本コーナーで展開されていた、作家・宮田珠己さんの人気連載『衰えません、死ぬまでは。』が書籍化されました。
老化を感じ、体力どころか運気まで下がってると感じた宮田さんが、冒頭から「筋トレ宣言」して始まる本書。…なのだが……。
作家のphaさんが、書評の中で「筋トレのつまらなさを、はっきり言葉にしてくれていてうれしい。」とコメントしているほどの、宮田さんの様子を、試し読みでお楽しみください。(そして、phaさんの書評はコチラから!)。
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第2話 筋トレが続かない人
人生の運気を上げるため、筋トレをはじめることが決まった。
そうと決まれば、今すぐにでもとりかかりたいところだが、ここで焦ってはいけないことを私は知っている。
何事も、華々しくはじめたはいいが、3日と続かぬうちに、やめてしまうのは世の常だ。そう簡単に続くぐらいならとっくにやっている。
つまり、この私が毎日コツコツ筋トレなんかすると思ったら大間違い、という厳粛なる事実に向き合う必要があるということだ。
なにしろ決断力には自信のある私だ。
開始→不毛→中止
と即座に行動を起こすことができる。中止という行動を。
こう見えて、筋トレだけでなくジョギングや水泳にも何度となく挑んできたのである。
常に挑戦し続けてきた人間として、その不毛さ、やってもやっても続かない不毛さを、そのへんの凡人よりもはるかに熟知している。挑戦の達人と呼んでもらっても構わないぐらいだ。

実はかつて、この、すぐにやめてしまう問題について、画期的な解決法を思いついたことがある。
原理はとても簡単で、きつい筋トレをやらなければならないという気の重さが、継続を阻害する最大の原因であるわけだから、心に負荷をかけない筋トレをすればよい。つまり、きついと思ったら、即座にその日のプログラムを終了するという方法である。
トレーニング中、少しでもきついと思ってしまうと、そのときはがんばれても、翌日になると、またあれをやるのかと思ってゲンナリし、腰が重くなる。きついプログラムが、心の負担になっていることがはっきりとわかる。これが続かない原因なのだ。だから、きついと自分に思わせないようにしなくてはいけない。
であるならば、きついと思う前にその日のプログラムを終了するのが効果的だ。なんならまだきついと思っていないけど、もうすぐきつくなりそうだなあ、という時点で中止するのもいい。
5年前ぐらいに、この方法で筋トレに挑戦した。 具体的には、種目は3つ以内にし、1回のエクササイズも楽な量しかしない。かつ、2セット禁止というもの。
私が立てたプログラムは、腹筋30回と腕立て伏せ20回、プランク60秒を1セットのみだった。1セットしかしないのは、同じことをくりかえすのは気が重く、挫折の元だからだ。
このぐらいなら、いくら私でも苦労なく続けられるだろう。もちろんエクササイズの量が少ないから、すぐにはお腹は凹(へこ)まないし、体力もつかないのは承知の上だ。筋トレは長期戦なのだ。やっているうちに筋力がついて回数も増えていくだろう。
この方法でしばらく続けたところ、案の定体脂肪率はちっとも変わらなかった。それでも大切なのは継続すること、そう信じてその後もコツコツとやり続けたかというと、いつの間にかやらなくなった。続いたのは2週間ぐらいだろうか。
どうしたことか明日もやりたいという気持ちが湧いてこなかったのだ。この程度なら楽しみながらやれると踏んでのトライアルだったのに、さっぱり楽しめず、十分に苦痛であった。
だがここであきらめたら試合終了である。
私は、挫折したという心の傷が十分に癒えるのを待ち、2年ほど前に、あらためて挑戦した。 前回の失敗を踏まえ、種目をさらに減らし、腕立て伏せ10回とスクワット30回。もちろん1セットのみにした。
腹筋とプランクをスクワットに変えたのは、足腰の衰えを実感したからだ。家の階段を下りているとき、何もないのに脚がカクッとなって転げ落ちそうになった。
やばい。これ、おじいさんの症状では?
そんな危機感とともにスクワットを追加し、腹筋とプランクはそのうちやることにした。腕立て伏せの回数が減っているぞ、と思った読者もいるだろうが、前回腕立て伏せは10回までなら楽しいことが判明したからである。これが20回になると苦しい。苦しいと続かないから、まず10回ではじめて、筋力がついてくるにしたがって15回、20回とだんだん増やしていく予定だ。
この計略が功を奏し、このときは1カ月続いた。
やればできるではないか。
1カ月も続いたのだ。
2カ月目はどうした、という声が聞こえてきたが、まずは1カ月続いたことを寿(ことほ)ごうではないか。
1カ月継続万歳! さすがおれ。 で、2カ月目はどうだったかというと、もちろんやっていない。当初はこのまま順調に行くかと思われたが、気がつくとやらない日が増え、やがてぱったりと途絶えてしまった。
なんだ、やってないのかよ、と蔑んではいけない。この中止には意味があった。続かないのには負荷の大きさとは別の要因があったことに気がついたのである。
問題はスクワットにあった。時間がかかるため、頭の中が退屈だったのだ。
肉体にかかる負荷はたいしたことないのに、その退屈がきつかった。
これまで体がきついから続かないのだとずっと思い込んでいたが、真の原因は、エクササイズ中、何も変化しない単調さにあったのだ。
実は筋トレではないが、これと並行して試し、うまくいったエクササイズがある。飽きずに今も続いているエクササイズ。
それは、散歩だ。
新型コロナが全国に蔓延しはじめた2020年。仕事も減ってヒマになり、好きな旅行もできないから、私は近所の散歩をはじめた。
1日平均1万歩、月に30万歩を目標に歩きはじめたところ、最初の1カ月目から目標を達成、その後5カ月間毎月30万歩を歩くことができた。そのまま続けることもまったく苦ではなかったが、その後仕事が増えはじめて時間の余裕がなくなったために30万が20万に減った。それでも翌年にもまた3カ月連続で30万歩を歩き、今でも時間が許せばそのぐらいは歩けるどころか、むしろ歩きたくてウズウズしているぐらいである。
このように散歩なら続くのに、筋トレになると続かないのは、散歩は景色が移り変わって退屈しないのに対し、筋トレは景色など移り変わるはずもなく、ただ同じことのくりかえしだからだ。敵は負荷の大小ではなく、単調さだったわけである。
実際、散歩でも昨日と同じコースを歩くとなると苦痛だった。できるだけ知らない道を歩きたい。そう思い、GPSで歩いた経路のログをとって地図に落とし、常に歩いたことのない道を歩くようにした。
そうすると自分が歩いた場所の地図を眺めるのも楽しくなり、次はこのへんに行ってみようとかあれこれ考えるようになって、最終的に散歩は趣味と化したのだった。
パンデミックがはじまって3年、散歩のおかげで少しは体力も増進したような気がする。
しかしまだ十分とは言えない。好奇心や行動力、活動量が目に見えて増えてこないと、人生に新しい波は起こらない。
私はやはり筋トレを実行しなければならない。
筋トレも散歩みたいに景色が変わらないだろうか。
体重や体脂肪率は、数字的な変化が目に見えるようになるまで時間がかかるそうだ。なのでそこに注目するとモチベーションは続かない。昨日と今日と明日に何でもいいから違いを感じられるものが必要だ。
実はこの感覚が、エクササイズが続く人と続かない人の差ではないのだろうか。心を無にし、単調な運動を黙々とこなせる人と、単調な行為に耐えられない人。
黙々とこなせる人は、たとえば夜眠るのも早そうな気がする。私のように単調さに耐えられない人間は、夜寝床で横になってからも、じっとしているのが退屈に思えてくる。体は疲れているのに、頭はまだ何か変化を欲してしまうのだ。だから、本を読んでみたり、禁断のスマホを手にとってみたりして、ちっとも眠れないのである。
これはもう性格だからしょうがない。
んんん。行き詰まってしまった。
つべこべ言わずさっさとやれ、と読者は思っているだろう。私も思っている。しかしそうやってやった結果、二度も挫折しているのだ。また失敗したときの心の傷(トラウマ・PTSD・心的外傷)は、これまで以上に深く、立ち直れないものになるだろう。
いや、そもそも、このような考え方がいけないのかもしれない。
いつもこうなのだ。あれこれと条件をつけてそれが揃わないと腰をあげない。あげくに性格のせいにしたりして、われながらうんざりする。そんなことだから運気が上がらないのではないか。
ああ、すっかり行き詰まってしまった。
これ以上考えても埒(らち)が明かない。
そこで私は、先達の知恵を仰ぐことにした。
実は身近に素晴らしい先達がいるのだ。
息子と娘である。
息子と娘は、私の遺伝子を受け継いでいるにもかかわらず、なぜかコツコツ運動できるタイプで、たとえば息子などは自室にランニングマシンを購入し、狭い戸建ての2階で毎日毎日ドッドッドッと鈍い振動音を響かせている。おかげで床が抜けないか気が気でない。
家にランニングマシンなんて買うかふつう。金持ちかよ。家、建売だぞ。
というか、外で走れよと思うが、花粉症がひどいのと、雨の日でも走れるから便利なようだ。
ランニングマシンだけでなく、わが家にはなんだか妙に運動器具がたくさんある。トレーニングマットやダンベル、プッシュアップバー、メディシンボールぐらいは、まあ、ある家にはあるだろうが、さらにトランポリンもあれば、ハードルまである。
ハードル? そう、陸上競技に使う本式のハードルである。陸上選手の娘がどうしても欲しいというので買ったのだが、そんなものが家庭で買えることにまず驚いた。買ったはいいが家でどうやって練習するのか、そもそも1台だけあっても役に立たないのではないか。
娘は、ときどき家の前の道路に置いて助走をつけて跳んでいたようだ。今は種目を変更したため使わなくなったが、今度は懸垂(けんすい)マシンが欲しいと言い出している。ぶら下がり健康器みたいなやつで、調べてみると結構大きい。これ以上モノ置けるか! ジム行け、ジム。
ともあれ、このふたりは現役のトレーニング実践者であり、プロテインもこまめに飲んだりしていて、筋トレについては私よりずっと詳しい。
そこでまず息子に聞いてみた。どうすれば筋トレが続けられるか。すると、
「トレーニングが続かないのは、失うものがないからだよ」 と言う。いったいどういう意味だろうか。
衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか「運気」も下がっている気がして、悶々。
いざ、まじめに老化と向き合おうと一念発起!……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。毎朝の”バターしみしみパン”もやめられない。
はたして、「老い」と戦えるのか?「運気」は上がるのか?
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。











