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2019.02.06 公開 ツイート

肌の色で拒絶される 佐久間裕美子

ニューヨークに出てきて1年目は、無理してマンハッタンに住んだけれど、家賃と生活費でぎりぎりという生活に嫌気が差して、家賃を抑えるためにクイーンズに引っ越した。通勤に使った7番線という電車は、移民の街ニューヨークのなかでも、一番移民に乗られていると言われていた。実際、聞いたことのない言語がよく耳に飛び込んできた。マンハッタンの仕事場とクイーンズを往復する労働者にまじって電車に揺られると、慣れないニューヨークの生活の辛さを我慢できるような気がした。

90年代の終わりに勤めた二番目の会社は、学術出版を専門にする中小企業で、社長はユダヤ人だった。最初の面接のときに社長が「うちは国連みたいなんだよ」とうれしそうに言った。履歴書の住所を見た副社長は「Why?」と言った。「クイーンズにはカルチャーはない。なんでブルックリンに住まないんだ」

友達のなかにはウィリアムズバーグに引っ越す人も出始めた頃で、たしかにブルックリンにはカルチャーがあった。どこに住んでるの?と言われ、「クイーンズ」と答えたときの「へ~」という感じからクイーンズが少し下に見られていることが理解できた。でも私は「文化がない」はずのクイーンズをけっこう気に入っていた。チベット料理のレストランで、チベット解放運動のミーティングを開いているチベット人たちの横でモモと呼ばれる餃子のようなものを食べるのも好きだったし、コロンビアのファミリーレストランで、お客がウェイトレスの気を引こうとするのを見るのも楽しかった。それに、アメリカに来たばかりで自信のなかった自分には、白人ではない人たちに囲まれて暮らすのが心地よかった。クイーンズは平和だった。

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佐久間裕美子『ピンヒールははかない』

NYブルックリンひとり暮らし。どこまでも走り続けたい。 ニューヨークで暮らすようになって、もうすぐ20年になる。 ここでは「シングル=不幸」と思わせるプレッシャーがない。 周りには、果敢に恋愛や別れを繰り返しながら、社会の中で生き生き と頑張っている女性が山ほどいる。一生懸命生きれば生きるほど、 人生は簡単ではないけれど、せっかくだったら、フルスロットルで めいっぱい生きたい。だから自分の足を減速させるピンヒールははかない。 大都会、シングルライフ、女と女と女の話。

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NYで暮らすようになって20年。ブルックリン在住のフリーライターが今、考えていること。きわめて個人的なダイバーシティについての考察。

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佐久間裕美子

1973年生まれ。ライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。98年からニューヨーク在住。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。アル・ゴア元アメリカ副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』『テロリストの息子』、著書に『ヒップな生活革命』『ピンヒールははかない』がある。最新刊はトランプ時代のアメリカで書いた365日分の日記『My Little New York Times』。

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