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愛の病

2024.05.11 公開 ツイート

旅をする母 狗飼恭子

 母の日のプレゼントに特別なセットを! 
 と、化粧品サイトからのメールが立て続けに届いて、でも読めなくてそのままゴミ箱へ入れた。

 わたしだって母に「特別なセット」をプレゼントしたい。だけどできないから、そのセットに何が含まれるかもあんまり知りたくない自分がいる。

 都心に住んでいたころは五月になると、花屋の前を通るたびにカーネーションを見て胸が苦しくなったものだけれど、今住んでいる村には花屋がないから良かった。

 

 母が他界してからもう随分経つのにまだ不在には慣れないものか、と他人事のように静かに思う。これは一生そうなんだろう。何度でも、母ともう二度と会えないことを思い出して少しだけ苦しくなるんだろう。

 以前読んだ本に、若くして母親を亡くすと皆に憐れんでもらえるのに、中年で親を亡くしても可哀想と思われない、というような記述があった。初めて読んだときまだ母は生きていて、しばらくして読み返したときには母はもう生きていなかった。同じ文章がそのときの状況によって違う感情を呼び起こさせるのだということを、まざまざと思い知らされる。わたしのことを、母を亡くした可哀想な子供だと思う人はあんまりいないだろう。むしろ、長く一緒にいられたほうだと言われるかもしれない。

 わたしはあんまり親孝行な子供ではなかった。
 言うことは聞かないし、相談もしないし、あっという間に家を出た。カーネーションをプレゼントしたことだって、ほんの数回しかなかったと思う。

 それでもたった一度だけ、母と二人きりで旅行をしたことがあった。
「どこでも連れていくよ。海外でもいいよ。ヨーロッパとか」
 と誘ったのに、母は、飛行機に長時間乗るのは嫌だと言った。じゃあどこ行きたいの? と聞いたら「旭山動物園」と答えた。ちょうど、テレビドラマか何かでその動物園のことを知ったばかりだったらしい。

 でもわたしは、なぜか長崎旅行を手配した。北海道には数回行ったことがあったから、知らない場所に行きたかったのだ。母のための旅行だったはずなのにいつのまにか我欲を優先してしまっていた。母になら、自分の欲を通してよいと思ってしまっていた部分があったのだろう。それを甘えと言っていいのかは分からない。今でも、どうして北海道にしなかったんだろうと後悔している。

 母は、長崎いいね、と言ってついてきてくれた。ハウステンボスの中のホテルを取ったのは、夜、園内のバーでフラメンコショーがあったからだ。なのに母は、疲れたからとさっさとベッドに入った。「一人で行っておいでよ」そう母は言ったけれど、結局わたしもショーを見にはいかなかった。母を一人にしないほうがいいと思った。

 でも本当にそうだったのかな。
 わたしにとっての母はいつも父と一緒にいるか、子供と一緒にいるかの人だった。でも、一人の時間も欲しかったかもしれない。考えてみれば、わたしが十八歳で一人旅を始めたときも、エジプトだのチュニジアだのエストニアだのに一人で行ったときもまったく反対されなかったし、むしろ、羨まれていたような気もする。

 ひょっとしたら母は一人旅がしたかったのかも知れないな。
 一人暮らしになった父は、母が生きていたころには考えられないくらい旅行に出ている。そのすべてに母の位牌を持って行く。魂だけになった母が父をそう仕向けてるのだとしたら愉快だな、なんてちょっと思ってみたりする。父は今月は八丈島に行くそうだ。

 旭山動物園に行ってみたら、と、今度父に言ってみようかと思う。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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