
すばらしい小説に出会ってしまった。読み進めている途中からそんな予感はしていたのだけれど、読み終えると確信と実感を持って「これはすばらしい小説だ」と口にすることができる。とはいえ、どんな内容かというと、物語が何層にも積み重なるように紡がれており、説明すればするほど、その良さがほつれてしまいそうで、書くことがためらわれる。
主人公のみのりは、東京で夫と気楽な暮らしをしている。四国にある実家は、行列ができるうどん屋だ。そんな故郷から、大学進学を機に旅立つとき、みのりには叫びたいほどの高揚感があった。学生時代はボランティアサークルで活動し、アジアの途上国に暮らす子どもたちを支援するスタディツアーなどにも積極的に参加。卒業後もその熱は冷めず、アジアに限らず、世界中のさまざまな環境で暮らす子どもたちとなんらかの関わりを持っていきたいとの思念に燃えていた。しかし、40歳を目前にしたみのりは、若かりしころの高揚感、情熱はまるでなかったかのように振る舞い、また仕事もまったく関係のない洋菓子屋の販売員をしている。
みのりは、なぜ、積極的に人生を歩もうとしなくなったのか。それを解き明かすかのように、四国に暮らす甥っ子の陸が、学校に行かなくなったのを聞いて、わずかな叔母心を働かせたばかりに、意図せずみのりの中にあるいくつもの歯車がぎしぎしと動き出す。
そこで噛み合うのは、みのり自身のことばかりでない。陸の不登校、みのりの祖父・清美の戦争の記憶と戦場で失った脚、パラリンピックと若き女性アスリート、難民問題や難民キャンプ、戦場に立つ子ども兵、途上国の支援、テロ事件、自然災害、そして故郷のうどん屋の成り立ちまでも。とても1冊の小説に込められるテーマの数ではなさそうだが、著者は見事にすべてを「みのり」というひとりの女性の感情と行動に落とし込んでいく。
そして、みのりを無気力に陥れてしまった理由が浮かびあがってくる。
「これ百タラント。つまらんもんやけど、おれからのお礼」。保育園児だった陸にもらった言葉だ。タイトルにもなっている「タラント」とは聖書の言葉であり、「人生の才能」といった意味が近しい。みのりは、自分など何も成し遂げることのできない人間だと、どこかで思い込んでいた。けれど、物語が終盤に入るにつれて、陸にもらったタラントは、みのりならではの方法で使われていくことに読者は気づくだろう。若かりし頃に世界を見て、知ったことは、歯車が動き出すことによって、彼女の生まれ育った環境と家族、人生そのものと呼応していく。
世界は絶望ばかりでない。みのりが行列に並んで自分のうちのうどんを啜る場面には、思わず鼻腔をくすぐられる。重層的な物語の中で、素朴な温かさまでもが滲み出ている一冊だ。
「小説幻冬」2022年7月号
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