近くの農園に住んでいる犬は元々保護犬だった。
最初の飼い主に虐待されていたらしく、人間が怖くてすぐに吠える。体の大きな猟犬だから迫力がすごい。子供だけじゃなく大人でも怖い。
特に危険なのはご飯どきだ。その犬は食べ物に異様な執着を見せていて、食べ物を与えようとする人間に襲いかかってしまうのだ。
「きっとご飯をろくに貰ってなかったんだろうねえ」
と、農園に集うみんなはその犬のことを憐れむ。憐れめば憐れむほど、たくさんご飯をあげたくなる。しかしご飯を持っていくとすごい剣幕で吠えられてしまうのだ。
虐待されていた犬は可哀想だ。でも、優しくしようとする人たちにまで牙をむいているのでは、なかなかその犬を愛することができない。おやつをあげるときも、とてもじゃないけれど手のひらから食べてもらうことはできない。ぽいぽいと遠くから檻の中に放り投げる。犬は「人間から愛をもって食べ物をもらった」とは思えないだろう。だからまたすぐにわんわん吠える。
それをフードアグレッシブというのだと、知った。
犬が食事をしようとするときにそばにいる人に対して急激に怒り出すこと、を意味する言葉だ。
犬が農園に来てしばらくして、幸いにも食事を上手に与えることが出来るようになった人が二人できた。散歩に連れていけるのもこの二人だけだ。そのうちの一人がわたしの夫なので、わたしも犬の散歩に同行したことがある。犬は、わたしにはまったく興味なく、夫にだけ懐いていた。
わたしは、犬を飼うという名を持っているくらいなのでそれなりに犬は得意な方なのだが、その犬とはまだ仲良くなれていない。犬は敏感だ。嫌いなわけではないのですぐに吠えられるわけでもないのだが、わたしが犬と遊ぶのに飽きたり早く帰りたいなあと思ったりすると吠えられてしまう。わたしが帰るときは犬の大好きなうちの夫も帰る時間だからだ。三角関係に近いかもしれない。同じ種だったら友達になれないタイプだ。
元々わたしはそこまで食事に執着しないから、フードアグレッシブであるその犬の感情も理解し難い。わたしが一番仲よくしている別の種であるところの飼い陸亀も、そんなに食事に執着しない生き物だ。だからこそ気も合うし、分かり合えているように思える。
うちの飼い陸亀は、ご飯よりも睡眠が好きだ。遊んでいるのは一日一時間くらいで、それ以外はほぼ眠っている。飼い陸亀は「睡眠アグレッシブ」だ。
わたしもそうだと思う。ご飯を貰えなくてもそんなに怒らないけれど、睡眠を奪われたら牙をむく。激しくわんわん吠えるだろう。
ただ、わたしも飼い陸亀も、生きられないほどの空腹を感じたことがない。だから、農園の犬のほんとの辛さを理解できていない。あの子だっていつでもご飯が食べられる犬生を送っていたら、睡眠アグレッシブな子に育っていたかもしれないのだ。
睡眠アグレッシブでいられるのはきっと、幸せなことなのだ。
今年、村は雪が多かった。夫は新しく買ったiPhoneで、最高画質の犬の動画を撮ってくる。犬は農園に来たばかりの頃よりもだいぶ太った。雪の上を、重い体で嬉しそうに跳ねている。ご飯食べ過ぎだよ、そう思うけれど、ちゃんと食べられるようになって良かったね、とも思う。
それからいつか、一緒にお昼寝してみたい、とも思う。
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愛の病
恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。