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2020.05.02 更新 ツイート

モデル・KIKIの読書エッセイ 第1回

永遠に楽しむことができる 「パ マル」なジグソーパズル - 堀江敏幸『その姿の消し方』KIKI

悪くないね。フランス語だと「パ マル(pas mal)」と言うそうで、フランス人にとっての最高の褒め言葉なのだと、十年前に初めて訪れたパリで聞かされた。長くパリに暮らす歳の離れた知人は、娘のように世話を焼いてくれながら、パリの人々の特異な性格をいろいろと教えてくれた。そのほとんどが、直接的な言葉より、否定の否定で肯定を表現することのように、ちょっとひねくれているものだった。アパートを借りて三ヶ月、旅としてはわりと長い時間を過ごしたわたしは、そのひねくれた雰囲気をも含めてすっかりフランスが好きになった。以来、なにかを褒めるときに、悪くない、というフレーズが浮かぶようになってしまった。

 

『その姿の消し方』を読んでいても、物語の序盤、核となる詩の登場で、こころが揺さぶられると同時に「パ マル」と呟きたくなった。主人公がフランスの古物市で出合った一枚の葉書。表の面はあまりに普通すぎることが評価されるというたぐいの写真で、これは古物の世界ではよくあることらしいが、まさにフランスらしい。そして葉書の裏には、カリグラフィーのような几帳面な筆記体で書かれた、十行にぴったりと収まる詩が残されていた。

文中、その詩はフランス語では記されておらず、のちに登場するものを含めて五篇すべて主人公によって空気感を損なわないように翻訳されている。やはりきっかり十一文字×十行の日本語の塊は、謎めいた美しさを持っている。さらに葉書にはアンドレ・Lという男のサインがあり、宛名は女性、消印は一九三八年となっていた。

葉書との出合いから、アンドレ・Lとその周辺を巡るゆっくりとした旅のようなものが始まる。すでに故人であるLが生きていた時間と、主人公の決して積極的とはいえない謎解きにかける時間とが交わる物語は、決して完成しないジグソーパズルのようでもある。忘れたころにひょんなところから失くした物が見つかるように、Lの人生の断片が現れてくることで、その不思議な詩の本来の姿が浮かびあがってくる。

終わりはないけれど、永遠に楽しむことができる。そんなパズルを悪くないと褒めてしまうわたしも、多少ひねくれており、そう思うことを、恥ずかしいというより誇らしく感じてしまうのだった。四年ぶりの堀江敏幸さんの小説は、やはり悪くなかった。

初出「小説幻冬」2016年11月号

堀江敏幸『その姿の消し方』

三島由紀夫賞、芥川賞など数々の文学賞を受賞してきた堀江敏幸の最新長篇。フランス留学時代、古物市で手に入れた古い絵葉書の裏に書かれた十行の詩に魅せられた「私」は、幻の「詩人」の影を求めて旅に出る。新潮文庫/本体460円+税

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KIKI モデル

東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。山好きとして知られ、著書に美しい山を旅して』(平凡社)などがある。(photo: ohta yoko)

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