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さすらいの自由が丘

2018.09.25 公開 ツイート

祖母が忘れたもの、忘れなかったもの 今村三菜

 2007年に父方の祖父が97歳で亡くなった。そのときの祖母の悲しみがすごくて、これから祖母はどうなってしまうのだろうと、祖母がかわいそうで、かわいそうで、私の胸もキューッとした。計算してみたら、祖父母の結婚生活は72年間だった。

 でも、いい具合に祖母の認知症が進んできて、祖父が亡くなったことを思い出さなくなってきたときには、みんなでホッとした。でも斑(まだら)ボケになったときには、「どうして私はこんなにバカになってしまったんでしょう」と嘆くのを聞いて、私も泣きたくなった。

 去年の春の頃だった。私が実家にいるとき、認知症もだいぶ進んで、祖母が一緒に暮らしている叔母と手をつなぎ、よいしょ、よいしょと実家の二階まであがってきました。みんなでソファーに座り、お茶を飲んでいたら、祖母が「ねえ、私はもう死んでいるでしょうか。生きているんでしょうか」と言い出したので、みんなで驚いてしまった。

「おばあちゃま、死んでないよ。ちゃんと生きてるよ。生きてるよ」と慌てて言ったら、祖母はにっこり笑い、「私の生きているときには、皆さんに良くしていただいてありがとうございました」と言ってお辞儀をしたのだ。

 そして、赤ちゃんを抱くように、胸の前で手を交差させ、「みんなをこうしたい」というのだ。祖母の頭にまだ残っている言葉を総動員して、みんなのことを抱きしめたいと言っているのが、よくわかり、母も私も、叔母も、弟の奥さんも、みんな笑いながら、涙ぐんでしまった。

 祖母は、認知症になって、出てこなくなってしまった言葉もたくさんあるけど、心の中は、昔と同じように温かくて優しい気持ちで、いっぱいなのだと、私の気持ちも温かくなった。

 その頃には、もう私の名前も出てこなくなっていたが、二人で並んでくっついて座っていると、祖母の表情も柔和で、祖母が安心しきっていて、私のことを近しい人だと認識しているのが、よくわかった。

 祖母はちょっとずつ、ちょっとずつ、老いた。次の次くらいに会った時には、お地蔵さんのように、おまいかけをかけて、目をつむりながら、叔母にご飯を食べさせてもらっていた。目をつむりながら、一口一口ゆっくり食べている祖母は、とても小さく見えた。

 私は、自由が丘に帰り、名古屋に住む妹に、電話をかけた。「おばあちゃま、あとどのくらい生きるかなあ」と私が言うと、「おねえさんね、そろそろ覚悟したほうがいいからね」と低い声で言った。「えっ、私、何も覚悟なんてしてないよ。そんなこと言ったって、ひょっとしたら、まだあと半年くらい生きるかもしれないでしょ」と言うと、妹は黙っている。

 

 私がなにも覚悟もできていない8月末日の朝、コーヒーを飲んでいたら、母から電話があった。瞬時に何があったかわかってしまった。電話に出ると母がいつもより高い声で、「おばあちゃま、逝っちゃったわよ。なんにも苦しまないで明け方、眠ったまま逝っちゃったんだからね」

 私は、実家に帰るために、キャリーバッグを出して広げたが、何を入れたらいいのか、よくわからず、そこらへんにあるものをみんな詰めてしまい、岩石のように重いキャリーバッグになってしまった。それなのに黒いストッキングを持ってこなかった。

 新幹線で静岡に帰り、荷物を一旦、実家に置き、祖父母の家に向かった。10年以上、両親の介護をした叔母はぼーっと椅子に座っていた。叔母の背中がすっかり丸くなってしまっているのに、私は初めて気が付いた。

 自由が丘から時々帰り、祖母の調子のいいときばかりを見て、また自由が丘に帰る私に、「まだ覚悟ができていない」とか「あと、せめて半年」などと言う権利は私には全くないのだということがよく分かった。

 祖母は享年103歳であった。立てなくなり寝たきりになって8日間で逝ってしまった。高1と高3の姪が、「おばあちゃまをあんな箱(棺)に入れたらかわいそうだ」と、目を赤くして泣いている。

 お坊さんが来て、お経をあげてくれた。お坊さんが帰り、人が少なくなると、姪二人が、木魚と鐘を叩き出した。「ポックンポックン、カンカンカンカン、ポックンポックン、カンカンカンカン」弟が、やめるように言うと、高1の方の姪が、「だって、おばあちゃまが叩いていいって言ったもん」と棺を指して言うので、弟が、「あっ、おばあさん、今ちょっと動いたぞ」と言ったら、姪たちが「きゃー」と悲鳴をあげ、逃げていった。

 私があの世に旅立つ時には、この姪たちの子供が木魚をポックンポックンしてくれるのかなと、祖母の横に座り、私はぼーっと考えていた。

関連書籍

今村三菜『お嬢さんはつらいよ!』

のほほんと成長してきたお嬢さんを奈落の底に突き落とした「ブス」の一言。上京し、ブスを克服した後も、地震かと思うほどの勢いで貧乏揺すりをする上司、知らぬ間に胸毛を生やす弟、整形手術を勧める母などなど、妙な人々の勝手気ままな言動に翻弄される毎日。変で愛しい人たちに囲まれ、涙と笑いの仁義なきお嬢さんのタタカイは今日も続く!

今村三菜『結婚はつらいよ!』

仏文学者・平野威馬雄を祖父に、料理愛好家・平野レミを伯母に持つ著者の波瀾万丈な日常を綴った赤裸々エッセイ。 ひと組の布団で腕枕をして眠る元舅・姑、こじらせ女子だった友人が成し遂げた“やっちゃった婚”、連れ合いをなくし短歌を詠みまくる祖母、夫婦ゲンカの果て過呼吸を起こす母、イボ痔の写真を撮ってと懇願する夫……。「ウンコをする男の人とは絶対に結婚できない」と悩み、「真っ白でバラの香りがする人とならできるかも」と真剣に考えていた思春期から20年余り、夫のお尻に素手で坐薬を入れられるまでに成長した“元・お嬢さん”の、結婚生活悲喜こもごも。

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さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

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今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

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