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愛の病

2024.04.08 公開 ツイート

だからうまくいくんだよ 狗飼恭子

 げっかあすいもくきん、と気付くとつぶやいている。
 もちろん、月曜火曜水曜木曜金曜、のことである。

 曜日感覚を必要としない人生を長年続けてきてしまっているので、気付くと、今が何曜日なのか分からなくなる。それで大きく困ることは今のところないので、分からなくてもいいのかもしれないのだけれど。

 しかし曜日がまったく分からなくなったときに人は社会性も失う気もする。気を抜くとひとりきりで延々過ごしてしまうタイプだから、社会性を失うときは、本当にひとりぼっちになってしまうんじゃないかと思う。

 

 げっかあすいもくきん、とまたつぶやく。
 ど、にち、がないのは、土曜と日曜には社会性はなくていいと思っているからかもしれない。明日は、すい、明後日はもく、ならば今日はかあだ、などと、曜日を覚えたばかりの子供のように、一日に何度も確認する。

 土日に休みを取るというようなルールからも外れているから、本当は、
 げっかあすいもくきんどにち、
 とつぶやくのが正解だろう。でもやっぱり、子供のころに刷り込まれた「土日は休み」という感覚がなかなか消えない。

 ところで、わたしには奥歯を強くかみしめる癖がある。
 歯の摩耗が激しいので、この一年半ほど夜用マウスピースをつけて眠るようにしている。そのマウスピースがそろそろ劣化してきたので新しく作り直して欲しくなり、久しぶりに歯医者へ行った。

 歯医者はわたしの口の中を点検しながら、
「ちゃんとマウスピースして寝ています?」 
 と、尋ねた。はい、と答えると、
「まだ歯を食いしばっていますね。起きているときもできるだけ歯と歯をぶつけないようにして下さい」
 と、言った。口の中に歯を食いしばる人特有の筋肉の発達があるらしい。起きているときに歯と歯をぶつけているつもりはまったくないので、はあ、と心もとない返事をする。

「口なんかね、一日中ぽかんと開けていていいんですよ」
 と歯医者は極論を言う。
 田舎に引っ越してきてストレスも減って、随分とぼんやり生きているつもりだったのに、まだまだ知らず知らず奥歯をかみしめて暮らしているのだなと思うと、鈍感なわたしは繊細な心と体に対して申し訳ない気分になる。 

 なるべく力を抜いて、毎日を。
 げっかあすいもくきん。
 と、またぼんやり呟いている。

 本当は曜日感覚なんかぽいと投げ捨てて、口をぽかんと開けて暮らせられたらいいのかな。でもそうなる前に、まだまだやらなくちゃいけないことがある。

 昔観た映画の、とても大切にしている台詞を口にしてみる。
「やらなきゃいけないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」

 うん。そうだね。
 もう少しだけ。歯を食いしばって。
 げっかあすいもくきん。どにち。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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