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美しい暮らし

2021.04.07 更新 ツイート

かつての上司、太田英昭さんのこと 矢吹透

僕が昨年、これまでの人生を振り返り認(したた)めた連載「イカレポンチの回顧録」の中にも何度か登場したフジテレビ時代の上司・エーショーさんこと、太田英昭さんが「フジテレビ プロデューサー血風録 楽しいだけでもテレビじゃない」を出版されると伺い、ゲラを拝読させて頂きました。

4月7日発売『フジテレビ プロデューサー血風録』

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太田さんらしい、熱気とボリュームに溢れた一冊でした。

太田さんと同じ時代・同じ風景の中を生きて来た僕には殊更にリアルによくわかること、逆にまったく知らなかったことなどが、それぞれ多々あり、惹き付けられながら一気に読みました。

この本の中に「グレートジャーニー」という番組について触れられた一節がありました。僕も当時、太田さんの下でこの番組をほんの少しだけお手伝いしたことを懐かしく思い出しました。

 

3年前の秋、僕は幻冬舎plusの竹村編集長と相談し、この連載「美しい暮らし」のスタイルをそれまでと変えることにいたしました。

なるべく筆者である僕の情報を排除するというのが、連載スタート当初からの方針でした。性別も年齢も経歴も不詳な筆者の紡ぐ文章というスタイルは、この連載を始めるにあたってお手本とした「暮らしの手帖」の連載「すてきなあなたに」に倣ったものです。

そうしてスタートした連載を1年半続けた後で、僕は次第にそのスタイルに行き詰まって行く自分を発見することになりました。

自分自身の個を隠蔽するようにして書く文章に、受け手の方に響く何かを込めることが果たして出来るのだろうか、というディレンマのような思いに捉えられるようになりました。

そうして、竹村編集長と僕は話をしたのです。

もっとご自分を出していいと思いますよ、と竹村さんは仰有いました。連載というのは移り変わって行くものです。その時々でスタイルが変わって行っていいのです。

そんな経緯を辿って僕が初めて、自分自身の生(なま)を晒して書いたのが、この「ピスコのライム割り」という回でした。

この文章は奇しくも「グレートジャーニー」について触れたものとなっています。

そして、この文章の中に登場する当時の上司は、太田英昭さん、その人です。

年若い僕が悩んだ末に太田さんに相談に行ったことについて書かれておりますが、当時の太田さんの忙しさは傍目にも尋常ではないほどでした。

だから相談が終わり、別れ際に僕は太田さんに言ったのです。

お忙しい中、お時間を割いて頂き、すみませんでした、と。

太田さんは言いました。

お前の話を聞く時間がないほど忙しいなんてことはこの世の中にはない、と。

かっこいい、と今、思い返しても胸にぐっと迫って来るものがあります。

太田さんはそんな上司であり、また、僕は勝手に戦友であるとも思っています。

フジテレビ プロデューサー血風録 楽しいだけでもテレビじゃない」は、血と汗の匂いが滲む太田さんの戦いの記録です。

テレビの原点、メディアの未来を改めて考えさせられる1冊。

一兵卒としてその戦いの傍らに立っていた僕には、1ページ1ページをめくるたび、懐かしいあの血の滾るような感覚が体の奥から甦るのです。

ピスコのライム割り

20代の後半、私はテレビのドキュメンタリー番組のディレクターをしておりました。

ドキュメンタリー番組の被写体は、芸能人や有名人であることよりも、一般の方であることの方が多く、そういった「普通」の方々のプライベートに踏み込んで、撮影・放送をするという仕事に、私はやがて迷いを抱えるようになって行きました。

番組の企画内容が決まると、まず訴えたいテーマに添って、一番象徴的な被写体となり得る方を探し、その方に会いに行くことから、取材はスタートします。

大抵の方に最初、取材は断られます。しかし、断られてもそこで諦めずに何度も足を運び、こちらの意図をお話しし、お願いを続けます。決して、その方の意に反した放送内容にはならないこと、ご迷惑をかけるようなことにはならないことなどを説明します。

この段階で一番大切なことは、こちら側の熱意と誠意を伝えることです。このディレクターになら、カメラを向けられてもいい、プライベートを晒してもいい、と思って頂けなければ、取材の許可を貰うことはほぼ出来ません。

取材の承諾が得られましたら、それからカメラ・クルーと共に、その方を追いかける日々が始まります。撮れるものは何でも撮ります。撮影がすべて終わった後で、編集・構成の作業に入りますので、放送に使う可能性があるものはすべてカメラで押さえておく必要があるのです。

撮影の中で、時に、被写体の方が感情を露わにし、怒ったり、泣いたり、笑ったりしている場面に遭遇します。

このようなシーンは、しばしば番組のクライマックスとして使われることになります。そういったシーンは、とてもドラマチックなインパクトを湛えていることが多いのです。

私は、ドキュメンタリー番組制作の、こうしたところに疑問を抱くようになりました。

テレビに出たいと特に思ってはいない人を捉まえて、プライベートな瞬間まで立ち入ってカメラを回し、その方が泣き叫んでいる瞬間などを日本中に放送するのです。

放送前に必ず、ご了承は頂きますが、大抵の方は、自分が泣き叫んでいるシーンを全国に放送されたいとは思わないものです。

私は、そういったことを潔しとすることはできないタイプの人間でした。

ドキュメンタリー制作の部署を外れたい、と私は考え始めました。

上司にも、その気持ちと、抱えているディレンマを伝えました。

上司は、私の話を聞いて、お前の言っていることはわかる、と言いました。しかし、一点だけ、今のお前にはまだ見えていないことがある、と彼は言いました。

人は誰でも、何かを伝えたいという欲求を持っている。テレビの取材を受け入れる人も皆、大抵、その欲求を持っている。その思いを掬い上げることが大切なのだ、と。

市井の人であっても、無名の人であっても、人々は皆、誰かに伝えるべき、特別な何かを持っている。それを手助けしてあげる仕事だと考えることは出来ないだろうか。

組織としての人事の問題になって来るので、ドキュメンタリーを外れたいという個人の希望をすぐに叶えることは難しいが、とりあえず預からせてくれ、と彼は言いました。

ところで、と彼は続けました。
一人の男が、人類が発祥し、世界に散らばって行った足跡を遡って辿る旅を最近、スタートさせた。南米からアフリカまでの道のりを、太古の人々と同じ人力のみで行くというこの企画を、うちの局が放送することになった。こうした骨太の企画に関わってみるのも、きっといい経験になると思う。

数ヶ月後、私はチリのアタカマ砂漠におりました。

成田からダラスを経由して、チリの首都サンティアゴに飛び、双翼機に乗り換えて、最寄りの空港に入り、そこから車で1~2時間、という日本からは、片道30時間近くかかる場所でした。

私の仕事は、グレートジャーニーと呼ばれる、上司が話していた旅の主人公、関野吉晴さんのインタビュー取材に赴く女性アナウンサーの、お供でした。

関野さんが南米大陸の南端をスタートして一年足らず。旅の序盤で一度、彼のインタビューを収録しておく必要がありました。

取材ディレクターは、関野さんの旅のサポーターとして同行する、専任の方がいらっしゃり、インタビューアーとして、アナウンサーだけが必要とされている状況だったのですが、乗換や経由地の多い取材地までの長旅に女性アナウンサーを一人送り出すことへの慮りもあり、またおそらく、先に述べたような経緯から生じた上司の私に対する思いもあり、私はその同行を命ぜられたのです。

パタゴニア北部から自転車で走り始めた関野さんは、アタカマ砂漠のサンペドロ・デ・アタカマという町で小休止し、食糧の補給などを行うというスケジュールになっており、一般の人間にも比較的入り易いその町で、私たちはサポート取材スタッフと合流し、関野さんを待ち受けることになりました。

関野さんが一体いつ、その町に到着するのかは誰にもわかりませんでした。一日に一度、関野さんとスタッフの間で無線の交信があり、大体、どのあたりまで来ているかということはわかるのですが、気候・地形の状況などにより、関野さんが一日に進める距離が左右されるため、関野さん本人にすら、いつ到着するのかが予め読めないのです。

私たちは毎日、パタゴニアに続く町の一本道のところに出かけて、関野さんの到着を待ちました。

関野さんの姿が現れないまま、日が落ちてしまうと、宿に戻って休み、また翌朝、同じ一本道に向かい、待つということを一週間ほど、繰り返しました。

夕暮れ時はいつも、宿の庭に出したテーブルで、誰かがラジオ・カセットでかけたオフコースの曲を聴きながら、皆でピスコを飲みました。

ピスコというのは、葡萄で作られたペルーの蒸留酒です。ややラムを思わせるような甘い香りと味わいが南国らしい風情を漂わせる、強い酒です。

ピスコは、チリでもポピュラーな酒で、店では、レモン果汁と砂糖と卵白を混ぜた、ピスコ・サワーという飲み方で供されるのが普通でしたが、宿での私たちは、ライムを搾り、炭酸水で割って飲んでいました。

待つこと以外、私たちにすることは何もなく、ただひたすらピスコを飲み、他愛もない話をして、長い夜の時間を潰しました。

砂漠に響くオフコースは、不思議なほど胸に染み入り、私たちの郷愁を掻き立てました。

私は人生の中で、あれほど静かな気持ちで過ごした日々は、後にも先にもないような気がいたします。

特にするべきこともないような静かな砂漠の町で、東京の喧噪に満ちた日々を忘れ、私は朝起きて、夜眠りました。

そうして、ある日の午後、関野さんが一本道の向こうから自転車でやって来ました。

私が関野さんとお会いするのは、おそらくそれが二回目だったと思います。東京での顔合わせでお目にかかった時よりも、少し痩せて赤銅色に日灼けした関野さんは開口一番、シャワーを浴びたい、と言って笑いました。

関野さんは基本、寡黙な方でいつもあまり多くを語りませんでした。

関野さんはこんな大変な旅をなさって凄いですね、というような浅薄な感想を私が申し述べたことがあります。

私は普通の人間です。特別な身体能力や運動能力を持っているわけではありません。そんな普通の人間が、今回の旅をすることに意味があるんです。

そう関野さんは言いました。

普通の人間ですから、一人でこの旅を成し遂げることはできません。仲間たちに助けられ、支えられ、私はこの旅を続けて行くのです。

 

関野さんは、宿の久しぶりのベッドで、丸一日ほど昏々と眠り、私たちは昼間から日陰でピスコを飲みながら、関野さんの体力の回復を待ち、インタビュー撮影を行いました。

 

私が自分の仕事に抱いていた葛藤やディレンマが、関野さんとの出会いによって、何らかの解決を見るようなことはありませんでした。

ただ少なくとも、関野さんを追うその番組は、個人のプライベートを抉るような趣きのものではなく、むしろ関野さんとスタッフが共に助け合いながら、前人未踏の旅を記録に残そうとする志の大きなもので、そういった種類のドキュメンタリー番組の作り方もあるのだと教えられたことを、私は当時の上司と、関野さんやサポート撮影スタッフの皆さんに感謝しなければなりません。

 

私はその後、ドキュメンタリーを離れ、ドラマ制作の道に進みますが、そこでも壁にぶつかり、最終的にテレビの世界と袂を分かち、生きる現在を選択いたしました。

テレビの世界で生きる日々は、私にとって心騒ぎ、そして、心塞ぐことの連続でした。

アタカマ砂漠で過ごしたあの一週間だけは唯一、心穏やかに生きた時間として、今でも私の記憶の中に残っております。

 

老境に差しかかった私は、時々物思いに耽り、ライムを搾ったピスコの炭酸割りを一人飲みながら、自分の人生を振り返り、今、自らが何を為すべきかを考えます。

人は誰でも、誰かに伝えるべき何かを持っている。

普通の人間が、何かを成し遂げることに意味がある。

そして、それは仲間の支えがあってこそ、為し得るものなのである。

若いあの時期に、私が教えられたそんないろいろを、ピスコの味わいと共にもう一度噛み砕き、反芻し、自分にとってのその何かとは一体何なのか、考えるのです。

関連書籍

矢吹透『美しい暮らし』

味覚の記憶は、いつも大切な人たちと結びつく——。 冬の午後に訪ねてきた後輩のために作る冬のほうれんそうの一品。苦味に春を感じる、ふきのとうのピッツア。少年の心細い気持ちを救った香港のキュウリのサンドイッチ。海の家のようなレストランで出会った白いサングリア。仕事と恋の思い出が詰まったベーカリーの閉店……。 人生の喜びも哀しみもたっぷり味わせてくれる、繊細で胸にしみいる文章とレシピ。

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美しい暮らし

 日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。

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矢吹透

東京生まれ。 慶應義塾大学在学中に第47回小説現代新人賞(講談社主催)を受賞。 大学を卒業後、テレビ局に勤務するが、早期退職制度に応募し、退社。 第二の人生を模索する日々。

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