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それが、人間

2026.07.22 公開 ポスト

老人はまだ完成していない

Chat GPTを使うベローチェの老人、部下にクレーンゲームを強要する警部補――新しい環境がもたらすものインベカヲリ★(写真家、ノンフィクション作家)

老人はまだ完成していない

 

私は、いつもカフェベ・ローチェに来て仕事をしている。静かな自分の部屋より、ザワザワした喧騒の中にいるほうが、執筆がはかどるからだ。その喧騒レベルにおいて、ベローチェはちょうどいい。
サンマルクカフェは、イキったビジネスマンが店内でリモート会議をしているから気が散るし、スターバックスは浮ついた若者が鼻につくし、ドトールは、ちょっと体が当たっただけで怒りそう客が多いので緊張感が抜けない。
対するベローチェは、年齢層が高く、まるで老人たちの寄り合い所だ。70~80歳くらいの女性たちが、毎日のように女子会を開き、店内のあちこちでグループを作っている。
私は彼女たちの顔までは判別できないが、たまに特徴的な声の持ち主がいて、「またいるな」と思ったりする。もっとも、「またいるな」と思われているのは私のほうかもしれないが。

さて、そんなベローチェで、私は最近、ある変化に気が付いた。
高齢者たちの会話は、店内にいると嫌でも耳に入ってくる。以前は、やれ自分の息子の就職先がどこだ、お嫁さんがどうだ、誰それが亡くなった、誰が病気した、といった話題ばかりで、絵に描いたような年寄りの会話だった。
ところが今年に入ってから、はっきりと会話の内容が変わり始めたのである。
70歳、80歳の人たちが、隣の席で
「YouTubeでリハック見てたらね──」
「この前、チャットGPTに聞いてみたんだけど──」
「インスタ見た?」
などと話しているのだ。

私は焦った。
これではまるで自分じゃないか。
この一年の間で、老人たちの間に一体何が起きたんだ。
そう思った矢先、今度は「今週はピラティス?」みたいな声が聞こえてきて、ギャーとなった。ピラティスは、私の日課じゃないか。
年寄りが若返り始めたのか。それとも、私が老人のような生活をしているのか。
頭が酷く混乱した。

もはや、「縁側でお茶を飲み、昔ばなししかしなくなる」などという老人像は、過去のものになりつつあるのだろう。

たとえ後期高齢者であっても、新しいデバイスを手に入れれば趣味や日課が変わり、生活スタイルまでが一新する。人は何歳になっても、自分をアップデートできるということだ。

これは言い換えると、人は新しい環境を与えられると、それに応じて新しい一面を見せるということでもある。

高齢者にとって環境の変化がデバイスなら、現役世代にとって、もっとも大きな環境の変化といえば序列の変化だ。
新人がベテランになり、部下だった人間が上司になる。年齢や経験とともに、人は少しずつ権力を手に入れていく。

私はフリーランスなので、写真家としては30代半ばを過ぎても「若手」「新人」扱いだったが、賞を取ったことで、いきなり「先生」と呼ばれ始めたときは驚いた。中間がなかったので、未だにギャグとしか思えない。
もっとも私の場合、立場が変化したとはいえ、部下がいないので人間関係に上も下もない。これが組織に属し、明解な序列がある場合は、環境の変化は相当なものだろう。

ときとしてそれは、不祥事にもつながるようだ。

今年7月、静岡県警の機動捜査隊に所属する50代の警部補が、勤務時間中に30代の巡査部長に対し、クレーンゲームでフィギュアを取るよう強要するなどして、懲戒処分を受けた。
警部補は、「人の金だと思ってまじめにやってないだろ」「自分の金を払って真剣にやれ」などと叱責しており、パワハラ行為も認定された。
警部補は、アニメや漫画のフィギュアを集めており、クレーンゲームで取ったフィギュアがもう一つ欲しかったという。

つまり警部補は、フィギュアを手に入れるために部下を利用したのである。
彼が欲しかったのは、クレーンゲームの景品一つ。普通なら諦めるか、別の日に挑戦する。しかし、部下を使える立場になったことで、強引に取らせるという選択肢が生まれてしまった。権力を得たことで、自分の中にある欲望が表に出てしまったのだ。
高い倫理観を求められる警察官ですらそうなのである。

ということは私も、人を自由に使える立場を手に入れたら、新たな一面が生まれるのだろうか。

私は物欲が少ないほうなので、人を使ってものを得ようとすることはないように思う。ただ、「お金で買えないもの」を欲しがった場合は、けっこう厄介だ。
最近の私は、オカルトづいているので、「小さいおじさん(※)を見つけてくるまで帰ってくるな」とか、「呪いの人形を預かれ」などと部下に強要するかもしれない。
(※小さいおじさんの姿をした高次元のエネルギー体)
あるいは体温が低いので、真夏に汗だくな部下の前で、「冷房は止めて除湿にしてね、寒いから」ぐらいは、平気で言いそうだ。
いや、本当に権力を手に入れたら、そんな可愛いものじゃ済まないかもしれない。今は、力がないから優しそうな雰囲気をしているだけで、自分でもまだ知らない暴力性が花開いたとしても不思議ではない。
そういう意味では、人は権力を持ってみなければ、自分の本当の姿に気づけないともいえる。

ベローチェの老人たちは、新しいデバイス環境の中で、これまでの人類史には見られなかった新しい老人の一面を見せ始めた。
権力を手に入れた警察官は、部下にフィギュアを取らせるという、己のパワハラ気質を露わにした。

どうであれ、新しい環境は、新しい自分を引き出すのだ。

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それが、人間

写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。

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インベカヲリ★ 写真家、ノンフィクション作家

写真集『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』。著書『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』『私の顔は誰も知らない』『伴走者は落ち着けない』『未整理な人類』など。

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