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平熱のまま、この世界に熱狂したい

2021.12.31 公開 ポスト

断酒を経て獲得した「ままならない人生」をまっすぐに見つめる勇気宮崎智之

コロナ禍は、私たちに世界の不確かさ、予想のつかなさを思い知らせました。宮崎智之さんのエッセイ集『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』は本来、私たちの生きている世界とは、もともとそういうものだったと気づかせてくれる一冊です。どんな時でも、新しい年を穏やかな気持ちで迎えられることを願いつつ、抜粋してお届けします。

(写真:iStock.com/Donald34)

ぼくは平熱のまま熱狂したい

酒の厄介な魅力の一つに「確実性」への誘惑がある。その誘惑は、「酒を飲めば、いつでも脳内が同じ状態にセットされる」という、移ろいやすい心をコントロールできるかのような強い錯覚を酒飲みに与える。

作家の町田康に、『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎)という作品がある。31年間1日も休まず飲み続ける酒徒で知られた町田が、酒をやめるに至った経緯や、断酒した後の体験を綴ったエッセイ集だ。

この作品のユニークな点は、酒をやめるという判断を「狂気」、酒を飲み続けるという判断を「正気」と、町田が記していることである。これを町田独特の屁理屈だと思う読者は、酒をやめられなくなるほど飲み続けたことがない者か、もともと酒を飲めない者かのどちらかであろう。

町田が指摘するように、酒徒からしてみると、酒をやめるという判断は、まさに狂気そのもの。酒に溺れる者にとって現実はあまりにもあけすけで、人生はままならない。人間も世界も「不確実」なものだが、その不確実性に、酒飲みは耐えられない。だから酒を飲む。それが「正気」の判断なのであり、ままならない人生を酒なしで生きるには、「常に正気でい続けることの狂気」を受け入れなければいけない。少なくともそれが、酒をやめる前の酒飲みの思考回路なのだ。

ぼくが断酒してからまず取り組んだのは、目の前にある生活を見つめ直すことだった。かつて見えていたものをもう一度、見ようとすることだった。以前のようにクリアに見えることはもうないのかもしれない。でも、自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるもの、あったものを見て、感じることのほうが、自分の人生を豊かにできると確信するようになった。

亡くなった父や祖父母がよく口にした「なぎ」という言葉を思い出す。父の故郷であり、祖父母が住んでいた愛媛には、子どもの頃は毎年のように出かけ、毎年のように同じ海辺の民宿に泊まった。

「なぎが来た」「なぎだね」「海がないでいるね」。どんな言い方だったか覚えていないし、当時のぼくには「なぎ」がなんのことだかわからなかった。でも、穏やかで静まりかえった、そのなんとも言えない海辺の街の情景は今でも鮮明に覚えている。そして、穏やかでありつつも、しんと静まりかえり、セミの鳴き声しか聞こえなくなった瞬間の不思議な緊張感も。

凪(なぎ)とは、沿岸地域でたびたび発生する自然現象のことである。凪が来るとあたりは無風状態となる。朝凪、夕凪と時間帯によって呼び名が違う。

ぼくが凪という現象に惹かれるのは、幼い頃への憧憬とともに、あの穏やかさのなかに漂う不思議な緊張感が忘れられないからである。朝凪、夕凪の違いは、発生する時間帯が異なるということだけではない。陸風から海風、海風から陸風と、それぞれその前後で切り替わる風が違うという特徴がある。つまり、凪とはただの無風状態ではなく、風が切り替わる瞬間に訪れるしばしの静寂でもあるのだ。

風が止まり、あたりが静まり返ると、そこにあったものがより正確に、細部までくっきりと姿を現す。じりじりと鳴くセミ、軒下で眠っている猫の呼吸、テレビから流れる高校野球の声援、子どもたちの笑い声。穏やかであることは、なにもないことでは決してない。むしろ、なにかに気づかせてくれる時間だ。無風状態のなかで世界を見つめ直すことにより、すでにそこにあったものの豊かさに気がつく。凪は、なにかが溢れ出し、なにかが変わる前兆でもある。

変化の激しい世の中で、凪の状態に身を置くこと。それは退屈な人生を意味したり、日常に埋没して思考停止したりすることではないのだ。日常にくまなく目を凝らし、解像度を高める。そして切り替わった瞬間の風を全身で、肌で感じとる。そういう生き方である。

物書きの世界には、熱狂型の人生が好まれる風潮があるように思う。荒れ狂えば荒れ狂うほど感性は研ぎ澄まされると信じられ、またそうした人物像を読者側も求めてきた節があるのではないか。日常では見られないような、激しい表現、狂った人生を目撃したい、と。

もちろん、そうやって数々の素晴らしい作品が生まれてきたことも事実である。しかし、ぼくはそうはなれなかった。そうなる前にいとも簡単に心も体も壊れてしまうし、そうした人生を徹底することのできない臆病な人間だ。

だが、熱狂することで見落としてしまうものもあるのではないか。そうした見落としてしまうものに敏感で、悲しみや弱さから逃げなかったのがフィッシュマンズ(Fishmans)の佐藤伸治だったのではないか。断酒後に佐藤の音楽を聴いたり、詩集を読んだりするなかで、そう思うようになった。佐藤は「MELODY」の中で、「君は今も今のままだね」と語りかける。佐藤が摑み取りたかったものは、今を今と感じることができる、ありのままの世界の確かさだったのだと思う。

静寂から摑み取れるものはたくさんある。それはほとんどの場合、すでにあるものを、もしくはあったものを確認する作業であり、「常に正気でい続けることの狂気」を受け入れること、ありのままの世界をありのままに生きること、不確実な現実から確実な切れ端を少しでも摑もうともがくこと、その勇気を持ち続けることでもある。

だから今は、こんなことを心から願っている。

ぼくは平熱のまま、この世界に熱狂したい。

*   *   *

町田康さん『しらふで生きる 大酒飲み決断』文庫版には宮崎智之さんが解説をご寄稿されています。

関連書籍

宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』

深夜のコンビニで店員に親切にし、朝顔を育てながら磨く想像力。ヤブイヌに魅了されて駆け込む動物園。蓄膿症の手術を受けて食べ物の味がわかるようになり、トルストイとフィッシュマンズに打ちのめされる日々。そこに潜む途方もない楽しさと喜び――。私たちは、もっと幸せに気づくことができる!

宮崎智之『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』

どうにもしっくりこない人がいる。スーツ姿にリュックで出社するあの人、職場でノンアルコールビールを飲むあの人、恋人を「相方」と呼ぶあの人、休日に仕事メールを送ってくるあの人、彼氏じゃないのに“彼氏面”するあの人……。古い常識と新しい常識が入り混じる時代の「ふつう」とは? スッキリとタメになる、現代を生き抜くための必読書。

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平熱のまま、この世界に熱狂したい

世界を平熱のまま情熱をもって見つめることで浮かびあがる鮮やかな言葉。言葉があれば、退屈な日常は刺激的な場へといつでも変わる

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宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

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