写真を撮る人の書く文章が、私は苦手だ。写真であれば、写真家特有の冷静で客観的な目線も好きか嫌いかで判断しておしまいにできるけれど、それが文章になると、好き嫌いを判断する前に心に刺さってくる。それも文章の個性なのだから、そこまで敏感に反応しなくてもいいのに、なぜか嫌な後味が残り、胃もたれを起こしてしまうことも多い。
私はモデルとして本書の著者で写真家のワタナベアニさんに撮ってもらったことがある。撮影中もそうでないときも、寡黙な人という印象がある。かといって、何を考えているかわからないということもなく、目は口より語るというのか、撮影前後の時間も含めて深く会話をした気持ちになり、手応えのある仕事だったなといい気分で帰路に就くことができた。それは、冒頭に書いた「冷静で客観的な目線」を、アニさんが備えているからなのかもしれない。
そんなわけで、アニさんの書いた本書を恐る恐る開いた。けれど、最後まで(時々ざらっとするものの、そこはあえて味わうように)読み通せた。本書で著者は「ロバート」という謎多きおじさんの仮面を被って登場し、若者「カズト」に写真について指南していく。カズトは自身のインスタグラムに載せた写真に「いいね」が大量についたことだけを自信の根拠に、もっといいカメラを買えばもっといい写真が撮れ、評価も高まり、あわよくばプロカメラマンになれるかも、と思っているような若者だ。もちろん、ロバートはカズトの夢を軽々と打ち砕いていく。とはいえ一方的に貶めるのではなく、せっかく撮ることに興味を持ったのなら、ただ単に「いいね」の数の多さを誇るのではなく、本当にいい写真とはなにか、そして「あなたはなぜ写真を撮るのか」をしっかり知るべきだと諭していく。
喫茶店で行われる講義は、写真の本質に迫っている。私も好きで写真を撮ったり、また展示したりしているが、時折、自分が「なぜ撮っているのか」と悩むことがある。そんな私の悩みも含め、人が写真を撮る動機や見せ方、また評価について抱いていた違和感が、読み終えると解消していた。数多くの写真論があるなかでなぜアニさんの文章が腑に落ちたのか。それはロバートとカズトのやりとりがどこかチャーミングで、直球の言葉も初心者カズトがしっかり受け止めるから。だからこそ読者は本質的な議論を咀嚼し、味わう「間」が持てるのだろう。
写真を撮ることは自由だ。だからこそ、好きなものを被写体にするときに敬意を持ってカメラを向ける。書くとシンプルだけれど、これが実に難しい。先月悩みに悩んで少しいいカメラを買ってしまった私は、ちょっと浮かれていたけれど、心して写真と向きあおうと思った。カメラは、撮る人を写しているのだから。
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