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僧侶、家出する。

2019.10.05 更新 ツイート

第10回

LIFE、人生と見るか?生活と見るか?稲田ズイキ

京都のお寺の副住職で、コラムニスト・編集者としても活躍中の稲田ズイキさん。そんな僧侶が、なんと「家出する」と宣言。この連載は、「僧侶」に虚無を、「寺」に閉塞感をおぼえた27歳の若い僧侶が、お寺を飛び出し、他人の家をわたり歩き、人から助けられる生活の中で、一人の人間として修行していく様子をほぼリアルタイムに記録していくというものです。気になった人はどうか、稲田さんをお家に泊めてあげてください。

 

*    *    *

 

何気ない日々のワンシーンに”真理”は眠っているのかもしれない。

 

家出の旅中、友人と二人で街を歩いていると、目の前に『ライフ』があった。ご存知だと思うが、ただのスーパーマーケットである。近畿地方・関東地方を中心に、全国に270店舗あるらしい。

ライフ。そう、ただの『ライフ』だ。

看板を発見した僕は、会話の隙間を埋めるくらいの軽いボケで、

 

「人生だな~」

 

と言った。今から考えると、なんともお尻がこそばゆくなるセリフ。でも、別に深い意図はなかった。ただ、「ライフ(LIFE)」という英単語を見て、頭に浮かんだ言葉を口に出しただけだ。

 

ところが、この会話の先には、思いもしなかった展開が待ち受けることになる。友達はこう答えたのだ。

 

「えっ、生活でしょ?」

 

二人の間に、雷に打たれたような沈黙が広がった。

 

自分は無意識に『ライフ』を「人生」と読んでいたが、友達は『ライフ』を「生活」と読んでいたのだ。

 

「えっ……もしかして、いつも『ライフ』を生活って読んでるの?」

「いやいや、スーパーなんだから『ライフ』は生活でしょ?」

「いや、『ライフ』は人生だよ!」

 

実にしょうもない論争。こんな些細なことで揉めたのは、ビビンバ、ビビンパ、ピビンバ、ピビンパ以来である。でも、なぜかこのライフ議論には謎の奥行かしさがあった。

 

「人生だよ!」

「いや、生活だよ!」

 

人生なのか、それとも生活なのか。

それは誰もがいつか悩むこの世の分かれ道じゃないか。

 

LIFE、人生と見るか? 生活と見るか?

野生の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』がそこには生息していた。 まさか生活圏内にこんな花火が打ち上がっていたなんて驚いた。

 

人生と生活。もしかしたら、何気ないスーパーの読み方に、自分も知らない心の声が投影されているのかもしれない。

 

LIFE、人生と見るか? 生活と見るか?

「LIFE」という英単語には、「人生」という意味もあれば「生活」という意味もある。それを僕は「人生」と読み、友達は「生活」と読んだ。

 

なんでこんな違いが生まれたのだろう。僕らの間で一つの仮説が浮上した。

 

もしかしたら、「人生」と読んだのは自分が今人生に思考を割いているから、「生活」と読んだのは生活に思考を割いているからなのでは?

 

つまり、人生と読んだ僕は、10年後や老後なども含めた「一生涯をどのように過ごすか」を、生活と読んだ友達は今日明日の範囲で「1日1日をどのように過ごすか」を意識して暮らしているのではないだろうか。いわば、「生活」は今で、「人生」は未来。

 

そんな「生」に対する無意識の視座が、このスーパーマーケットの看板によってあぶり出されているのだ。

 

「『ライフ』は人生のリトマス紙なのかもしれない」

 

しょうもない会話がきっかけだったが、何か一つの真理にたどり着いたような気がして、僕らはひどく興奮した。それは、僕が今「僧侶として生きる意義」という大きな地図を広げて家出をしているからこそ、妙な納得感もあったのだ。

ライフ土佐堀店。これ以来、ライフを発見するたびに撮ってしまう。

『ライフ』、あなたは「人生」と読みますか? それとも「生活」と読みますか?

 

人は「人生」と「生活」で揺れている

とはいえ、一度見えた「人生」がずっと「人生」のままかと言われたら、そういう訳でもない。僕らは「人生」と「生活」の間で揺れている。

 

例えば、22歳の社会人一年目の春に東京の街で見る『ライフ』は「人生」の可能性が高いだろうし、44歳、母親の介護のため地元に戻り、缶チューハイの入ったレジ袋を片手に家路でふと目に入ってくる『ライフ』は「生活」かもしれない。

 

そんな自分の「人生」と「生活」の揺れを計測する装置が『ライフ』なのかと思うと、心のチェッカーとして役に立つ気がする。今、自分は「人生」を見ているのか、それとも「生活」を見ているのか。オレンジと緑の4つ葉のクローバーが心の声を代弁してくれる。もはや生活圏内のキャリアセンターなのかもしれない。

 

そういえば、家出中に出会った同年代のとある女性と焼肉を食べている際、「私は稲田くんみたいな自由な人生は送れない」と言われた。自分は女だから「出産適齢期」というリミットがあって、だからいつまでに結婚しないといけなくて、それまでにいくら貯めないといけなくて……そんな生々しいリアルを打ち明けられた。

 

「いや、自由に見えるかもだけど結構きついこともあるし、そんな人生送る必要なんてないのよ~~」と無邪気に返したけど、今考えてみたら彼女は「人生」と「生活」で揺れていたのかもしれない。女性という生まれ持った個性のために「生活」に視野を落とさざるを得なく、でもその分だけ「人生」に憧れが募る。あの時の正しい返事は「そんな人生、送る必要なんてないよ」なんかではなかったと反省している。

 

煩悩を頭ごなしに否定する僧侶ではなく、揺れる感情を肯定できる人間に僕はなりたいと思った。

 

家出することで見えた「生活」の大切さ

休日深夜の神保町オフィス街は静かで家出マンにはオススメ。

振り返ってみれば、たしかに僕はずっと「人生」に恋い焦がれてきた。

 

おそらくそんな「人生への恋」を初めて自覚したのは、ジブリの映画『耳をすませば』を観たときだ。「非リアが観ると死ぬ」とも形容されるぐらい、夢と恋と青春が濃縮したロマンのフォンダンショコラのような作品なのだが、例にも漏れず、当時中学生だった僕の心にも大きな傷を残していった。

 

映画の登場人物たちが同じ中学生なのに夢を見つけて、恋に燃え、人生の大きな決断をしていたことに、ピリピリと心がひりついて眠れなくなった。自転車で長い坂を下りながら、夕日に向かって叫びたくなった。うちの地元、盆地だから坂はないんだけど。

ここにいてはいけない気持ち、ここではないどこかへ行きたくなる気持ちは往往にしてある。「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」と以前のコラムで自問自答していたのもそういう気持ちの表れだろう。

 

「家出している」と言ったら、ある人に「27歳でやることではないな」と冷ややかに言われたことがあった。そろそろ年齢的には「人生」ではなく「生活」の頃合いなのだろうか。

 

3月の末生まれなので、実年齢よりも若めに、自分の精神年齢を捉える癖がある。まだぶっちゃけ僕は大学生くらいの気分だ。「うるせぇな、お釈迦様だって出家したの29歳じゃんかよ」と言いたくなる気持ちを隠して、とりあえずテヘヘと笑ってごまかしておいた。

 

ところが、「人生」に恋い焦がれ、埋まらない心の穴を満たすため、旅に出たはずのこの家出生活の実態は、限りなく「生活」だった。

即席で作ってもらったダンボール布団。

寝床を提供してもらえること、ご飯をいただけること、お話しすること。普通の生活では当たり前のそれらのことが、すべて非日常へと転換する。一日一日を積み重ねていく「生活」がいかに有難いかを痛感するのだ。

 

あんなに欲しがっていた人生の意味は、どこか遠くへ消えていってしまった。決して答えが出たわけじゃない。「人生に意味はあるか?」という問いそのものを考えなくなったのである。それは「人生」に傾きすぎていた心が「生活」の価値に直面して、バランスを取り始めたということなんだろうか。

 

ただ、一つ言えるのは孤独ではなくなったということだ。それは友達がいるいないの話じゃない。なぜ自分が生きているか、この世界に貢献しない限り生きている価値はないのか、存在意義を求めて世界でひとりぼっちで戦う感覚はなくなってきた。今あるのは「1対世界」ではなく「1対1」が積み重なって世界が出来上がっている感覚だ。

一人暮らしの男子の家にあった肥えたペンギンのぬいぐるみ。

同年代の家を訪ねていくと、「人生に虚無を感じる」と話す人が多い。毎日夜23時まで残業、休日は平日に溜まった家事をするだけで半日が終わってしまう。何のために自分は生きているんだろう? そう思う気持ちは痛いほどわかる。

労働環境の問題はなんとも難しいが、心の問題で言えば、僕にできることは家出を通して生まれたこのご縁をつなぎ続けるだけなんじゃないだろうか。僕もそうだったように、凝り固まった自我は他者とのつながりがゆっくり解いていってくれる。この修行を通じて身に染みている。

 

まずは手始めに、最寄りの『ライフ』で自分の心の偏りをチェックするところから勧めてみたい。もうすぐ僕にも「生活」と見え始める頃かもしれない。

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僧侶、家出する。

若手僧侶がお寺や僧侶のあり方に疑問を持ち、「家出」した!

さまざまな人に出会うこと、それ自体が修行となると信じ、今日も彼は街をさまよう。

(アイコン写真撮影:オガワリナ)

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稲田ズイキ 僧侶

僧侶。1992年京都のお寺生まれで現・副住職(※家出中)。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、仏教を楽しむコラム連載など文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。

Twitter:@andymizuki

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