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オオカミ少女に気をつけろ! ~欲望と世論とフェイクニュース

2019.12.01 更新 ツイート

リアル世界がSNSしぐさになってゆくヤバい人たち泉美木蘭

人との会話は“視界をシェア”して終わり

旅行に出かけた、レストランで美味しいものを食べた、珍しいものを見た、楽しいイベントに参加した――。人はいろんな体験をするが、その体験の内容をどのくらい人に説明し、語ることができるだろうか。

(写真:iStock.com/LewisTsePuiLun)

スマホが主流になってから顕著になったと感じるのは、会って話をしている時に、「自分の体験したことや記憶を、言葉で語る」のではなく、足を運んだ先でスマホで撮った写真などを見せながら、「自分の視界の一部をシェアする」だけの人が増えたことだ。

ある人が、連休に石垣島に行ってきたと言って、自分のスマホに写真を表示させ、それを紙芝居のように次々とスワイプしながら話しはじめた。その語り口調はこうだ。

 

 

「このビーチはきれいだったよ。ここもきれいだった。ここも。青いでしょう。ほら青いんだよ。これは船の上。ここでダイビングした。ダイビング終わった。こんな花咲いてた。これも花。これはホテルのレストラン。これは美味しかった。これマジウマかった。ホテルのバー。こんな感じ。これは夜の風景。これも夜。朝はこんな感じ」

 

一応「きれいだね」「青いね」と相槌を打って付き合うのだが、その写真の思い出を楽しんでいるのは、写真を見せている本人だけ。聞いているこちらは「そりゃよかったですね」としか感じられず、ちっとも面白くない。

挙句、見せたくない写真でも出て来たのか、「あ、これはダメ!」なんて言いながらスマホを引っ込めて、見せられない部分を早送りしはじめる。むしろ、そのマズイ写真のほうを見せて楽しませろ、と言いたくなってしまう。

ただ、「マズイ写真を慌てて隠している人」という図のほうがよっぽどヘンで、写真そのものは、実は本人が気にしているほどどうってことないということが多いものだ。

なんだかまるで、インスタグラムやフェイスブックでシェアされた「見せたい私」の写真を見せられているような気分である。せっかく会って話しているのに、一方的で、そこに「私」しか存在しておらず、なんだかコミュニケーションしている実感がない。SNSの延長のようなのだ。

 

スマホでぱちぱち撮った写真は、その人の中だけにある思い出の、ほんの断片でしかない。それを他人に見せながら楽しむならば、この写真の青い海のスケール感や空気感はどうだったか、ダイビングではどんなものを見たのか、この風景の中でなにを感じたのかなど、自分が行って見て体験した実感をもっと言葉で語るという会話が必要だ。

それがないと、聞いている相手は写真から想像を膨らませて楽しむということができないし、興味を持ったり、共感したりすることもできない。むしろ一方的でウザい、ということになってしまうのだ。

 

「ヤバい」の頻度がヤバい

ただ、どれほどつまらなくて地獄のような時間でも、会話が途切れるのは気まずいので、「天気良さそうだね、気持ち良かったんじゃない?」と聞いてみる。すると返事はこうだ。「うん、ヤバかった!」。

「南国の花ってすごい色なんだね」「うん、きれいでヤバいって感じ」「このホテル、かなり豪華だね?」「うん、ヤバかったよ~、部屋もマジヤバくて」「うわあ、ヤバいね! 料理もすごいじゃん」「うん、特にこの肉。こんな感じでさ」「うわ、ヤバー。夜景もヤバいね!」「ヤバいでしょ、これも見て。ヤバくない?」「えー、ヤッバー!」「ヤバいでしょー?」「ヤバいよヤバいよー」

見事な出川哲朗化現象である。どんな風景も、どんな感情もすべて「ヤバい」なんて、ヤバすぎるだろう。でもこの手の会話がゴマンと存在する。

もちろん「ヤバい」に値する出来事もあるが、「楽しい」も「開放感を味わった」も「豪華なホテルに気持ちが華やいだ」も「ステーキに舌鼓を打って満足した」も「夜景に心が安らいだ」も、それぞれ別の出来事であり、別の感情だ。それなのに、その違いを言葉を使い分けて表現することがなく、すべて反射的に「ヤバい」という3文字で済ませてしまうのである。根本的に、語るための語彙が失われているのかもしれない。

逆バージョンで「ビミョー」もある。「あの映画どうだった?」「ビミョーだった」「体調は?」「ビミョー」「来週は会えそう?」「ちょっとビミョー」。

大人向けの語彙力本。それほど自分の語彙力不足を「ヤバい」と感じる人が多いのだろう。

語彙力の問題は近年注目されており、大人向けの語彙力ドリルなどが数多く出版されている。

ただ、写真をシェアして見せて「会話の代わり」にするような手段があまりに日常的になったことで、もはや感覚を言葉で的確に表現する機会そのものが激減してしまった人が多いのではないだろうか。そうなると、語彙そのものが必要なくなってしまう。

 

リアルな反応までスタンプ

語る側の語彙の不足もさることながら、聞く側の反応の不足にも拍車をかけているのが、SNSの「いいね」ボタンや、LINEスタンプなどだと思う。

つまらない会話や写真が送られてきても、一応友達だったり、気を遣う相手だったりすれば、一言二言は反応しておこうという気持ちはある。ところが、そういう社交辞令すらも極限にまで簡略化して、なおかつ角が立たないように「同調」だけを示しておくためのツールが、「いいね!」やキャラクターのスタンプだったりする。

やりとりを楽しく演出したり、感情を表現したりするために使う場合もあるが、私には、ただ「とりあえずの反応」をするために使っておくことがかなりある。「ヤバい」「ビミョー」の反射的な返答とおんなじだ。

一見、同調しあっているようでいて、実は一切コミュニケーションが成立していないやりとり。これってどうなんだろう。どんどん人間を簡略化している気がする。

 

スマホの写真機能は使えても“体”験できない

言葉を使って相手に語る機会が減ってしまうと、今度は、自分の体験や感情を、自分でこまやかに認識するということ自体ができなくなっていくのではないかと思う。

東京駅の赤レンガ駅舎を見下ろせるビルのテラスで景色を眺めていた時のことだ。20代前半ぐらいの若い女性2人組が、スマホを片手に「ここヤバーい!」と言いながらテラスに出て来た。

まずは駅舎を写真に撮り、そして、撮れた写真を各々がスマホをつついて調整。できあがった画像をお互いに見せあった後……帰って行った。肉眼でじっくり駅舎の様子を眺めたりはしないのだ。彼女たちに駅舎を見た感想を聞いても、なにも答えられないと思う。

インスタ映えするかどうかのほうが重要な時代だし、そんなものなのかもしれないが、実際、特に若者には、自分の体験を説明できない傾向が出ているらしい。

知人の元大学講師によれば、スマホを使って自分の見てきたものを人にも見せようとする学生に、「それできみはこれをどう思ったの?」と説明を求めても、言葉につまってしまい、自分自身が体験したことなのに、戸惑ったような表情を見せるケースがあるという。

そのうち、海外旅行の写真を人に見せておいて、「これはどこの国?」と聞かれたら答えられない、なんていう人も現れるかもしれない。

臨床心理学の研究では、このような若者の語りの乏しさには、脳の前頭葉の機能低下が相関しているのではないかという見方もあるようだ。だとしたら、感性だけでなく、すでに肉体が老化、いや退化していることになってしまう。

あまりにたくさんの情報があふれるネット生活、その一部には、言葉で語らずやり取りする手段はあってもいいと思う。でも、そればかりが主流になっていくと、どんどん人間は反射的な動物になって、機能そのものが衰えてしまうのではないか。

面倒に思っても、できるだけ言葉で語る意識を保っていたいところだ。リアル世界での“SNSしぐさ”に、ご注意を。

 

(参考文献)鍋田恭孝『子どものまま中年化する若者たち』(幻冬舎新書)

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オオカミ少女に気をつけろ! ~欲望と世論とフェイクニュース

嘘、デマ、フェイク、陰謀論、巧妙なステマに情報規制……。混乱と不自由さが増すネット界に、泉美木蘭がバンザイ突撃。右往左往しながら“ほんとうらしきもの”を探す真っ向ルポ。

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泉美木蘭

昭和52年三重県生まれ、作家、ライター。日々、愛しさと切なさと後ろめたさに苛まれている不道徳者。社交的と思わせて人見知り。日頃はシャッターをおろして新聞受けから世間を覗いている。趣味は合気道、ラテンDJ、三浦大知。

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