1. Home
  2. 生き方
  3. さすらいの自由が丘
  4. 初恋

私は、小学校の頃から大好きな男の子がいた。目のキリッとした、運動神経抜群の子だった。

小学校3年生から卒業まで彼とは同じクラスだった。彼は優しい性格だったが、それは芯がものすごく強いから故に人に優しいのであって、私の優しさとは種類が違うということが、小学校高学年にはすでにわかっていた。

席が隣りになった時は、とても嬉しく、私はずっと彼と喋っていた。何を喋っていたかというと、私は彼と1番仲の良い男の子と大変仲が悪く、時々、泣かされたりして、なんて意地悪なヤツだろうと、日々、忌々しく思っていたのだ。だから、彼にアイツがどんなに意地悪なヤツであるか、あなたの親友にするようなヤツでは決してないのだということを、話して聞かせていたのだ。

授業中、彼に向かって喋り続ける私に、担任の先生は、「今村、お前はさっきからずっと何を喋っているんだ。黙れ」と怒ったが、私は、「先生、こっちも今、すごく重要な話しをしてるんだから、ちょっと黙ってて」と言い、私は、説得を続けた。

 

1時間全部、私は彼に喋り続けた。彼は、「そうだなー、アイツにはそういうところあるなー。今村にそんな事言ったのか、酷いなー」と、納得しかかった様子で、「よーし、もうちょっとだ」と、私は、心の中で小さくガッツポーズをとりそうになったが、授業の終わりに、彼に「ということで、アイツは悪いヤツだから付き合うな」と確認をしたら、「でも、アイツは本当はいいヤツだ。友達だ」と、キリッと言い返されたのだ。

私は、全身脱力した。授業1時間まるまる聞かないで説得したのは何だったのか。この男は一見優しそうで、柔らかく見えるが、どんなに引っ張っても絶対に抜けない柳の枝のような男だなと思った。


彼のことがずっと大好きだった。でも、私は、中学受験して、彼や同じクラスのみんなが行く公立中学には行けなかった。もう同じ学校には通えないんだなあと思うと、すごく悲しかった。私は、祖母や叔母たちや叔父の奥さんの母校である女子校に行くのは、小さい頃から決まっていたし、合格したので仕方なかった。

小学校卒業のときに、彼も私のことが好きだということがわかった。「つきあって」と言われて、「うん」と答えたものの、小学校6年生の私には、男の子とつきあうということがどういうことなのか、考えると全然わからなかった。中学に入って、4月の半ば頃に、彼から手紙が来た。ドキドキしながら封を開けると、「ゴールデンウィークに2人で会おう」と書いてあった。

しかし、私は、2人で会うなんてことは考えるだけで恥ずかしく、しかも、恥ずかしくてその手紙の返事すら書けず、かと言って、その手紙を捨てることもできず、本の間に挟み、本箱にしまってしまった。恥ずかしくて、2度とその手紙を手にとることができなかった。

中学3年生になり、小学校の同級生の女の子から、彼に彼女ができたことを聞いた。悲しかった。どうして、私も同じ学校に行かなかったんだろうと悲しくて悲しくてたまらず、本の間に挟んでいた手紙をビリビリに破いて捨てた。

その頃、よく聴いて涙ぐんだ曲は、村下孝蔵の「初恋」だ。放課後に校庭を見ていると思わず好きな女の子の姿を探してしまうという、共学ならではの恋の歌だ。私は、この村下孝蔵の名曲を口ずさみながら、校庭を見てみると女子校なので女しか走っていないのが悲しくて泣けた。

中学高校と、男子校の生徒と仲良くなったが、素敵だと思う人はいても、誰も好きにはならなかった。いつも初恋の彼が頭の片隅にいた。家は近いのに、中学高校と1度も会うことも見かけることもなかった。あんなに好きだったのに、もう会えないんだなあと思うと、神様ってひどいと思った。

大学に入学すると、カラオケで、松田聖子の「制服」(赤いスイートピーのB面)を泣きながら歌いまくり、従妹を仰天させた。

大好きな同じクラスの男の子は高校を卒業して東京の大学に行ってしまう。彼の住所が書かれたメモをもらって、握りしめて泣いちゃうが、連絡はしないわ。だってただのクラスメートだからという歌だ。

「なんでなのか。住所聞いたのなら、ちゃんと連絡しろ。教えてくれるんだから相手だって、まんざらでもないだろう」と思った私は、汚れたなと思った。でも、卒業することになって彼と過ごした学生生活がとても眩しい時間だったと気がつくところに、私は激しく共感し、20代になっても30代になっても、「制服」をカラオケで歌って泣いて、人々をギョッとさせた。

そんな私に天使が舞い降りて来た。37歳の時だった。私は、静岡のテレビ局で、朝の情報番組にゲストコメンテーターとして出ていたので、当時はちょくちょく実家に帰っていた。テレビの帰りに祖父母の家に行こうと、義妹と赤ちゃんだった姪2人と車に乗って走っていたら、彼が家の前でタバコを吸っていたのだ。

「うわー!」と思った。小学校卒業後以来、初めて見たが、一目で彼だとわかった。胸はドキドキし、瞬きができなかった。今、声をかけなければ、もう一生会えないと思い、勇気を出して、義妹に車を止めてもらい、助手席の窓を開けた。「Yくーん! ミナよ、ミナミナ、イマムラミナよー」と選挙運動並みに叫んだら、Yくんは「覚えてるよ。イマムラミナだろ」と言う。

私は舞い上がり、「Yくーん、私の携帯番号メモってー。090の〇〇〇〇」と叫び、次に静岡に帰って来たときにご飯でも食べに行こうねと約束をとりつけ、窓を閉めると、義妹が「良かったねえ、ミナちゃん」と言って車を走らせ、500メートルほど走ったところで、私は大変なことに気がついてしまった。

私が彼に教えた携帯番号は夫(元)のものだったのだ。私は、天国から地獄へ急転直下し、絶望し、助手席の足元にうずくまった。それを見た義妹が、「ミナちゃん、戻ろう。もう一度戻って、ミナちゃんの携帯番号を知らせてこよう」と言ってくれたが、「恥ずかしくて、もう戻れないよ。バカバカし過ぎて」と力なく答えた。

その後は、夢遊病者のように過ごした。だが、あくる日、知らない男性から電話がかかってきたら、夫(元)も驚くだろうと思い、暗い気持ちで電話して、ダメ元で「明日さー、Y君っていう私の初恋の人から、S原くんのところに電話があると思うんだけど……。なぜかって言うと、自分のと間違えて、S原くんの番号教えちゃったんだよ。だから、私の携帯番号教えて、かけ直してくれるように言ってくれない?」と言ったら、「あんたの番号教えればいいのね。了解」と軽く言ってくれた。これで、私の首も少し繋がった気がした。

私は無事にY君とご飯に行く約束をした。翌週の夜8時にうちの近くまで徒歩で迎えに来てくれることになったが、当日、彼の仕事がなかなか終わらず、「あと30分。あと30分待って」と連絡がくるので、時間を持て余した私のお化粧はどんどん濃くなっていった。

実家の階段で、診療を終えた弟とすれ違うと、「なんだ、ミナ、その真っ白な化粧は。お化けみたいだぞ」と言う。私は急いで弟を追いかけ捕まえ、「よく見ろ、私の顔を。お化けか? 本当にお化けみたいか?」と聞くと、「うん。真っ白お化け」と言うではないか。私はすぐに、洗面所に戻り、全部お化粧を落とし、最初からやり直した。

そして、また弟に見せに行った。「私の顔はどうか? まだお化けか? ハッキリ言ってくれ。弟としてではなく、男として見た場合、この顔はどうなのか」と。弟は、「その顔はさっきより、大丈夫だと思うが、男としてどう思うかと聞かれても、姉なので全くわからない」と言う。私が大混乱していると、義妹が、「キレイよ。ミナちゃん、すごくキレイにできているから大丈夫」と言って、私を安心させてくれた。

しばらくして、Y君が「今、ミナちゃんち前に来たよ」とメールをしてくれたのを見たら、私の身体はガチガチになって首と肩が凝り、頭痛までしてきた。裏玄関を出て角を曲がると、20メートル前にY君が立っているのがわかった。自分の心臓がドックンドックンと拍動しているのがわかる。

平静を装い、「お久しぶりー! 元気ー?」と言ってみたが、私は、まだ恥ずかしく、彼と目を合わせることができなかった。彼は、街中の静かな割烹に個室をとっておいてくれた。そこに向かい合って座ったら、もう余りの恥ずかしさと緊張で身の置き所がわからなくなってしまった。よく、初恋の人と年をとって会ったらガッカリしたという話しは聞くが、彼は昔のイメージのそのまま、少年ぽさを残した中年男性になっていた。

私は、そこで、何を食べたのかもわからなければ、味すらわからなかった。もう向かい合わせでいるのに、苦しみさえ感じる始末であった。

帰り道に並んで歩いたら、やっと私は落ち着いて話しができた。彼は、大学生の頃、埼京線に乗り目白駅辺りで、電車が徐行しているときに、目白駅のホームに立っている私を見つけたのだそうだ。窓から手を振ったが、私が気がつかなかったので、池袋から急いで山手線に乗り換えて、目白に戻ったが、私はもういなかったことを話してくれた。わざわざ戻って来てくれたのかと思うと、胸がジーンとした。

中学1年生のときに、ミナちゃんに手紙を出したはずだけど、あれは届いていたのかと聞かれた。私はもちろん読んだけど、恥ずかしくて返事が出せなかったことをとつとつと話した。彼は、ミナちゃんのお父さんかお母さんに手紙を捨てられちゃったのかと思ったよと言っていた。

私は彼と、25年後に、こんな風に話しながら並んで歩くことができるなんて、うれしくてたまらなかった。目の前がキラキラして見えた。神様は私の願いを忘れないでいてくれたと思った。そして、お互いに結婚していない若い頃、こんな日があったら良かったのにとしみじみ思った。でも、私は地元にいられない性分だし、彼は、地元で商売をする4代目の社長さんだから、仕方ないことだったと思えた。

実家の裏玄関まで送ってもらい、名残惜しく別れたが、私はもう心身共にクタクタだった。ドアを閉めると、私は3階の弟宅まで駆け上がり、リビングに飛び込み、床に大の字になった。「もう、今日のミナちゃんは、心身共に限界ですっ!」と叫んで。義妹が水を持ってきてくれた。弟は、「お前の人生、イベントがいろいろあって大変だな」と言った。本当にその通りだと思った。

 

関連書籍

今村三菜『お嬢さんはつらいよ!』

のほほんと成長してきたお嬢さんを奈落の底に突き落とした「ブス」の一言。上京し、ブスを克服した後も、地震かと思うほどの勢いで貧乏揺すりをする上司、知らぬ間に胸毛を生やす弟、整形手術を勧める母などなど、妙な人々の勝手気ままな言動に翻弄される毎日。変で愛しい人たちに囲まれ、涙と笑いの仁義なきお嬢さんのタタカイは今日も続く!

今村三菜『結婚はつらいよ!』

仏文学者・平野威馬雄を祖父に、料理愛好家・平野レミを伯母に持つ著者の波瀾万丈な日常を綴った赤裸々エッセイ。 ひと組の布団で腕枕をして眠る元舅・姑、こじらせ女子だった友人が成し遂げた“やっちゃった婚”、連れ合いをなくし短歌を詠みまくる祖母、夫婦ゲンカの果て過呼吸を起こす母、イボ痔の写真を撮ってと懇願する夫……。「ウンコをする男の人とは絶対に結婚できない」と悩み、「真っ白でバラの香りがする人とならできるかも」と真剣に考えていた思春期から20年余り、夫のお尻に素手で坐薬を入れられるまでに成長した“元・お嬢さん”の、結婚生活悲喜こもごも。

{ この記事をシェアする }

さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

バックナンバー

今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP