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おとなの手習い

2020.09.11 更新 ツイート

不眠、疲労感、やる気が出ない…これからが心配な「コロナうつ」香山リカ

(写真:iStock.com/​evgenyatamanenko )

新型コロナウイルス感染症は、本当にやっかいな病気だと思う。感染そのものは落ち着いても、「コロナストレス」による心の症状は、そのあとからやって来るからだ。

 

週に1日だけ診療をしながら勉強させてもらっている総合診療科は、2月頃から病院全体のコロナ対応外来を引き受けることになったが、最近は比較的、静かな雰囲気だ。コロナ感染を疑わせる人や後遺障害に悩む人は切れ目なく受診するのだが、医師も看護師も、胸部CTを撮る放射線技師も検査や診療の進め方になれてきて、コロナの診療と非コロナの診療をしっかり分けて並列して進められるようになってきたように見える。

ただ、「いまは受診者も比較的、落ち着いている人が多いけれど、秋から冬にカゼやインフルエンザを併発するようになったらどうなるのかな」などと言いながら、一寸先は闇、という状況が続いていることは変わりない。

それより、最近は古巣の精神科診療の方に、コロナの影響で調子を崩した人が多く訪れるようになってきた。初診の患者さんよりも、いったん通院を“卒業”したはずの人が数年ぶりに来院、というケースが目立っている。

4月や5月頃、さかんに「コロナうつ」などと言われていたときは、実はそれほど「コロナうつ」のような人はやって来なかった。それはなぜか。ちょっと説明してみよう。

緊張の渦中では、野生の草食動物が肉食動物の襲撃を警戒するときのように、からだも心も臨戦態勢となる。具体的には、交感神経系の活動が活発化してアドレナリンの分泌は増え、テンションは高まることが多い。

マスクや消毒薬が不足し、ウワサの流布によりトイレットペーパーやテイッシュペーパーまでが店頭から消えたりしていた頃、「なんとかしなきゃ」と何件もドラッグストアやスーパーを回った人もいるのではないか。私も当時はたまたま寄ったコンビニにマスクがあるのを見つけただけで、手持ちがあるのに「あった!」と妙に高揚したのを覚えている。いま思うと異様な心理状態だ。

ただ人間、そういう臨戦態勢をいつまでも続けられるわけではない。

1930年代、医学者のセリエは、材料力学の用語であった「ストレス」を生体の反応にあてはめ、ストレス理論を作った。その中でセリエは、ストレスの原因つまりストレッサーにさらされたときの生体の反応は、「警告反応期」「抵抗期」「疲はい期」へと進行していくと仮定した。

最初の警告反応期では、からだはストレッサーに対して警戒態勢を取り、自分を防御する。それが長引くと、からだ自身の抵抗力も加わり、ストレス反応とうまくバランスを取りながら、外界からのストレッサーに対応しようとする。しかし、それがさらに長引くと、抵抗力が弱まり、臨戦態勢のときに起きた臨時の反応が今度は自分自身を痛めつけるようになる、というのだ。

セリエのこの仮説は100年近く前に作られたものだが、最近の診察室で私はしみじみ、「ああ、これがセリエ先生が言った“ストレス反応の疲はい期”か」と思っている。そういう患者さんが多いからだ。

個人的な部分には大きく変更を加えて、典型的な例をあげてみよう。

数年ぶりに来たある女性は、以前はうつ病に苦しんでいた。しかし、服薬の効果とある趣味に出会えたことで少しずつ元気を取り戻してきた。いま仮にその趣味を陶芸ということにしておこう。以下は診察室での会話だ。

「先生、また前のように夜、眠れなくなってきました。考えもうまくまとまらないんです」
「そうですか。陶芸の方はまだ続けてらっしゃるのですか? コロナで教室はお休みですか?」
「陶芸はずっとやってます。春は一時、休会になったのですが、6月から再開されました。そう、久しぶりにろくろを回せるようになったんですよ。でも……」

彼女が言うには、感染対策で陶芸教室は完全予約制となり、1回の滞在時間も限定されるようになった。もちろん、共有で使うろくろなどはそのつど消毒、教室での会話も原則は禁止となっているのだそうだ。

「私にとって陶芸は、気が向いたときにふらりと寄って、時間を気にせずに一心に粘土をこねたりろくろを回したりする、というのがよかったんです。完璧主義な性格から解放される感じで。でも、いまの陶芸教室こそまさに完璧主義で、これじゃ行ってもストレスがたまる一方なんですよ」

「そうそう」と私は思い出した。この人はもともと自分にも他人も厳しく、ゴールに向かって努力し続ける完璧主義の面があり、それが自分で自分を追い詰め、うつ病につながったのだった。

「もしかすると」と思ってきいてみると、やはり家ではコロナの感染予防のため、徹底的に消毒、手洗いなどを心がけているようだった。食料品の買い物と陶芸教室以外、外出もほとんどしていないという。外食もせずテイクアウトさえ利用せず、ひたすら家族の分の食事を作り続けているとのことだ。

「たいへんですが、仕方ないですよね。なんとしても感染だけは避けたいですし」

彼女の場合も、最初は「これはたいへん」とからだが警告反応期に入り、さまざまな脳内化学物質やホルモンがいつもより分泌されて、消毒や自炊に集中していた。数カ月続くうちに、それはある程度、定常化され、「抵抗期」が続いた。

ところが、それも半年近くになると、もう続かなくなってくる。彼女の場合、そういう状態になりかけたときにようやく再開されて逃げ込んだ陶芸教室までが、さらにストレスを強いることになった。そこで一気に、からだも心も「もうダメ」と疲はい期が始まってしまったのだ。

また最近の研究では、ストレスに対抗するために分泌されるコルチゾールというホルモンが過剰になると自分の脳をジワジワと傷つけ、それがうつ病を誘発するのではないかという仮説もある。彼女を見ていると、まさにその仮説通りのプロセスでうつ状態が始まったのではないか、とも思えた。

「コロナにかからないように、というあなたのまじめな取り組みが、あなた自身を追い詰めてしまったのですね」と説明すると、彼女はすぐに「私もそう思います」と同意した。

問題は、ではどうすればいいか、ということだ。セリエ先生なら、「とにかくストレッサーから離れなさい」と言うだろうが、この場合、新型コロナウイルス感染症がストレッサーなのだ。そこからすぐに離れることはできない。

だとしたら、どうするか。本来なら私はこう言うだろう。

「すぐに手放せるのは、あなたのそのまじめさですね。もうちょっと手抜きしてリラックスし、ストレスによるホルモンがどんどん出るのを抑えられるようにしましょうね」

しかし、この場合はそれもむずかしい。なぜなら、「コロナ禍での手抜き」とは、手洗いをやめる、マスクをしない、気にせずに会食に出かけて大声でしゃべる、などだからだ。それは確実に感染の危険を伴うので、医者が勧めるべきものではない。しかも、彼女は少しでもリラックスしようと思い、陶芸教室にも通っているのだ。それがさらにストレス源になっている、というのだから、もう手の打ちようがないではないか。

「ううん」と私は頭を抱えてしまい、こう言うのが精いっぱいだった。

「少なくとも、いまの厳重警戒体制の陶芸教室は、あなたにとってリラックスの場ではないようですね……」

そして、ちょっと方向性を変えて、感染予防にがんばってきたことを十分、評価することにした。

「それにしても、よくがんばってますよ。外食を控えて全部、手作りの料理だなんて。ご家族もお幸せですよね」

すると、彼女はこう言った。

「それが、夫も子どもも、むしろ不満げなんですよ。焼き肉屋に行きたい、ファミレスに行きたいって。私としては、もう少し感染の状況が落ち着かないと、安心して家族でそういうお店に行けないんです」

ああ、そうか、と私は気づいた。彼女の場合、せっかく感染対策を完璧にこなしているのに、誰もそれをほめてくれないどころか、不平や不満を言われるということが、さらなるストレスになっているのだ。

よく聞くと、夫はかなり無頓着で、休日には会社のお得意さんとのゴルフにも行き、帰りにはサウナも利用しているのだという。「心配だからやめてほしい」と言うと、「ちょっと神経質すぎるんじゃないか」と不機嫌になり、険悪ムードが漂うのだそうだ。

今度の首相候補の一人の政策の柱は「自助・共助・公助」だそうだが、コロナに関しては「ひとりひとりが感染予防を」と「自助」の部分が強く求められる状態が、長く続いている。とくに日本では、「家庭のことは母親の責任」という色が濃く、女性たちは「子どもや夫、高齢の親を感染させないようにするのは自分のがんばり次第」といつの間にか思い込み、いくつもの決まり事を自分に課し、気の抜けない生活を続けている。

しかし、何度も言うように人間のからだはいつまでも臨戦態勢に耐えられるほど、強くはできていない。強いストレス下でどんどん体内で産生され、放出された伝達物質やホルモンが、今度は自分の脳などの臓器を標的にして痛めつけているのだ。おまけに、いまは外にも逃げ場があまりない。

とはいえ、「じゃ感染予防はもうやめて」と言えないいま、できることがあるとしたら、せめて家庭内では「あなたもがんばってるね」とほめ合ったり「今日は料理は自分がやるから、ちょっと休んでて」と役割を請け負ったりするくらいではないだろうか。

コロナを心配して受診する人たちはやや落ち着きつつあるが、おそらく本当の意味での「コロナうつ」や「コロナ燃えつき症候群」の人は、これから増えるのではないだろうか。精神科医としては今こそ「気をつけて」と呼びかけたいのだが、「そうならないためにはこれとこれをして」とあげられる項目が少なくて、少々あせっている。

もし、これを読んで「私もそうかも」と思った女性、とくに妻や母親という立場の人がいたら、ぜひ夫にこのコラムを見せて「よくやってるね、ありがとう、とちゃんとがんばりをほめられることが、コロナうつの予防策なんだって」と伝えてほしい。見せられた夫のみなさん、よろしくお願いします。
 

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ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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