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2018.12.21 更新

「みんな同じ」じゃないよ佐久間裕美子

 人類が生まれた場所を離れ、旅をし始めた時代から、人種や文化が混じり合うのは当然のなりゆきで、人種間の交わりには、貿易の歴史と同じくらい長い歴史がある。ヨーロッパからの入植者たちが、ネイティブ・アメリカンたちを打ち負かして作ったアメリカには、戦後はアフリカから連れてこられた黒人たちがいたし、移民を積極的に受け入れたから、さながら壮大な社会実験になった。ニューヨークのような「人種の坩堝」が生まれた。

 この世のルールは多数派によって書かれる。だからアメリカのルールは、白人男性たちが書いてきたものだ。ところが、移民国家が形成する過程で白人以外の人種が増え、さらには白人、黒人といった人種的なくくりに100%あてはまらない「間」の人たちが登場した。夫たちの「所有物」だった女性が、参政権を獲得し、社会に進出するようになった。そのうち、異性に性的魅力を感じる「ストレート」だけでなく、「ゲイ」「レズビアン」というセクシュアリティがあるとわかった。そして今、社会は「自分は男である」「女である」という性の二項認識に100%当てはまらない、もっと微妙なジェンダー認識が無数にあることを理解しようとしている。となれば、ルールが書き換えられるのは当たり前だ。白人たちの権利が守られるように、その他の人々の権利を守ろうという考え方が生まれ、広がってきた。社会に参加する人たちが、何人であろうとも、同じ幸せを追求していいのだ、という世の中の方向性のようなものが。それが「ダイバーシティ(多様性)」というスローガンになった。

 ニューヨーク市は、過半数以上の人々が社会の進歩や万人に同じ権利が与えられることを信じる、いわばリベラル主義のバブル(風船)だ。ありとあらゆるタイプの人たちが隣り合わせにひしめき合って暮らしているのだから他者を許容できない人間には暮らしづらいのだろう。だから自分の肌が黄色であることを、それほど深く考えずに暮らすことができる。けれど、ときどき、自分はアジア人で、女性である、つまりマイノリティであるのだという事実を突きつけられることが起きる。

 トランプ時代がやってきて、マイノリティや女性の社会進出に腹を立てている白人たちが、自分が理解していたよりずっと多くいるということがわかった。アメリカは白人の国である、ということを再定義したいと思っている人たちが。これまでそのアイデンティティだけで既得権益を享受してきた人たちには、誰でも戦えるようにせめてスタート地点を同じにしたり、競技場をフラットにするより、今までのルールにしがみつきたい人もいる、驚くべきことではまったくない。

 男性の政治家たちがルールを敷いてきた日本でも、近年になって「ダイバーシティ」という言葉を耳にすることが増えた。社会の構成員たちがみな同じ方向を向いて、同じ経済成長を目指すというやり方では、国際的な競争に勝てないことに、賢い人たちが気づき始めたのだろうか。

 それとも「みんな同じ」が辛い、ということに、気が付き始めたのだろうか。そう、「みんなと同じ」は辛いのだ。自分の感情を押し殺して、みんなに合わせるのは簡単じゃない。自分がみんなと違う意見を持つと罪悪感や疎外感を覚えてしまう。「みんなと同じ」がいい世界では、他人との比較は必至だ。自分のほうが幸福だ、自分のほうが不幸だという思考から解放されない。

 そして、何より、みんな限りなく、違うのだ。一見、同じ肌をしていて、同じ髪の色をしていても、日々、感じる痛みも、喜びも、違うのだ。同じ日本人でも、何を見て興奮するかや何を恐怖に思うのかも、家族との関係も、おもしろいと思うジョークも、50メートル走るのにかかる時間も、違うのだ。

 それでもやっぱり「みんな同じ」が心地よかった人たちからの反動がある。子供たちに自分自身でいることを教えるかわりに、黒髪を証明しろと迫ったりする大人たちがいる。異性愛者を「非生産的」だと決めつけたり、政府と国民を混同して、差別発言を撒き散らしたりする。

 アメリカに暮らす一人のアジア人の女性として、白人ナショナリズムの台頭について考えるとき、また一人の日本人として、多様性を嫌う人々の声に触れるとき、胸を締め付けられるような恐怖感を覚えることがある。けれど、より多様な人々が受け入れられる未来への楽観を捨てる気持ちにはなれない。それはどこかで「わかりあえる」という希望をまだ持っているからだ。そして日々、希望を持ち続けていられるのは、ニューヨークという人種の坩堝に住んでいるからだ。日常的に小競り合いが起きる場所だけれど、まったく違うバックグラウンドからやってきた人たちが、一緒に働いたり、愛し合ったり、盃を交わしたり、笑い合ったりしているのだから。

 隣のコネティカット州の大学に通いながら、たまにニューヨークに遊びに来ていた頃、車でイースト・リバー沿いを走るFDRという高速でニューヨーク市に入った時に、川沿いに超高層マンションが立ち並ぶ姿が、自分にとってのニューヨークの象徴になった。今も、その高層ビル群を見ると、無数の窓の後ろで、今この瞬間、どれだけの人が笑い、どれだけの人がセックスし、どれだけの人がケンカをし、どれだけの人が悲しみに暮れているのだろう、と考える。そしてそのたびに、少しばかりの勇気を得る。

 デザイナーのカリム・ラシッドという人にインタビューしたときに、エジプトからの移民である彼が言ったことで、今もときどき思い出すことがある。

「人は誰でも、共通の基本的な欲望を共有している。それなのに、この世界に住む人は、ひとりひとり、まったく違う個として存在しているんだ」

 眠りたい、食べたい、安全に暮らしたい、セックスしたい、人を愛したい、理解されたい、肌のぬくもりとを感じたい、体を動かしたいー―—人間なら誰もが望む欲望がある。それなのに、私たちはひとりひとり、どうしようもないほど違う。だからわかりあえるようで、わかりあえない。争いが起きる。でも、だからこそ人間はおもしろい。

 この世の中には、少なくとも4200億通りのDNAのタイプがあるという。生まれたときは同じように赤ちゃんだったはずが、DNA、そして育った環境や取り入れたものによって、何十億もの違うバージョンになっていく。考え方も、感じ方も、思想も、人格形成も、人としての歴史も。そして肌のテキスチャーも、毛の生え方も、手足の向きも、骨格も、耳の形も、腸の曲がりくねり方も、違う形を持った人間に。自分の頭と体は、祖先から受け取ったDNAと、生まれてからの体験でできている。

 現代医学は、人間の体の中に住むバクテリアが多種多様であるほど、肉体が強なると教えてくれた。多様性は共同体を強くするのだ。だから多様性は勝つ。いつか、絶対に。いや、毎日少しずつ小さな勝ちを重ねているのかもしれない。

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佐久間裕美子『ピンヒールははかない』

NYブルックリンひとり暮らし。どこまでも走り続けたい。 ニューヨークで暮らすようになって、もうすぐ20年になる。 ここでは「シングル=不幸」と思わせるプレッシャーがない。 周りには、果敢に恋愛や別れを繰り返しながら、社会の中で生き生き と頑張っている女性が山ほどいる。一生懸命生きれば生きるほど、 人生は簡単ではないけれど、せっかくだったら、フルスロットルで めいっぱい生きたい。だから自分の足を減速させるピンヒールははかない。 大都会、シングルライフ、女と女と女の話。

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NYで暮らすようになって20年。ブルックリン在住のフリーライターが今、考えていること。きわめて個人的なダイバーシティについての考察。

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佐久間裕美子

1973年生まれ。ライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。98年からニューヨーク在住。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。アル・ゴア元アメリカ副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』『テロリストの息子』、著書に『ヒップな生活革命』『ピンヒールははかない』がある。最新刊はトランプ時代のアメリカで書いた365日分の日記『My Little New York Times』。

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