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平熱のまま、この世界に熱狂したい

2021.01.15 公開 ツイート

エッセイを書くことは、「一度きりの人生」を遠くまで投げる行為(前編) 斎藤哲也/宮崎智之

アルコール依存症や離婚を経験しながらも、もう一度、日常の豊かさに立ち戻ろうと決心するなかで綴られた、宮崎智之さんの新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』。本書は、平易な言葉でありながらも、実は哲学に通じる普遍的なテーマがたくさんひそんでいます。前著『モヤモヤするあの人』発売時にも対談を行った斎藤哲也さんと3回にわたり語り合いました。

「モヤモヤ」は行為、「平熱の熱狂」は態度

斎藤哲也さん。対談はZoomで行いました。

斎藤 新刊発売おめでとうございます。とても楽しく拝読しました。中身について、いろいろ語りたいことがあるのですが、まずは前著『モヤモヤするあの人』と、今回の新刊との性格の違いについて聞いてみたいと思います。前著が出版されたときも対談しましたよね。

宮崎 本来ならば僕から話を振らなければいけないはずなのに、いつもお世話になっている先輩の斎藤さんが対談を引き受けてくださったということで安心し、甘えが出てしまったのかも……(笑)。すみません。はい、前著の発売は2018年6月。もう2年半以上も経ったんですね。

斎藤 いえいえ(笑)。そうですね。あっという間ですよね。前著はコラム本という性格が強かったのに対して、今回はエッセイ集です。書いていて、意識の違いはありましたか?

宮崎 ありました。まず、日常生活のなかで覚えた些細な違和感をスルーせずに言語化していく「モヤモヤ」と、今回のコンセプトの一つ「平熱の熱狂」とは、僕の中ではニアリーイコールでつながっているんですけど、大きな違いとして、「モヤモヤ」は行為だったのに対して、「平熱の熱狂」は態度だということ。つまり今回は態度を表明しようと思ったんです。

斎藤 なるほど。たしかに二冊を読み比べてみると、日常に対する細やかな感覚という点ではつながっているけど、今回の本は、宮崎君自身を語っているところが強く出ていますね。

宮崎 はい。それで、『モヤモヤするあの人』は時事コラム集とは違いますけど、たとえばテクノロジーの進化によって生まれた違和感、僕が一番強くモヤモヤしていたものでいうと、ハンズフリーで歩きながら通話する人とか、あとは図らずとも時代を先取りしていた、マスクにおけるビジネスマナーとか、時代に寄りそうことを意識していました。でも、今回はある程度、時代に寄り添いながらも、もう少し大きな視点で、普遍的な言葉を残したい意識がありました。それと、僕の中でかなり大きかったのは、前著の対談のときに斎藤さんが、「宮崎くんはエッセイストに向いていると思う」とおっしゃってくださって(笑)

斎藤 今日に向けて、前著での対談を読み返したら、何度も繰り返し言っていました(笑) 前著には、本文の真ん中と最後に2つエッセイを収録されていましたよね。僕は、とくに「なぜ、前歯の差し歯が取れただけなのに、社会からドロップアウトした気分になってしまうのか」について書いた、「前歯がないブルース」というエッセイが面白いと思ったんです。

宮崎 「モヤモヤ」という些細な事象を、哲学的な見地から語ってくださって、うれしかったです。斎藤さんは、あの時、なんで僕がエッセイストに向いていると思ったんですか?

斎藤 宮崎君とは長い付き合いですけど、僕から見ると、宮崎君は歩くモヤモヤ探知機みたいなところがあるんですよ。日々の生活のなかでも、すぐにモヤモヤを見つけてしまう。それが前回の本の面白さを生み出していると思うんだけど、そのモヤモヤが自分に向かったときに、思索が深まっていく感じがしたんです。それがいま言った「前歯のないブルース」というエッセイだったんだよね。あれを読んで、直感的にこの人はエッセイスト向きなんじゃないかと思ったんだけど。

しかも、これは偶然的なことだけど、宮崎君って会うたびになにかしらアクシデントが起こっているじゃないですか(笑)。蓄膿症の手術をしたり、それこそ前歯がなかったり。アクシデントに見舞われると、人は自分と向き合わざるをえない。そういう点でも、失礼な言い方になってしまうけど、エッセイの潤沢な材料になる人生を歩んでいるような気がして。

宮崎 そうですね。はやく落ち着いた人生を歩みたいです(笑)

「宮崎くんはエッセイストに向いてる」と言われたことの励みと苦しみ

宮崎智之さん。斎藤さんとは「文化系トークラジオLife」の出演者同士。

宮崎 でも、斎藤さんに「エッセイストに向いている」と言われたのは、本当に励みになったんです。というのも、前著の対談でも話しましたけど、僕はもともとエッセイを読むのが好きで、いろいろな人のエッセイを読みあさっていたんですね。だから、斎藤さんのお言葉の後押しもあって、エッセイというスタイルに挑戦したんですが、これが本当に大変で。

斎藤 そうでしょうね。どうやって自分と向き合うか、というのがすごく難しい。

宮崎 もちろんコラムも難しいんですけど、僕の中では勝手がだいぶ違いました。なので、まずは「そもそもエッセイってなんだろう」というところから考えていったんですね。その結果、まさに斎藤さんがおっしゃった通り、エッセイを書くにはどうしても「自分」というものに向き合わざるを得ないことがわかった。そこから始めていく必要があると気づいた。担当編集の竹村優子さんからも、「宮崎さんのことを書いてください」と言われました。

帯には、柴崎友香さんと今泉力哉さんが推薦コメントをくださった。

斎藤 エッセイとコラムとでは、文体も変わるんじゃないですか。

宮崎 文体も変わりますし、心構えにも変化がありました、それが端的に現れている点として、今回の新刊は、人称にこだわった、ということがあります。違う箇所があったら申し訳ないんですけど、明確な特定の二人を指す場合に「ぼくたち」としたり、レトリックとして「我々人類は」と面白おかく書いたりした例外的な箇所以外は、あくまで「ぼく」という一人称で引き受けようと思った。ついつい普段の文章でも、「たち」と恣意的に使ってしまいがちです。でも、「たち」の範囲が曖昧なまま使うのは、少なくとも僕が書きたいと思うエッセイとしては難しかったし、抵抗がありました。

というのも、僕は学者でも、今はジャーナリストでもないので、再現性がどんな場合でもある、または確固たる裏付けがあることを書いているわけではないんです。僕が産まれたのも偶然だし、この時代を生きているのも偶然に過ぎません。そんな偶然性の中で、なにかを考えながら文章を書いている。でも、だからこそ、再現性のない人生のなかで考えたことだからこそ、誰かに届く普遍性を少しは獲得できるのかもしれない、という希望もありました。

斎藤 社会学者の大澤真幸さんがよく使うネタで、ホメロスとかシェイクスピアなど、現代から遠く隔たった時代に書かれた古典作品がいまでも人々を感動させるのか、という話があるんです。この問いに対するダメな説明は、ホメロスの時代もシェイクスピアの時代も現代と共通している点があるから、というものなんですね。つまり共通成分があるから、時代を超える普遍性があると。なぜこれがダメな説明かというと、ホメロスやシェイクスピアの作品から、共通成分を取り出したところで、すごくつまらない教訓しか出てこないからです。そうではなくて、むしろ現代とはまったく違う特殊なことが書かれている。その特殊性と普遍性が結びつくところに妙があるんだと。

これはエッセイにも似たところがあって、宮崎君のような人生を送っている人は、世界中のどこにもいない。でも人はそれを読んで、どこか心に響くものを感じる。宮崎君の人生が一回かぎりの特殊性であることと、普遍性は不思議な形で結びついているんですよね。

宮崎 まさに。その再現性のなさ、偶然さ、一過性で交換不可能な取り返しのつかない脆さ。そういったものに賭けてみたことが、前著と今回の新刊との意識の差だと思っています。だから、「たち」ではなく、再現不可能で一過性の「ぼく」という一人称にこだわったんです。

過去の文学者を迂回して見えてくる自分の輪郭

斎藤 さっき行為と態度と言っていましたけど、たしかにコラムだと、外側の現象に意識と筆が向かいます。さしあたって自分の実存とは切り離された立ち位置で観察することが求められる。でも、エッセイの場合は自分の実存と切り離して書くことができない。だから、一人称の選択につながったのだと思うし、どこかで自分自身を切り刻まなければいけない。どちらがいいとかではなくて、その差は前著と新刊では歴然としてあると僕も感じました。

宮崎 そう言っていただけて、うれしいです。

斎藤 書くのが非常に大変だっただろうな、ということがひしひしと伝わってきました。

宮崎 そうなんですよ。もう魂が抜けるんじゃないかと思った瞬間もたびたびあって(笑)。とはいえ、「う〜ん、う〜ん」とずっと自分と向き合っていても、なにも出てこないわけなんですよね。そこで手掛かりとなったのが、やっぱり過去の文学作品や音楽でした。そこに一度重心を置き、人の考えに触れることで、徐々に自分の輪郭が見えてきた感じです。

斎藤 自分を観察し続けても自分が見えてこない。なにかを迂回したからこそ、自分の輪郭が見えてくるという感覚はとてもわかります。宮崎君の新刊で言えば、吉田健一や二葉亭四迷、福田恆存、トルストイなどですよね。ときに反発しながらも、それを軸に考えていく。

宮崎 その話ともつながるのですが、エッセイを書くうえでもう一つ重要だと気づいたのは、「素直」になることだったんですね。文章って、映像や音声よりも嘘をつきやすいじゃないですか。表情や声色が伝わらないので、取り繕うことができてしまう。でも、自分で素直になろうとして素直になることなんて、なかなかできません。どうしてもバイアスがありますから。今回の新刊も100パーセント、素直な気持ちで書けたかというと、そうとは言えないかもしれないけど、少なくとも100パーセントを目指さないといけないな、という思いはありました。

先ほど、「反発しながら」と言ってくれましたけど、たとえば福田恆存なんかは、僕からすると「これはどうなんだろう」と思う主張もあるわけです。でも一方で、「言われてしまったな。そうなんだよな」と思う部分、反発しながらも首肯せざるを得ない部分もたくさんある。そうやって、ほかの人の作品に打ちのめされることにより、素直になっていきました。

斎藤 いまの話を聞いて、この本は、読書と生きることがそれこそ素直に結びついているところも読みどころのように感じました。たとえば「朝顔が恋をしているのは誰?」というエッセイで書いている、『万葉集』にある朝顔の和歌に衝撃を受ける話もすごくいい。

宮崎 ありがとうございます。ほかにもいろいろな文芸作品に打ちのめされに行きましたけど、江戸時代初期の長崎におけるキリシタン弾圧を描いた遠藤周作の長編小説『沈黙』も、そのひとつ。あらためて読んで思ったのが、僕はやっぱり踏み絵を踏んでしまう側の人間だな、ということです。遠藤もそれこそ素直に、そういう人間側の立場で書いている。

今日はせっかく斎藤さんのお話を聞ける機会なのに、引き出し方がうまくて、ついつい僕ばかりが話してしまいました。中編では、「平熱の熱狂」とともに、本書のテーマとなっている「人間の弱さ」について、哲学や倫理学の視点から斎藤さんにお話を聞いてみたいです。

(中編につづく。1月18日公開予定です)

関連書籍

宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』

深夜のコンビニで店員に親切にし、朝顔を育てながら磨く想像力。ヤブイヌに魅了されて駆け込む動物園。蓄膿症の手術を受けて食べ物の味がわかるようになり、トルストイとフィッシュマンズに打ちのめされる日々。そこに潜む途方もない楽しさと喜び――。私たちは、もっと幸せに気づくことができる!

宮崎智之『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』

どうにもしっくりこない人がいる。スーツ姿にリュックで出社するあの人、職場でノンアルコールビールを飲むあの人、恋人を「相方」と呼ぶあの人、休日に仕事メールを送ってくるあの人、彼氏じゃないのに“彼氏面”するあの人……。古い常識と新しい常識が入り混じる時代の「ふつう」とは? スッキリとタメになる、現代を生き抜くための必読書。

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平熱のまま、この世界に熱狂したい

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斎藤哲也

1971年生まれ。編集者・ライター。東京大学哲学科卒業。『哲学用語図鑑』(田中正人・プレジデント社)、『現代思想入門』(仲正昌樹ほか・PHP)などを編集。『おとなの教養』(池上彰・NHK出版新書)、『知の読書術』(佐藤優・集英社インターナショナル)『世界はこのままイスラーム化するのか』(島田裕巳×中田考、幻冬舎)ほか多数の本の取材・構成を手がける。著書・共著に『読解評論文キーワード』(筑摩書房)、『使える新書』(WAVE出版)など。TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」出演中。

宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

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