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それが、人間

2026.04.22 公開 ポスト

神と変態が重なりあう

謎の親切男、上履きの神様、ヤフコメ民の気負い、拾った財布……日常に持ち込まれる“量子力学”のややこしさインベカヲリ★(写真家、ノンフィクション作家)

神と変態が重なり合う

「知り合いにね、『困ったときにいつも現れる男性がいる』って言ってる女性がいるんですよ」
あるとき、Aさんからそんな話を聞いた。その女性を仮に美女子さんとしておこう。
ことの始まりは、美女子さんが重い荷物をもって道に迷っていたときのこと。深夜で標識も見えづらく、地図を片手に路地をうろうろしながら困っていたという。すると、偶然通りかかった男性が、「そこならよく知ってるよ」と目的地まで案内し、荷物を代わりに持ってくれたそうだ。
美女子さんは、「その男性がいなかったら、絶対に目的地にたどり着けなかった」と安堵し、「心の底から助かった」と喜んでいたという。

それから数日後、街なかで美女子さんの履いていた靴が破損し立ち往生していると、再び同じ男性が通りかかった。事情を知った男性は、靴の修理をしてくれる専門店を案内し、トラブルはすぐに解決したそうだ。

そうしたことが何度も続いているというのである。
Aさんは、静かな声で言う。
「その話を聞いたときね、ゾゾゾッとしたんですよ」
確かに妙だ。困ったときに同じ人が偶然通りかかることなど、そう何度もあるだろうか。
「でも、美女子さんは『助かってる』って喜んでいるから、何も言えないんですよね……」
つまり、その男は美女子さんが困っているときに本当にたまたま通りかかって助けてくれている可能性と、四六時中つけまわし、困る瞬間を見計らって現れている可能性の両方が考えられるということだ。

とはいえ、本人が助かっている以上、他人がむやみに否定することはできない。ストーカー行為は迷惑防止条例でも取り締まられるが、このケースは迷惑行為ですらないのだ。いわば勝手に護衛。困っていないときは、現れないのである。

私は言った。
「試しに、銀座で寿司を食べた後に、『財布忘れた』って騒いでみたらいいんじゃないですか?」
もしも男が偶然現れたら、疑いは一気に現実になるだろう。たまたま後ろの席にいて、「代わりに払うよ」などと言い出したらクロ確定だ。
だが、その瞬間に失われるものもある。
美女子さんが感じていた偶然の出会いと優しさは、つきまとい行為へと書き換わるのだ。

私の脳裏に、シュレディンガーの猫が浮かんだ。
密封した箱の中に猫を入れ、1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性物質と、その崩壊を検出すると瓶を割って毒ガスを放出する仕掛けを組み込む。箱の中は見えないため、開けて観測するまでは、「猫が生きている状態」と「猫が死んでいる状態」が重なり合っていると解釈される思考実験だ。

美女子さんは今、2つの可能性が重なり合った状態にある。
困ったときにいつも現れる男性がいる世界線と、知らないところでつねに監視されている世界線だ。

観測しない限り、ストーカーは存在しない。
だが、蓋を開けて「親切」が「監視」だったと確定すれば、一気にホラー展開へと突入する。そのとき、「もう、困っているときに偶然現れないでください」と言うのだろうか。
知ってしまえばショックだが、知らなければ幸福のままでいられるということは、日常でもよくある。
例えば今年3月、長崎県内の小中学校で、生徒たちの使い古した上履きが忽然と姿を消し、新品の上履きに差し替わるという出来事が起きた。

朝、登校して下駄箱を見た子どもたちは、さぞ喜んだことだろう。薄汚い上履きが、真新しい上履きに変わっているのだから。
物価高の昨今、「神様みたいな人がいるのね」と、母子ともに喜んだ家庭もあったかもしれない。

だが、神様は逮捕された。

その実態は、空いた下駄箱に新品を残すという手口で、子どもの使い古した上履きを狙う連続窃盗犯による犯行だったからだ。
逮捕されたのは、長崎市内に住む会社員の男(53歳)で、今年2月に諫早市の小学校で下駄箱の前に立っていたところを職員が発見。自宅からは複数点の上履きが見つかったという。

学校としては、使い古された上履きを新品に変える神様のような人物を特定し、感謝状を贈るために見張っていたのかもしれない。この時点では、「神様」と「変態男」は重なり合った状態で存在している。だが、現れたのは変態男だった。
このときの児童たちの気持ちたるや、確定させた教師や警察官を逆恨みしたって不思議ではない。

ところで、私は現在AERAデジタルというウェブサイトで一般の女性をインタビューする連載をしている。その記事は自動的にヤフーニュースへと転載される仕組みなのだが、このヤフーニュースのコメント欄はびっくりするほど品がない。
通称ヤフコメ民は、重箱の隅を突くがごとくどんな記事でも批判し、解釈の暴走ともいえる曲解、飛躍、独自の陰謀論を織り交ぜて罵倒してくるからだ。

そういうわけで私は、自分の記事が掲載されても一切ヤフコメを見ないようにしているし、インタビューに答えてくれた女性たちにも「見ないほうがいいよ」と伝えている。
ところが最近、「どんなふうに叩かれるのか興味ある」と、好奇心を見せる女性が増えつつあるのだ。
私は、自分が傷つくから「知りたくない」と思っていたが、どうやらヤフコメ民の“なんでも罵倒する精神”は、一周回ってエンタメ化しているらしい。

すでにインタビューが掲載され、ヤフコメ民から罵詈雑言を浴びた某女性は、
「私が『事務は天職』と言ったことは批判するのに、不妊治療してることについては誰も触れてこないのね。あれってどんな心理なんだろう? ヤフコメ民にも、叩いていいラインの見極めがあるってことなのかな?」
と、目を輝かせて分析していた。
だが、ヤフコメ民が「叩いていいライン」を見極めるほど礼儀正しいとは思えない。
さしずめ、ヤフコメ民たるもの「凡人に理解されるような批判はダサい」「もっと想像を超える批判をしなければ」と、気負ってるだけではないのか。

私は、ヤフコメを楽しめる彼女のメンタリティに敬意を抱いた。結局、大事なのは、物事が確定したあとの対処法ということなのだろう。
観測した瞬間、世界は一つの状態に収束する。親切だった人はストーカーになり、神だったものは変態に変わる。
だが、我々は「知った」後に、それを楽しむ余白が残されているのだ。
ストレスの多い現代人には、さっさと観測して娯楽に変えるだけの俯瞰力が必要なのだろう。
全然関係ないが、私はよく財布を拾って交番に届けることがある。その際、必ずお巡りさんから「中は見ましたか?」と聞かれる。まるで、お金を抜いた疑いをかけられているみたいで大変不快だ。とはいえ、もしも財布の中にお金が入っていなかったら、そもそも交番に届けないだろう。カラの財布を届けたら、ゴミを持ち込んだみたいで、それこそ私のほうが異常者だ。つまり、交番に届けている時点で、中にお金が入っていることは確定しているし、「見ていない」と答えるのは不自然なのである。
それでもこの質問が飛んでくるということは、お金が入ってる状態と、お金が入っていない状態が重なり合った状態で存在していると解釈しながら交番に届けてほしいということなのか。

ややこしいから、日常のできごとに量子力学を持ち込まないでほしいものである。

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それが、人間

写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。

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インベカヲリ★ 写真家、ノンフィクション作家

写真集『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』。著書『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』『私の顔は誰も知らない』『伴走者は落ち着けない』『未整理な人類』など。

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