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愛の病

2019.10.17 更新 ツイート

Sさんの素晴らしい人生・後編狗飼恭子

 わたしとSさんは相変わらず、顔を合わせても話をしなかった。それでも恋愛報告メールは届いた。
 正直、そんなに珍しい種類の恋愛でもなかったから、わたしはそのメールを読んでも「ふうん」としか思わなかった。彼の職業の話のほうがよっぽど聞きたかったけれど、彼はわたしへのメールに彼女とのことしか書かなかった。


 だいたいどのメールも同じ内容で、こんなことをした、こんな話をした、彼女にはこう告白したけれど、受け入れてはもらえなかった、というものだった。だから毎回、返信には悩んだ。
 メールを読むたび、きっと彼女は彼を好きじゃないんだろうと思った。けれどさすがにそうは書けなかった。なにせ、彼にとってはほぼ初めての恋なのだ。最初のメールから数年経ち、彼はすでに三十歳をいくつか超えた年齢になっていた。

 


 しかしある時のメールから物語は急展開した。
 彼女が彼の家に居候することになったというのだ。彼女は住んでいたアパートをなんらかの理由で追い出されたらしい。一緒に住み始めて数日後、彼は我慢しきれなくなって彼女に迫ったけれど、拒絶されてしまった。でも彼女は出て行かなかったそうだ。


 彼女はそして酔っぱらって帰ってきたある日、彼にキスをした。彼女の方からのキスだ。彼にとって初めてのキスでもあった。彼女は泥酔していて、キスをしたあとすぐに自分の部屋に入って眠ってしまったそうだ。
 彼女はどういうつもりなんでしょう、彼は書いていた。


 それはひょっとしてずるい女かもしれない、とわたしは思った。Sさんを誰かの代わりにしたのだろう。けれど、そうは書かなかった。相変わらず、良かったですね、進展しましたね、なんて中身のない返信をした。
 彼女と彼の関係は、変わったり変わらなかったりしながら、でもずっと恋人未満だった。


 そしてさらに数か月が経った。
 彼から、彼女とついに結ばれたという報告メールが来た。まだ彼女の気持ちは一〇〇パーセント彼のものではないようだったが、彼自身は、彼女と結婚したいと思っているとメールには書いてあった。


 良かったですねおめでとうございます、と返信したけれど、そのあたりで、わたしはなんだか大変奇妙な気分に囚われていた。よく知らない男性の恋愛についてなぜこんなに知らなければならないんだろう、と思ったのだ。
 そんなわたしの気持ちが通じたのか、彼からのメールは途絶えた。わたしは全く気にせずに毎日を過ごしていた。その後の飲み会で一度だけ彼に会ったけれど、顔と顔を合わせただけで、やっぱりほとんど話をしなかった。MC的な人に恋愛について聞かれても、Sさんは「いやあ」とかなんとか言ってはぐらかした。


 それからさらに一年が経って、彼が亡くなったことを知った。
 ある日突然倒れてそのまま息絶えたらしい。Sさんらしい、静かな死だった。


 久しぶりに開かれた飲み会でそれを聞いた。そんなに多く会っていたわけではない人だから、彼がもうこの世界に存在していないということに、まったく実感がなかった。
 彼の恋はどうなったただろう、と思った。二人は恋人同士になったのだろうか。ならなかったのだろうか。なったけれど終わった可能性もある。ひょっとしたら違う人に新しい恋をしていたかも。彼からのメールはもう届かないから、わたしにはそれを知るすべはない。


 みんなに言いたかった。
 彼は、童貞のまま死んだんじゃなかったよ。別にだからどうってこともないけど、セックスすれば偉いなんて、世界最高の幸福だなんてぜんぜんぜんぜん思わないけど、でも彼は少なくとも一度は、結婚したいほど好きな女と寝たんだよ。


 だから、早かったけど、早すぎる死だったけれど、彼の人生はそんなに悪くなかったよ。
 でも言わなかった。


 代わりに一杯お酒を飲んで、彼のメールの妙に堅苦しい文体を思い出して、そして黙った。
 わたしは彼の平凡な恋をきっと忘れないだろう。
 彼がわたしにメールを送り続けた意味が、ようやく分かった。 

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狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」などがある。最新刊は、『遠くでずっとそばにいる』(幻冬舎)。デビュー作『オレンジが歯にしみたから』がノンカフェブックスにて復刊。中田永一原作「百瀬、こっちを向いて。」で脚本を担当。オフィシャルブログhttp://ameblo.jp/inukaikyoko/

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