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愛の病

2020.10.18 更新 ツイート

幸福について 狗飼恭子

 幸福と不幸について考えるとき、いつも思い出す人がいる。

 彼女は港区にあるタワーマンションの最上階に住んでいて、ほかにもいくつか不動産を所有していた。美人でスタイルもよく、爪も膝も肘も髪の毛一本にいたるまで完璧に手入れされ、いつ見ても新しい服を着ていた。どこにいくにもタクシーか運転手のいる車で異動し、飛行機に乗るときは必ずビジネスクラスだった。何十万もするブランド品を買って、飽きると可愛がっている年下の女の子に気前よくあげた。人にご飯をご馳走するのが好きで、プレゼントを贈るのも好きだった。「仕事が忙しい」と言うと、差し入れだよとお菓子を送ってくれた。

 そんな人だからいつもたくさんの人に囲まれていた。彼女のアドレス帳にはビジネス界の大物だけでなく、芸能人や文化人やアーティスト、海外セレブのものまでが登録されていた。誕生日には、誰もが知るアイドルからプレゼントを貰ったりもしていた。

優しい旦那さんと、それからたくさんの犬に囲まれて生活をしていた。二十代の頃にはじめた仕事は大成功を収めていて、日本のみならず世界各国にも支社を持っていた。その頃の武勇伝は本当に面白く、彼女が運だけではなく努力する性格と忍耐力をも兼ね備えていることを証明していた。

 でもわたしには、彼女はいつも不幸そうに見えた。
 もちろん人前にいるときはにこにこと微笑んでいるし、冗談も言うし、よく笑った。だから彼女が「不幸だ」なんて、わたし以外の人は思っていなかったかもしれない。
 

 

 彼女は努力しない人が嫌いだった。成功しない人は全員努力が足りないと思っていた。成功しても昨日よりも今日のほうが成長していなければならない、そう信じ込んでいた。実際、彼女自身も常に昨日よりもいい自分であろうとしていた。だから大抵の人は、彼女には「怠け者」に見えたのだと思う。彼女は友人知人や部下たちの愚痴を、よく口にした。

 彼女はときどき弱音も吐いた。「一人でいるのが怖い」と言った。過去や現在進行形の辛かった出来事を話しながら、泣くこともあった。夜は眠れないことが多く、薬も効かないと言った。心療内科にも通っていた。

 どうしてだろう。他者に憧れられるすべてを持っているのに、彼女はいつも悲しそうだった。
 そのうちに、彼女にもわたしが怠け者に見え始めたのだろう。わたしも彼女の不幸を受け止めるのがだんだんに辛くなって、そうしていつしか疎遠になった。もう随分長いこと会っていない。ときどきSNSで見かけるくらいだ。

 どんなにたくさんのものを持っていても人は幸福にはなれないということを、わたしは彼女のおかげで知ることができた。物やお金や人脈や美しさの量に、人を幸せにする力はない。

 今年は、誰にとっても辛い一年だ。
 美しく仕事の才能がありお金にも困っていないだろう人が命を絶ってしまうニュースがいくつか続いた。どうしてあんなに恵まれた人が、そういう声を聞くたびに胸が痛んだ。

 

 彼らは幸せではなかったのかもしれない、とわたしは思う。
 幸福とは、周りの誰かのせいでも環境のせいでもなく、ただ自分自身の内側の問題なのだろう。

 逆に言えば、物もお金も友達も美しさも持っていなかったからといって、不幸だとは限らない。幸福か不幸かは他者の目には計れない。ただただ自分次第だ。

 だから、あんまり自分にがっかりしなくていいのだ。あんまり他者に期待してもしょうがないのだ。それを知っているだけで、もしかしたら生き残ることができた人がいたのではないか、そう思うと悲しくてやりきれない。

 自分を甘やかしていい。いくらでも怠けていい。成長なんか、できるときにすればいい。命を賭してやるべきことは、この世の中には三つくらいしかない。そしてその三つがわたしたちにめぐってくる可能性は宝くじが当たる確率より断然低い。だから自分を追い詰める必要なんかないのだ。どうかそれを忘れないで欲しい。

 わたしのたった一つの願いは、どうか、みんな、生き延びてください。それだけだ。
「いつかまた会えると思ってた」
 その言葉は、もう二度と使いたくない。

関連書籍

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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