才能は、あるほうがいいですか? 無いほうがいいですか?
当然、ある方がいいですよね。
であれば、「才能とは何か」「才能の正体」について、しっかり知ることから。
『ビリギャル』だけでなく、たくさんの生徒さんの有名大学合格のお手伝いをした、坪田先生に教えていただきましょう!
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人は、「結果」に合わせて、事実を「物語」にする
このように多くの場合、「結果」が才能の有無の判断基準になります。これはつまり、結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう、ということでもあります。
面白いことに、「いい結果」が出ると、その人の過去にやっていたことが、“すべて”ポジティブな見方で捉えられるようになってしまいます。
ここで、僕の過去がガラッと変わってしまったエピソードをご紹介しましょう。
『ビリギャル』がベストセラーになり、売上が120万部を超えて、映画化もされました。おかげ様でその後に出した本も反響が良く、執筆の依頼もたくさんいただくようになりました。
僕の周りがそんなふうに騒がしくなっていたある日、『ビリギャル』を出す以前からお付き合いのある会社の社長さんとお会いしました。そのときに、こんなことを言われたのです。
「坪田さんて、もともと文才がありましたからね」
しかし僕は、『ビリギャル』を出す以前に、小説やエッセーのようなものを書いたり、それをどこかに掲載したりなどはしたことがありません。この人は何を見て、僕に文才を感じていたのかな? とシンプルに疑問が湧きました。
「社長は、僕の何を見て、そう思ってくださったのですか?」
そう質問すると、社長さんは、
「メールから滲み出ていた」
とおっしゃったのです。
気になった僕は、社長あてに出したこれまでのメールを全部チェックしてみました。
するとそのほとんどが「お世話になります。坪田です」から始まる、ビジネスメールのテンプレート的なものばかり。これはつまり、僕がベストセラーを出したことで、勘違いされてしまったということに他なりません。
人間の記憶というのは、思い出すごとに、“自分が納得いく形”へと改ざんされてしまうもの。つまりこの社長さんの中で、僕がベストセラーを出したという「結果」によって、過去の記憶がごっそり改ざんされてしまった、ということです。
一目惚れや大恋愛も、同じことだと思います。「この人が運命の人!」と思ってしまった瞬間から(=すなわち「結果」を決めてしまった瞬間から)、どんな意地悪をされても、冷たくされても、「自分のためにやってくれている」「好きだから頑張れる」と思い込めてしまう。しかし、ふとしたことで、「その人は運命の人なんかじゃなかった(=その「結果」は自分の妄想だった)」と気づくと、過去の解釈ががらりと変わって、一気に気持ちが冷めてしまうわけです。
もうひとつ、わかりやすい例を挙げましょう。
ノーベル賞を受賞すると、必ずニュースになりますよね。すると、たとえば、受賞者の奥様にインタビューして、彼女にとってどういう夫なのか尋ねたり、受賞者の出身地へ行って、彼がどんな子どもだったかを聞いて回ったりします。
a「研究者としては一流かもしれないけど、家では何もしない人です」
b「あまり群れないタイプで、昔から一匹狼みたいな感じです」
c「みんなが右へ行くときでも、自分は左だと思ったら左へ行くような人」
d「何を言われても気にしない、“自分”を強く持っている人です」
e「子どものときから発想が他の人とは違ったところがあって、ユニークでした」
……といった具合に、ノーベル賞を受賞するような人は、普段から普通とは違う、
子どもの頃から思考も発想も他の人とは全然違っていた、というような内容のコメン
トが次々出てきます。
ここで、少し皮肉な見方をしてみます。同じ人が、実は「罪を犯した人」だったらどうでしょう?
a′「家のことはすべて妻に任せっきりで、外へ出かけてばかりいた」
b′「どのグループにも属さず、まったく協調性がなかった」
c′「こうと決めたら梃子でも動かない人で、絶対に従わなかった」
d′「ルールは全然守らなかったし、人の話なんかまったく意に介さなかった」
e′「いつも一人だけ違う考え方で、わがままを言って和を乱し、大変だった」
……どうですか? ノーベル賞を獲った人と、罪を犯した人。同じ性格の同じ過去を持った人だったとしても、結果次第でここまで見方が変わってしまう。“真逆の認知”をされてしまう。
このように人々は、「結果」から遡さかのぼって「物語」を作ろうとするものなのです。
結果を見て→それまでの認知が変わってしまい→新しい物語ができあがる。
このときのキーファクターとなるもの、大きなウェイトを占めているものが、まさに「才能」なのです。
「やる気」は幻想です
『ビリギャル』のさやかちゃんは、慶應に入りたいと強く思い、そこから僕の指導を素直に受け入れてくれました。勉強を続ければ偏差値が上がっていくことを、身をもって実感し、猛勉強して合格に至りました。
この「強い思い」が前回に出てきた「動機付け」です。
「ダメな人間なんていないんです。ただ、ダメな指導者がいるだけなんです」と、僕は『ビリギャル』で書きました。ダメな指導者というのは、この「動機付け」をしないどころか、逆に子どもたちの気持ちを削いでしまいます。それどころか、削ぐことばかりやっている場合さえあります。
「動機付け」というのが、いわゆる「やる気」のこと。
「やる気がある」「やる気がない」という言い方をよくしますが、実は心理学的には「やる気」という言葉は使いません。こういうときは「動機付け」という言葉を使います。
とはいえ、一般的に使う言葉は「やる気」ですよね。
面談では親御さんが、
「うちの子はやる気がないんです」
と言いますし、部署の売上が悪ければ上司が、
「お前たちには、やる気がないのか!」
なんて言って叱りますが、こう言うとき、「やる気は、良いもの」「やる気は、前向きなもの」「やる気は、持っていなくちゃダメなもの」というニュアンスが前提にありますよね。
このように、「やる気」という言葉は、基本的にはポジティブなものとして捉えられています。ですから「睡眠のやる気がある」とか「やる気に満ち溢れる休憩時間」とか「今日もやる気でテレビを見る」なんて使い方はしません。
しかし、眠いときは「寝たい」という強い動機付けがありますし、休みたいときは「休憩したい」という動機付けがあります。宿題をしないときは、「勉強よりも、テレビを見たくて仕方ない」「勉強よりも、ゲームがしたくて仕方ない」「勉強よりも、漫画を読みたくて仕方ない」……という強烈な動機付けがなされていたりします。眠いときも、宿題をしないときも、実は強い思いによって動いている状態なのです。
つまり、本来、仕事や勉強を意欲的に頑張っているときだけ動機付けがある、というわけではないということです。人は、どんなときでも必ず動機付けによって動いているのです。
親御さんはわが子に対して「やる気を持ってほしい」と言いますが、その子は「遊びたい」という強い動機付けがあって、「勉強したい」という動機付けがないだけです。
「動機」のない子なんて、一人もいません。
「やる気」というのは、そもそも親の幻想なのです。「うちの子のやる気スイッチはどこにあるの?」とよく聞かれますが、そんな魔法のスイッチはありません。
これは上司と部下の間でも同様です。
「やる気スイッチの幻想」をただちに取り払ってください。そして、「人はすべてのことにおいて、常に動機付けによって動いているもの」、という大前提を頭にたたきこんでください。
であれば、“いかに動機付けするか”が重要になってくるかわかりますね。親御さんが子どもに対して願うやる気も、上司が部下に対して願うやる気も、やり方次第できちんと引き出せるはずなのです。
才能の正体
コロナ禍は、学習シーンにも大きく影響し、休校になったり、授業がオンラインになったりした。学校の授業だけでなく、塾も、部活も、コロナ前の体制に戻るには時間がかかりそうだ。いや、そもそも、戻らないのかもしれない。
でも、だからといって、能力を伸ばせなくなったわけではない!
「才能の本質」について知れば、体制に関係なく、能力を伸ばすことはできる。
学年ビリのギャルが1年で偏差値が40も上がり、慶応大学に合格できたのは、坪田先生との出会いのおかげだが、その『ビリギャル』の坪田先生が、「才能とは何か」について余すことなく書いたのが、ベストセラー『才能の正体』。
その『才能の正体』が文庫化されました! 文庫化記念で、本文を公開します。
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