

ミクシィ、ツイッター、フェイスブック、タンブラー、インスタグラムと私は一通り利用してすべて退会した。はじめて利用したSNSは「ミクシィ」で、2004年頃だったと思う。ネットに詳しい知人がサービス開始したばかりのミクシィを利用しており、招待メールが届いた。当時のミクシィは、利用者からの招待がなければ登録できない仕組みになっていて、「友人に招待されるまでお待ちください」と閉鎖的な文言が掲げられていた。
登録すると自分のページにID番号が割り振られるのだが、その番号が若ければ若いほどサービスを早く利用しはじめたことになり、また「起点になっているミクシィの創業者や開発者に近いことになる」と誰かが言っていた。今では「それがなに?」と思うのだが、今以上に曖昧模糊のすっぱらぽん状態で生きていた当時20代後半の私は
「へえ、私、割と近いんだあ!」
などと意味不明に喜んでいた。いたたた。もちろん単なる登録順でしかないので近いも遠いもないし、たとえ「近い」にしろ、知らない人と近くてなにが嬉しいのかよくわからない。そして、だいたいが私の番号はその時すでに5桁台だった。
“内輪で楽しみたい欲”が満たされたミクシィ
ミクシィ上の友達は「マイミク」と呼ばれる。最初は自分の招待した人だけがマイミクで、ほんの数人の親しい友人とのおふざけの場だった。長電話する代わりに恋人とのデートの様子を洗いざらい書いて報告してくれる友人もいれば、社会に対する問題意識を持って政治的な主張を書いている友人もいた。私は、内輪ネタの日記をたくさん書いて、みんなのコメントを楽しんでいた。もともと友人だし、閉鎖的な場所だから、ほぼ全員が読みに来るし、私も友人の日記にはおしゃべりしているような感覚で気楽にコメントを書き込んでいた。
ところが、ミクシィの利用者が爆発的に増えるに従って、一度しか会ったことのない人、20年も縁のなかった小学校の同級生、仕事関係者などマイミクの人数が増えて、それまでの内輪の気楽さがなくなっていった。閉鎖的で私的な場所には違いないのだが、パブリックな場所に変わってしまったのだ。
すっかり書けることが狭まってしまい、窮屈だったが退会するのは惜しかった。当時は週刊誌の特集記事のため常にネタや取材対象を探していて、ミクシィはその点で便利だった。募集をかけたり、こちらからメールを送ったりして取材やアンケートに応じてくれた人が何人もいた。小説の連載もしていたので、見ず知らずの読者の方ともどんどんマイミクになっていった。
好きな作家からの「足あと」で“認識されたい欲”が高まる
私自身も好きな作家の方のページを見てまわったり、マイミクになってもらったりした。別にそれで知り合いになるわけではないが、作品の感想を書いて送ると返事が届いたりして、なんだか身近になったようで嬉しくなり、ミーハー心を満足させられていた。
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