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さすらいの自由が丘

2019.10.25 更新 ツイート

和田さんの本棚今村三菜

和田誠に初めて会ったのは、私が、小学校低学年の時だった。

母の姉・平野レミと和田誠が結婚したからだ。私は、母に連れられ、妹と弟と、和田さんの北青山のアパートに初めて行った。

レミ伯母が、「和田さん、和田さん」と呼ぶので、親戚はみんな、私も小さい頃から「和田さん」と呼んでいた。

和田さんのアパートの中がすごかった。1LDKのリビングの壁一面が天井まで、本棚になっていて、本を入れる四角いところが、真四角になって、ピチッとそろっていて、そこに、外国の画集がギッシリ並んでいた。

ベランダに面した窓には、見たこともないカーテンがかかっていた。50センチくらいつつ、縦に赤、モーヴピンク、紫、青、緑といずれも深い色がつながって一枚になっているのだ。当時は小学生で、よくわからなかったが、あのカーテンはきっと、和田さんの特注だろうと思う。

本棚の反対側には、和田さんがニューヨークに行ったときに買ったという、ステンドグラスがはまったアンティークの棚にお酒の瓶が入っていた。私は、今までアンティークの棚でこの和田さんの棚より素敵なものを一度も見たことがない。

 

私は小学生の頃、和田さんのアパートで、よくお留守番をさせられた。母と伯母が、すぐ近くのベルコモンズに買い物をしに行くためだ。

誰もいなくなると、私は、和田さんの本棚に飛びついた。イスを持ってきて、きれいな背表紙の本を抜き出して、開いてみたが、いずれも英語か、大人が読む専門用語の難しい日本語の本で、さっぱり何がかいてあるのかわからなかった。

一冊だけ、読めた本は、「赤塚不二夫1000ページ」という、話の特集から出た本で、「天才バカボン」や「おそ松くん」を和田さんの好みで選んで、和田さんの装丁で一冊になった分厚い本だ。表紙には夕日を背に、和田さんの描いたウインクをしたニャロメが片足で立っている。ニャロメが見事に和田さんの雰囲気になっているのだ。

玄関まででる廊下には、大橋歩さん、矢吹申彦さん、宇野亜喜良さんの絵が飾ってあった。私はここでイラストレーターの人の名前を覚えた。

私は、いつもGジャンにGパンをはいて穏やかに笑う和田さんが何をする人なのかよくわからなかったが、私が中学・高校と進むうちにだんだんわかるようになった。ハイライトの箱のブルーは、なんてきれいなんでしょうと思い、社会党の弓矢のマークも勢いがあって、とても格好良かった。

私が小学校5年生の頃、従弟(和田唱・トライセラトップス)が生まれた。そうすると、和田さんに、さらに親しみを感じるようになった。

ベン・シャーンというリトアニア系アメリカ人の画家がいた。和田さんはこの人の作品が大好きだった。二人目の従弟が生まれて、渋谷に大きな家を建てたが、その家にも、ベン・シャーンがたくさん飾ってあった。

ベン・シャーンは画家だけど、万年筆を使って線を描いたり、多分にイラストレーションの部分を含んでいるところが、和田さんのイラストに通ずるところがあった。

私が中学生の頃、和田さんは、ベン・シャーンの大判の分厚い画集を注文して買っていた。やはり画家である、母とレミ伯母の実兄もこれを注文して、和田さんの家に届いた、「ベン・シャーン」の画集をみんなで喜んで見ていた。

私も、画集を見て、一気に引き込まれてしまった。決して明るい絵ではないが、陰鬱な雰囲気まで格好良く、線は、太くなったり細くなったり、かすれたりしている。私は母に「うちはこれ買わないの?」と訊いたら、 あっさりと「買わないわよ」と言う。「ああ、うちは歯医者だから絵なんて関係ないんだな」と思いがっかりしてしまった。4万円もするものだったから、もちろん中学生には買えなかった。

大学生になると、私は和田家に入り浸った。夕飯も伯母の作ったものを、和田さんと従弟たちとワイワイ言いながら食べた。

和田さんは、いつも猫背で肩が凝っていた。仕事のせいだ。伯母が食後に、ギュウギュウと和田さんの肩を揉んでいたが、ちっともよくならないので、和田さんは、通販で買った、背中でゴムがバッテンになった、猫背矯正ベルトみたいなものを付けられていた。

ある時、伯母が素敵な金の指輪をしていた。レミの「R」がデザインされ「R」の部分にキラキラとメレダイヤが光っているのだ。思わず、「私もー、私もー」と叫び、食後にお茶を飲んでいる和田さんに「M」の字を書いてと頼むと、メモ用紙に鉛筆で、お洒落な「M」を描いてくれた。この和田さんの「M」の指輪が宝物になってしまった。優しい伯父であった。

夜、私が和田家から帰ろうとすると、和田さんはいつも、「ミナちゃん、泊まって行けよ」と言ってくれた。私は、「パンツの替えがないからやだ」と言うと、「レミのパンツをはけばいいじゃないか」と言った。「やだ。いくら、伯母と姪でもパンツの共有は出来ないよ」と言うと、伯父は、「そうか、伯母のパンツ、ダメか」と残念そうにしていた。この会話が忘れられない。

今、私の本箱には、和田誠の装丁の本、肖像画集、絵本、それに、母の兄が譲ってくれたベン・シャーンの画集が並んでいる。

伯母と従弟たちに一日も早く、心穏やかに笑える日が来てほしい。

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さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

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今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

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