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僧侶、家出する。

2019.07.06 更新

第5回

人生はご縁・無常・ファンタスティック稲田ズイキ

京都のお寺の副住職で、コラムニスト・編集者としても活躍中の稲田ズイキさん。そんな僧侶が、なんと「家出する」と宣言。この連載は、「僧侶」に虚無を、「寺」に閉塞感をおぼえた27歳の若い僧侶が、お寺を飛び出し、他人の家をわたり歩き、人から助けられる生活の中で、一人の人間として修行していく様子をほぼリアルタイムに記録していくというものです。気になった人はどうか、稲田さんをお家に泊めてあげてください。

*   *   *

家出生活、50日目。今は長崎県から東京へ向かう飛行機の中でこの原稿を書いています。

そうです。ついに出家家出坊主、九州に上陸しているのですよ! たった3日間の九州旅なのですが、フォロワーさんに博多を案内してもらったり、エンタメショーの舞台に立ったり(?)、濃いめの毎日を過ごしています(カオスすぎるので九州での出来事は後にまとめます)。

 

で、人に会って何をしているのかというと、ず~~~っとお話ししているんです

宿泊した家々で、朝も昼も、時には夜中3時まで話し込んでいます。

 

もともと僕は原稿を夜中に書く習性の動物だったので、仕事が進まないったらありゃしない! そりゃ、毎週連載が隔週連載になったりするよね(煩悩)。

 

ということで、更新ができなかった分、かなり遡ってしまうのですが、ここ3週間前くらいの話です。振り返るべきことが多すぎて一回でまとめられないので、徐々に小分けして出していきますね。

 

 

傾聴ってなんなのだろう

人の気持ちって分からないものです。

 

「なにその突然のセンチ」って感じだけど、続ける。

 

「人の気持ちを理解しなさい」とか「相手の心に寄り添いなさい」とか、巷ではよく言われるけど、他人の気持ちを想像することほど難しいものってなくない!?

 

しかも、僧侶はジョブの性質からか、普通の職業よりもそんな「心のリスニング能力」が求められがち。

 

はてさて、僕が「繊細」という言葉から最も遠い人間だということは、一目見ただけでも分かるのではないだろうか。

底抜けのデリカシーのなさだけは一貫して27年間生きてきたようなもの(でも自分の心には誰よりもセンチメンタル)。

 

もしかしたら、知らない間に誰かを傷つけてしまっているかもしれない。差し出された傷にむちゃくちゃ塩を塗ってしまっているかもしれない。

そう思うと、自分が許せなくて、いたたまれなくて、もっと他人の心に寄り添える人間になりたいと思って、他人とともに生きる修行として家出生活を開始したのだった。

 

ところが、どうだろう。

 

依然として君臨し続けるデリカシーのなさ。呆れる。

 

ついつい相手の悩み相談に余計なことを言ったり……

気づけば延々と自分が悩み相談していたり……

時には「実は恋してまして……」と誰も期待してない恋バナを繰り出したり……

(そもそも他人の家に転がり込む生活をしている時点で、一定のデリカシーは捨てていることにそろそろ気づかないといけない)

 

だから、最近心がけているのは「傾聴」の姿勢。僧侶っぽいよね。

喋りたい気持ちを押し込めて、相手の悩みに寄り添う。それが自分に足りないものなんじゃないかと思っていた。

 

でも、あるお坊さんからこのような話をされたのだ。

 

「最近、お坊さんには傾聴が大事って言われること多いけど、どうなんやろな」

 

(一泊して朝勤行を一緒にさせていただいた。)

 

そう言っていたのは、6月11日にお家に泊まらせてもらった池口龍法さん。

おそらく今日本で一番面白い寺院、京都の龍岸寺の住職で、仏教の未来に挑戦するフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の創刊編集長である。

これまで仏教界で数々の革新を生み出してきたお坊さんらしさに溢れる発言だった。

 

なぜ仏道を歩むのか?

 

「傾聴」という言葉を聞き、ふとこの修行中に、とある心理カウンセラーの方とお話したことを思い出した。

カウンセラーは患者の声に耳を傾け、モヤっとした感情を解きほぐしていく。まさに傾聴のプロだ。

 

ちょっとした興味で、その方に「カウンセリングされた患者さんは幸せになって退院されていくんですか?」と聞いたとき、このような言葉が返ってきた。

 

「どうなんですかね……幸せになった人と不幸になった人の割合でいったら、不幸になった人の方が多いんじゃないでしょうか?

 

回答に驚いた。

カウンセリングは、何かしら「しんどい」と思っている人がカウンセラーとの応答を通じて、しんどさを自力で言語化させていく作業であるがゆえに、自分の心に向き合うこと自体に苦痛が伴い、心がさらに病んでしまう方もいるのだという。

 

「何事も傾聴が大事!」とのたまう世間の風を吹き飛ばすくらい、なんともリアルな事実だった。

 

ボヤァとした『しんどさ』を抱えているくらいの方が人は幸せなんじゃないかな

 

えっ、そこまで言っちゃうの?

つまり、原因を究明するよりも、漠然とした「しんどさ」を感じていたくらいの方が幸福度が高いのではないかということ。

 

「カウンセリングの存在意義」を揺るがすような問いに立たされているカウンセラーさんの姿に、「仏教を伝えたら本当に人は幸せになるのか?」と悩んでいる自分が映った。

 

なぜ仏道を歩むの?

 

そんな問いを続け、毛細血管全てに意思を宿らせないことには、自分の行動に責任を取ることなんてできないのではないか?

 

池口さんから「傾聴」に対する問いを受けて、そんなことを思い出していた。

むやみに「僧侶なんだから傾聴しないといけない」と思い込んでいたのが事実だったからだ。

 

とにかくこれまでの僧侶としてのロールプレイからは離れて考えてみる必要がある。

僧侶以前に、僕は僕なのですから。僧侶のロールプレイはドラクエだけでマジ勘弁だ。

 

ラ・ラ・ランド的世界観がダライラマと僕をつなぐ

とはいえ、相手の心を理解したくないわけではない。

このどうしようもないデリカシーのなさからは解脱したい。

 

脳裏に焼き付いている言葉がある。

 

ダライ・ラマは、相手と自分の心を入れ替えなさいと説く

 

そんな一節だ。

 

この言葉を教えてくれたのは、仏教の聖地ブッダガヤにある仏心寺というお寺(宿坊)で住職をされている日本人僧侶の清水良将さん。10年間もインドに滞在されて、海外の僧侶と交流しながら修行を続けられている。

 

僕が大学院を中退してニートになり、1ヶ月のインド旅行に出た際にお会いして以来、約2年半ぶりに日本でお会いすることになった。6月15日のこと。

 

初めてその言葉を聞いたとき、「えぇ! そんなことできるの?」とシンプルに意味がわからなかった。心を入れ替えるって、まじヤバイラマじゃないですか。

 

お話の中で、再び耳にしたその言葉は「人の痛みをもっと理解したい」と悩んでいる自分には身に沁みる言葉だった。

 

「相手と心を入れ替える」

 

一体どういうことなのだろう。

脳裏に焼き付いていた言葉だけど、この家出生活を続けていく上で、おぼろげだがその輪郭を掴めるような感覚がある。

 

人と話していると、時たまに「もしかしたらこの人は自分だったかもしれない」と思う時があるのだ。

 

同じような感覚としては、映画『ラ・ラ・ランド』の最後のシーンだ。

僕らが生きているこの「今」は、「今」にはなっていないまた別の「今」とともに存在していることを描いていた。

たとえば、家出僧侶をしている自分の「今」は間違いなく、家出をして僧侶であり続けるが、その別の世界線には家出をしない自分もいるし、はたまた僧侶にもなっていない自分もいる。

そして、どの世界線にたどり着くかは誰にもコントロールすることができず、刻々と時間の経過とともに無数の世界線が生まれ続けているということだ。

 

ハァ? SFの話?

 

って感じだろうけど、そんな世界観をリアリティをもって認識できるようになったのは、間違いなく家出生活をしているからだろう。

 

数時間前までは全くの他人だった人が今目の前にいる。そして、なぜかその人の家で自分は寝ようとしている。笑ってしまうくらい宇宙(コスモ)なのだ。

もしも「泊めてください」とツイートが1時間遅かったら、出会えてなかったかもしれない。それくらい儚い確率の中で、自分は今生活をして「今」を連続させているという事実をひしひしと感じられる稀有な状況なのだ。

 

僕らの人生は毎秒毎秒、思いもよらない「誰か」や「何か」によって変化しながら生きている。それを仏教では「諸行無常」というのだろうか。もはやそんなことはどうだっていい。

 

大事なのは、人に助けられる生活だからこそ感じられる「生かされている」というリアリティが、1秒ごとの解像度を上げて、かけがえのない「今」や、逆に存在しなかった「今」をも想像させているのではないだろうかということだ。

 

もしかしたらこの人は自分だったかもしれない

 

人と話してそう思えてくるのは、存在しなかった「今」の中に、他者を見つけているからなのかもしれない。

もしあの時こうしてなかったら、あれしてなかったら……そんな限りない可能性の分母の中に間違いなく「他者」がいるのだ。

 

言葉にすると抽象的で意味不明だと思うけど、こうあったかもしれないという「分母」を抱きしめながら、今という「分子」を生きることなんだと思う。まじ「ラ・ラ・ランド」ってことで容赦してください。

 

あらためて振り返ってみると、なんで僕は家がないんだろう。笑えてくる。

それは少なくとも自分が僧侶としての自覚を持っているからで、僕に自覚を宿らせてくれたのは、池口さんが創刊した『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーに出会えたことが大きい。

 

生半可な気持ちで修行し、僧侶になってしまい、人生に絶望していた23歳の頃。

たまたま出会った『フリースタイルな僧侶たち』が「こんなに僧侶は自由でいいんだ!」と背中を押してくれた。

さらに、ようやく僧侶としての自覚が生まれた自分に、僧侶としての姿勢を最初に教えてくれたのは、インド放浪中に出会った清水さんだった。

何も知らない赤子の僧侶だった自分は「こんなに素晴らしい僧侶がこの世にいるんだ…!」と感動したのを覚えている。

 

さて、人生とはファンタスティックなもので、そんな心の恩師のような方々に、2年半越しに日本で再会したり、フレンチトーストを作ってもらったり、息子とお風呂に入ったり、パンツを洗ってもらったりしている。そんな「今」も訪れているのだ。出家家出僧侶の修行は続きます。

 

*  *  *

 

再出発された稲田さん。修行はこれからどのような道をたどるのでしょうか。もし稲田さんを泊めてあげてもいいと思った方は、稲田さんのTwitterにDMを送信してみてくださいね。polcaでの支援もなにとぞ、よろしくお願いいたします。

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僧侶、家出する。

若手僧侶がお寺や僧侶のあり方に疑問を持ち、「家出」した!

さまざまな人に出会うこと、それ自体が修行となると信じ、今日も彼は街をさまよう。

(アイコン写真撮影:オガワリナ)

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稲田ズイキ 僧侶

僧侶。1992年京都のお寺生まれで現・副住職(※家出中)。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、仏教を楽しむコラム連載など文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。

Twitter:@andymizuki

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