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それが、人間

2026.10.22 公開 ポスト

暴走と強制終了

元気一杯でも鬱っぽい女たち、突然全裸になってしまう男、40年以上頭痛に悩まされてきた私――人格を支配する見えない何かとは?インベカヲリ★(写真家、ノンフィクション作家)

暴走と強制終了

 

最近よく、「鬱っぽい」「鬱みたいな」と言っている人によく出会う。
「鬱」と断定しないのは、病院で診断を受けていないこともあるが、いわゆる家から出られなくなるような重度の鬱とは違うからだろう。
では、どういうものを指すのか。

Aちゃんは、リゾートバイトなどで働きながら、全国を転々とする生活を送っている。数日から、数か月という単位で、地方都市から離島まで、とにかく移動し続けている。
最近は、「おてつたび」という、現地までの交通費は自腹だが、食費や宿泊場所の提供を受け、その地域で短期アルバイトができるというマッチングサービスがあるらしい。Aちゃんはこうしたサービスも利用し、働いて旅費を稼ぎながら観光をしていた。
農作業をしたり、家畜の世話をしたり、さまざまな仕事を体験できるので、単なる旅行より楽しいのだとか。

そんなAちゃんは、本当に働き者なので、全国各地で仕事をしまくり、稼いだお金で海外へも軽々と行ってしまう。

「この前、南極へ行ったよ。目の前でクジラを見た。ペンギンは人間の近くに来る」などというので、びっくり仰天した。

ところが、そんなAちゃんがこう言うのである。

「でも私、鬱に近いと思う。あちこち行ってるけど、何も楽しくないんだよね。今さら何を見ても刺激がないし感動もない。クジラを見たときは、ちょっとテンション上がったけど、そういうのが稀にあるくらいかな」

私はあまりの衝撃に「ぬ゛ぉ?」と変な声を上げそうになった。

Aちゃんは、各地を転々とすることにあまりにも慣れており、それゆえに何を見ても心が「無」のままなのだという。感覚が鈍くなり、その状態を「鬱に近い」と表現しているのである。

だが、冷静に考えればそうだろう。
Aちゃんにとって、知らない街へ行くことも、知らない人と出会うことも、初めての仕事をすることも、すでに「日常」なのだ。
「新しい出会い」が日常であれば、そこに刺激がないのも頷ける。
では、なぜ旅を続けるのか。

「もはや義務感」

Aちゃんはクールな顔で言った。
人間ってすごい。

「旅行は、回数じゃない。感動のレベルで決まるんだよ」

その言葉に、私は深く感じ入った。
そうだよなあ。家の前で蟻の行列を見つけただけでも、感動レベルが最高潮に達するなら、そっちのほうが価値があるんだよなあ。

……え、本当に?

 

だが、Aちゃんのような人に、私は今年、もうひとり出会っている。

Bちゃんは、都内に暮らす会社員で、やはり「鬱とかじゃないんですけど……」「鬱っぽいっていうか……」などと、アイスコーヒーの氷をカラカラさせながら言うのだった。

彼女の場合も、異常なまでにアクティブだ。
メディア系の多忙な仕事に加え、週5日はスポーツクラブへ通っている。休日ともなれば、さまざまなプログラムを3コマ、4コマと連続でこなしているらしい。

腕につけたスマートウォッチから、「昨日より消費カロリーが少ないですねえ」なんぞと通知が来ようものなら、猛烈に焦り、取り憑かれたように体を動かす。

でも、そこに刺激はない。何も楽しくない。なんで生きてるのかわからない。

うーん、深刻。
人類の行きつく先は、暴走した死人なのか。

そういうわけで、私が今もっとも身近に感じている「鬱っぽい人々」は、このタイプなのであった。
似たような人に、私は3人4人と会っている。

でも、私はここで言いたい。
なんでみんな、そんなに元気なの! と。

私の場合、デフォルトがテンション低めだし、刺激を求めていないし、体力がない。「鬱っぽい」などと言う人は、ちとハイを求めすぎじゃないかという気もする。

さて、そんな私は、ここ最近エムガルティという注射を打ち始めた。

なんだ、その怪しい注射は! と思ったそこのあなた。これは、片頭痛予防注射です。

2021年に発売された比較的新しい薬で、私は3軒目に通いはじめた町医者で初めて勧められたものの、新薬には抵抗があるし、どうにも効くように思えなくて「まあ、いつか余裕ができたら」などと、のらりくらりかわしていたのだが、ある日の朝日新聞で、この注射を打った重度片頭痛患者が「人生変わった」と話しているのを読んで、打ってみることにしたのだった。
これが1か月半前のこと。

保険適用でも、1本約13000円。それを毎月打たなければいけないうえ、初回は2本打つので、これで効かなかったら目も当てられない。

結果、今のところ効いている。
途中で効かなくなる人もいるらしいので、まだ油断はできないのだが、1か月半を過ぎれば少しは安心できる。

そして、エムガルティを打ち始めて、私は初めて気が付いた。これまでの人生が、いかに頭痛に支配されていたかということに。

記憶のある限り、私は7歳くらいから酷い片頭痛持ちだった。1か月のうち、10日から15日間は頭が痛い。つまり控え目に言っても人生の三分の一以上は頭痛ということになる。

一番の原因は寒暖差だ。夏の暑い日に汗をかき、エアコンの効いた部屋に入ろうものなら、もう一発で頭痛に襲われる。冬もまたしかり。どこもかしこも年中エアコンはついてるので、これは回避不可能。

そのほか、モニターの光、首の凝り、飲酒、疲れ、寝すぎ、へんな人間と会ったなど、ありとあらゆるストレスが、手あたり次第に頭痛となって現れる。

それはもう天罰のような痛みで、処方薬を飲めば数時間後には痛みが治まるが、副作用でボーっとするし、翌朝になれば振り出しに戻る。それが、5日から1週間は連続する。

いつ頭が痛くなるかわからないから、予定をこなすのは1日1件が限界。大きい予定は1日置きにしか入れられないし、先の予定を入れるのは怖くてできない。
旅行へ行っても、朝から動いて、夜にまた人と会うなんてスケジュールになると、途中に「薬を飲んで倒れる」時間を入れておかないと、確実に頭は痛くなると思っていたし、実際その通りになった。

痛みにも強弱があるけれど、たまに血管が別の生き物になったかのような酷い頭痛(きっと想像できないよね)が来たときは、その日見たもの、着ていた服、食べたもの、一緒にいた人までが、二度と見たくなくなるほどトラウマになる、ということもあった。

将来の目標を立てて努力しようと思っても、いつも頭痛が立ちはだかって強制終了。予定が頓挫し、努力以前の場所に引き戻された。私が野心を抱くことは、神によって禁止されているのだと思っていた。

ちなみに、私が片頭痛持ちであることは、ほとんど人に話していない。痛みが出ているときも、極力バレないようにしている。
一度話してしまうと、会うたび「今日は頭痛どう?」と聞かれるようになって鬱陶しいし、「休みなよ」などと言われようものなら「一生引きこもってろ」に脳内変換され、イラッとするからだ。

で、エムガルティを打ってどうなったか。
最初の1か月は、酷い頭痛が2日、少し痛いかもと思う日が4日。2か月目には、今のところ頭痛はゼロ。
主治医のほうが驚いていた。

メカニズムとしては、三叉神経系が活性化するとCGRPという物質が放出され、それが血管や神経に作用して片頭痛発作が起きるわけだけど、エムガルティは、そのCGRPに結合して働きを抑えることで、痛みを出なくしてしまうらしい。

そして今、私は生まれてはじめて「頭痛がない」状態を体験している。

で、気がついた。
私の頭痛は、毎日だったということに。月の三分の一以上が頭痛だと思っていたけれど、とんでもない。痛くない日だって、頭痛恐怖や予兆、ぼんやり感じる何かで全然動けていなかったのだ。

これまで、頭痛がなくなれば人生が変わると思っていたけれど、そんなものじゃなかった。今いるのは、パラレルワールドといっていい。
あったかもしれないもうひとつの世界に移行したから、まったく同じ世界に見えて、前とは確実に違う場所にいる。

常々、頭痛がなければ今の3倍は仕事ができるのに、と思っていたけれど、そこはまだわからない。そもそも、頭痛がない状態にまだ思考が追い付いてない。
それでも、朝から晩まで動けている。先の予定を恐怖心なく入れられる。という、これまでの私にはあり得なかったことが、すでに起きている。

動ける時間が何倍にも増えたことで、今は時間が余っている。人生設計を頭痛がない状態に組み替えていくことになるから、今はまだチューニング中だ。

でも、わかりやすく実感したのは、性格の変化じゃないだろうか。
これまでは、急に話しかけられても、頭がぼんやりして何も答えられなかった。突然誰かに挨拶されても、返す義理がないときや、ましてお金を払ってサービスを受ける側のときは無視した。
よくみんな対応できるなあ、と思っていたが、私は知らなかったのだ。自分が体調不良であるということに。

自分のことは自分が一番よくわかっていると思っていたけれど、そうではなかったようだ。きっと、多くの人がそうなのだろう。
人間は自分が思っているほど、自分の状態を正確に把握できていない。

例えば多発する全裸事件。

今年7月、東京都内の公園で、女子児童が遊んでいたところに全裸で近づき、「ごめんなさい」と言って、その場から立ち去ったとして、会社員の男(41歳)が逮捕された。
男は、「はっきり覚えていないが外で裸になった記憶は何回かある」「ストレスがたまると裸になってしまうような気がする」などと供述しているらしい。

きっとパラレルワールドには、全裸にならない人生もあったのだろう。
彼は、全裸衝動に支配されない人生がどれほど快適か、理解しているのだろうか。
いや、理解していないはずだ。わかっているつもりでも、本当の意味ではわかっていないはずだ。

私には、その感覚がわかるぞ!

もしかして、私がこれまで変な人間ばかりに共鳴して、殺人犯を取材したり、性的倒錯者に興味を持ったりしていたのも、片頭痛が原因だったのではないかという気がしてくる。

え、本当に?

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それが、人間

写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。

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インベカヲリ★ 写真家、ノンフィクション作家

写真集『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』。著書『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』『私の顔は誰も知らない』『伴走者は落ち着けない』『未整理な人類』など。

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