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新宿・歌舞伎町

2026.02.06 公開 ポスト

「1990年代は深夜1時の開店」新宿・歌舞伎町はいつからホストクラブの街になったのか手塚マキ

2月21日(土)15時半より、日本最大の読書サークル・猫町倶楽部とSmappa!Groupによる読書会「文化系ホストクラブ」が開催されます。課題図書は、Smappa!Group会長、手塚マキさんの著書『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』です。開催を前に、歌舞伎町の奥深さがわかる本書より一部を抜粋してお届けします。読書会に参加ご希望の方は、猫町倶楽部のサイトをご覧ください。

(写真:Unsplash/Stefano Huang)

90年代のホストクラブは深夜1時の開店

私は、1997年に新人ホストとして歌舞伎町にやってきた。最初に教わったことは、歌舞伎町の地理だ。通りの名前、交差点の名前、ビルの名前、深夜までやっている店の名前……。店の中のことより店の外の事情を最初に教わった。

当時のホストクラブは深夜1時に開店して朝7時に閉店、だから新人は23時に出勤して買い出しに行く。買い物は深夜やっているスーパーエニイか塩田屋(ドン・キホーテができてエニイは潰れた)。お店から買い出しに向かう途中に先輩から街の事情を教わる。この通りではキャッチをしてはいけない。この道は危ないから通らないようにしろ。こういう風貌の○○さんとは目を合わせてはいけない……ドラクエみたいだなーと思ったことを覚えている。先輩と言っても2カ月前に入店した20歳の新人ホストだ。それでも19歳の私には先輩がとても大きな存在に感じられた。

当時はキャッチが当たり前に仕事の一部だった。23時に出勤して掃除して買い出ししたら、お店が混み始める3時頃まではキャッチの時間だ。1時頃から釣り場を探す釣り人のように歌舞伎町のいろんなキャッチスポットを巡る。キャバクラや風俗店の前で声を掛けてはいけない。お店からタクシーを捕まえやすい大通りまでが絶好のキャッチスポットのはずだ。しかし、そういうあからさまなスポットは避けるのが暗黙の了解だった。通る人もキャッチされる覚悟で歩くような場所がキャッチスポットなのだ。

入店当時私は、引越屋のバイトで貯めたお金で買ったシンプルなフェンディのスーツしか持っていなかった。先輩たちにサラリーマンみたいと弄いじられ、じゃらじゃらした飾りがたくさん付いた黄色や青地の一昔前のスーツを譲り受けた。

キャッチスポットには私同様、ホストになり立ての御下がりスーツを着た新人ホストが溜まっていた。お互い顔見知りになるが友達にはならない。他店のホストと我先にと競いながらキャッチをする。不思議とキャッチ中にホスト同士で揉めることはなかった。そんな合間に安い食堂でご飯を食べる。私たちはチェーン店の福しんか、今でもあるつるかめ食堂でよく食べた。

ずっとキャッチをしているのは疲れるので、ゲームセンターでサボる。30分に1回お店に報告の電話を入れる。2000年代になって迷惑防止条例によってキャッチが規制されるまでは、売れないホストの主な仕事場は、店ではなく外だった。居酒屋のキャッチ、他店のホストのキャッチ、さまざまなキャッチが街にはいた。お客様を呼べばキャッチしないでいい。キャッチをしなくなるということはホストとしてのレベルが上がった証拠だった。みな、そこが最初の目標だった。当時歌舞伎町には大小合わせて約30軒のホストクラブがあった。

ホストクラブの起源は1965年の東京駅八重洲口にできた「ナイト東京」で、女性客の社交ダンスの相手をするのがホストの始まりと言われている。社交ダンスの雰囲気を残しながら現在に通じるホストクラブの基礎を作ったのは紛れもなく1971年に愛田武氏が歌舞伎町に作った「クラブ愛」だろう。そこからホストクラブの中心は歌舞伎町になっていく。80年代は愛田氏の経営する愛田観光の天下だったが、同様に社交ダンスができる大箱店が7軒ほどあった。まさに漫画『ジ・ゴ・ロ』のような世界だったのだろう。

80年代になり若いお客様も増えていき、私がホストを始める90年代にはバブル崩壊の煽りを受けた男性向けのクラブなどが家賃を軽減するために、営業終了後の深夜にまた貸しで女性向けのクラブを始めたのが、ダンスフロアがないホストクラブが増えていった経緯だ。

90年代には愛田観光以外でダンスフロアがあるホストクラブは2、3軒しかなくなり、私がホストを始めた97年にはホストクラブの主流は、深夜営業の20人程度のお客様しか入らない小さな店たちだった。愛田観光は年齢層が高いホストが働く店として別枠扱いだった。ネクタイ・スーツが必須で若い子が働きたくなるような雰囲気ではなかった。

その後、約20軒の若いホストを中心とした深夜営業の店がホストクラブの主流に変わり、お客様も仕事終わりの水商売や風俗の方が中心になっていく。この時期がホストクラブの大きな転換期だった。深夜のまた貸しという状況でホストクラブが乱立していけば当然秩序は乱れていった。

この時期のことは、石井光太『夢幻の街』に詳しい。
 

* * *

続きは、『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』をご覧ください。

また、2月21日(土)15時半より、猫町倶楽部×Smappa!Groupによる『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』読書会を開催します。会場は、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「APiTS(アピッツ)」。著者の手塚マキさんも参加します。
詳細・お申込みは、猫町俱楽部のサイトからどうぞ。

関連書籍

手塚マキ『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』

戦後、新宿駅周辺の闇市からあぶれた人々を受け止めた歌舞伎町は、アジア最大の歓楽街へと発展した。黒服のホストやしつこい客引きが跋扈し、あやしい風俗店が並ぶ不夜城は、コロナ禍では感染の震源地として攻撃の対象となった。 しかし、この街ほど、懐の深い場所はない。職業も年齢も国籍も問わず、お金がない人も、居場所がない人も、誰の、どんな過去もすべて受け入れるのだ。 19歳でホストとして飛び込んで以来、カリスマホスト、経営者として23年間歌舞伎町で生きる著者が<夜の街>の倫理と醍醐味を明かす。

倉科遼/柳葉あきら『夜を生きる 歌舞伎町・ホスト手塚マキ物語』

〈夜の街〉と〈ホストの人生〉を変え続ける男。 新宿・歌舞伎町の元ナンバーワンホスト名物経営者の生きざまをネオン劇画の巨匠がマンガ化&舞台化 軽い気持ちで新宿・歌舞伎町のホストクラブで働くことにした19歳、大学一年生の手塚マキ。優等生人生では見ることのなかった世界。刺激的な毎日。とはいえ、いつかは就職して、まっとうな社会人になるつもりだった。なのに、ナンバーワンになった自負と虚栄心によって起こした事件で歌舞伎町にとどまることになってしまう――。挫折も、孤独も、欲望も、人間のすべてを飲み込む、新宿・歌舞伎町で生き続けるということ。「『夜王』を終えて10年。もう一度ホストを書きたいと私に思わせたのが手塚マキです」と倉科遼氏に言わしめた、稀有な夜の街の住人、手塚マキの生きざまをマンガ化。2022年11月17日〜27日は新宿シアターモリエールにて本作を舞台化する。

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新宿・歌舞伎町

2020年11月26日発売の新書『新宿・歌舞伎町』について

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手塚マキ

歌舞伎町でホストクラブ、バー、飲食店、美容室など10数軒を構える「Smappa! Group」の会長。歌舞伎町商店街振興組合常任理事。JSA認定ソムリエ。1977年、埼玉県生まれ。川越高校卒業、中央大学理工学部中退。97年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て、独立。ホストのボランティア団体『夜鳥の界』を仲間と立ち上げ、深夜の街頭清掃活動を行う一方、NPO法人グリーンバードでも理事を務める。2017年には歌舞伎町初の書店『歌舞伎町ブックセンター』をオープンし、話題に。著書に、『自分をあきらめるにはまだ早い』『裏・読書』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ホスト万葉集』(共著、講談社)がある。

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