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愛の病

2020.11.15 更新 ツイート

出・東京記(はじまり) 狗飼恭子

 来年、住んでいるマンションが取り壊されることになった。
 だからずっと引っ越し先を探している。今まで十件以上の家に暮らしてきたけれど、そろそろ終の棲家を探す頃なのかもしれない。

 わたしは次は、海の音を聞きながら生活したいと思っている。夫は、山でたくさん植物を育てたいと言う。とうとう東京を離れるタイミングが来たらしい。

 とはいえわたしも夫も東京に行かねばならないことは多い。だから東京日帰りができる場所が望ましい。できたら交通費も抑え
 たい。海があって山があって庭か畑を借りられて、東京からそう遠くない場所。そんな都合の良い場所があるだろうか。

 と思ったら、あった。

 

 不動産屋のHPを見るのが日課になった頃、その家は現れた。築は五十年以上だが、うろこ壁が好みだ。しかも家賃は東京より断然安い。二週間後に内見の予約をして、わたしたちはわくわくとその日を待った。ついに東京以外に住まうのか、そう考えると、希望や小さな怖さや寂しさや、さまざまな感情が浮かんでくる。北関東の田舎から出て来て二十五年以上、東京に住まなかったら出会えなかったたくさんの人々と出来事と経験に胸を熱くし、感謝とともに反芻し続けてたある日、不動産屋から電話が来た。内見キャンセルの連絡だった。数日前に内見した人が、すぐに決めてしまったらしい。

 わたしたち以外にもあの家を好きな人がいたのか、という当たり前のことに気付き愕然とした。失恋したみたいな気分になって、そのあとは、どんな物件もあの家ほどの魅力はない、などと考えてばかりいた。

 それが今年の一月の話。
 その後、世界はすごいスピードで変化した。出社しなくてもいいという会社が増え、人が集うことを制限され、東京を離れようという人たちが増えた。山を買うブームもあったりするらしく、郊外住居の人気があがった。これいいな、と思ってブックマークした家が、次の週には商談中になっていたりする。

 そうなるとこちらも状況は変わってくる。駅まで歩ける距離がいいとか東京まで電車で二時間以内とか考えていたのに、それもどうでもよくなってきた。最近は、駅からバスで九十分とか、東京まで電車で五時間、なんて物件にまで目を通している。販売価格九十万円の一戸建てや、山付きで三百万円なんてものまであったりして、だんだんいろいろ麻痺してきた。

 わたしは築百年とか大正時代に建てられたとかいう文言にときめくようになり、夫は古い家を自力で修繕する方法を調べ始めた。ピザ窯付き、茶室付き、アトリエ付き、温泉付き、五右衛門風呂付き、テニスコート付き、陶芸炉付き、などの家もあった。

 元高級ホテルという物件にはさすがに手が出なかった。元蕎麦屋に住むのは面白そうだった。果樹園付きの家もあった。茶畑付きの家を見つけたときは、お茶農家として生きる道も本気で模索した。蔵付きの武家屋敷には今でも惹かれている。元郵便局という物件も面白そうだ。郵便局をどう使えばいいのかはまだ分からないけれど。

 住む場所が変わると人生は変わるだろう。わたしの人生はたぶん、来年、大きく変化する。
 これから新しい家を見つけるまで、ときどきこうして書き記そうと思う。出・東京記のはじまりだ。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

好きな人の前で化粧を手抜きする女友達。日本女性の気を惹くためにヒビ割れた眼鏡をかける外国人。結婚したいと思わせるほど絶妙な温度でお風呂を入れるバンドマン。切実に恋を生きる人々の可愛くもおかしなドラマ。恋さえあれば生きていけるなんて幻想は、とっくに失くしたけれど、やっぱり恋に翻弄されたい30代独身恋愛小説家のエッセイ集第3弾。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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