々な番号の札がついたベニヤ版で作られた看板が屹立している。その周囲に、叫んでいる男性と倍は年齢が離れていそうな高齢の競輪ファンたちが取り囲み、男性の演説を聞いている。競輪場に来ること自体が初めてだったボクは、唐突に響き渡る大声に、驚いた表情を見せた。すかさず、浩平さんがボクに言う。

「君は競輪場は初めてかな? あの威勢のいいお兄さんは予想屋っていうんですよ。文字通りレースの予想をして教えてくれる人。1レース100円払うと、予想を書いた紙を渡してくれるんです。最盛期は、もっともっと予想屋もいたんだけどなぁ。若くて元気なのはあの人くらいだもんなぁ」

郊外の競輪場で、競輪という文化を楽しむもの。

その文化の灯火を未来につなげようと奮闘するもの。

ボクは競輪という文化を守ろうとするこの若いお二人に、いつの間にか強いシンパシーを感じるようになっていた。それは、ボク自身も関わっている映画が産業としての大きな岐路に立っているという実感を抱いているからだと思う。この競輪場という文化を守ろうとする彼らの話しが聞きたい。ボクは浩平さんが指差す予想屋の男性の方へ、自然と足を歩み出していた。レースを占う予想屋はこの先行き不明な社会の未来を、どのように予想するのだろうか…?

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住所不定 「映画」と「踊り」を探して

リアルに進む映画制作の記録。踊りの記録。

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太田信吾 映画監督・演出家・劇作家・俳優

1985年生まれ。長野県出身。早稲田大学文学部哲学専修にて物語論を専攻。処女作のドキュメンタリー『卒業』がイメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が世界12カ国で配給される。他に『解放区』(18年劇場公開)など。俳優として舞台・ドラマ・バラエティにも出演。2017年にはソウル市立美術館にて初のインスタレーション作品を発表するなど、ジャンルの垣根を超えて、創作活動を行っている。

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