
#MeToo 運動。皆はどのくらい興味を持っているだろうか。私自身、アメリカでザワザワと騒がれ始めてからしばらくは、どこか遠い場所で持ち上がった週刊誌的な話題くらいにしか思っていなかった。でも、それからあっという間に日本国内でも、特に芸能界において、似たような性暴力や性差別の問題が公に晒されるようになり、私の胸の内もざわつくようになった。
本書は、その#MeToo 運動の大元となった一冊だ。ハリウッドの大御所プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性的虐待疑惑を、追いかけ暴き、公にしたのが、著者のローナン・ファローだ。彼は当初、アメリカのテレビネットワークであるNBCの記者だった。疑惑の存在に気づき取材を始めると、被害女性の実態が次々に浮かびあがってくる。それは、女優ばかりでない。映画の制作現場に関わり、ワインスタインの目に触れた美女は、どんな立場であろうとその身に危険が迫った。その犯罪の構図は、まさにタイトル通り。彼は女性たちを性的対象として捕まえて(キャッチ)、逆らえばキャリアを潰して(キル)しまう。
被害にあった女性たちが声をあげるのは決して簡単ではないが、ローナンは誠実に取材やインタビューを重ね、多くの証拠を集めていく。事実とは思いたくない重罪がいくつも語られるが、本書の驚くべき点は、この疑惑を公にする経緯にもある。ローナンがこの世界的スクープを発表したのは、籍を置いていたNBCではなく、雑誌「ニューヨーカー」だった。その理由は、世界的メディアの社内でも同じような暴力的セクシャルハラスメントやその直接的、間接的な隠ぺいが横行しており、自分たちの番組でそれを公表できなかったことにある。ジャーナリズムの世界でさえ、「キャッチ・アンド・キル」が行われてきたという事実に鳥肌が立つ。
さらに、ワインスタインが利用したイスラエルの諜報機関まがいの企業や彼らがメディアを混乱させるために敷いたスパイ網──本書に記される仰天の事実は、とてもここでは書ききれない。あまりにも衝撃的すぎて、まるでハリウッドで創られているサスペンス映画そのもののようだけれど、すべて事実であり、この本がノンフィクションであるということが最も驚きだ。
仕事における様々な力関係による暴力を、大なり小なり経験したことのある人は、胸が苦しくなる一冊だろう。私自身心に波が立ったのは、仕事を始めた二十歳前後のとき、性的暴力とはいかないまでも、歳上の大人たちの威圧的な言動に萎縮し、それに対して発言できなかったことが思い出され、同時に、悔やまれるからだ。#Me Tooの声を上げながらも、「あの頃は若かった」「仕事が必要だった」「そうするしかなかった」と弁解してしまう女性たちの声が、身に起きた出来事の大きさに違いはあっても、人ごとでなく、切なく感じられるのだった。
「小説幻冬」2022年8月号
本の山

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