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美しい暮らし

2020.01.05 更新 ツイート

イカレポンチの回顧録#1

母の願う幸せな人生から外れて矢吹透

新しい年が明けた。

常々、僕が、女優の安藤サクラさんに面立ちが似ていると主張し続けている、幻冬舎plusの編集長・竹村優子さんが、我が家のキッチンで、僕の淹れたダージリン・ティーを飲みながら、新しい年ですから、新しいことをやりましょう、と言った。

というわけで、今回から、この連載は少し趣を変え、お送りすることになる。

これまでは、毎回読み切り、というかたちだったが、これからは、続きもの、というかたちを取る、というのが主要な変更点である。

何を続けて書いて行くかというと、僕の半生の回顧である。

と、テーマを大上段に掲げてしまうと、若干、面映ゆいところがあるのだが、昨年、「SPA!」という雑誌の取材を受け、僕のこれまでの人生について、少し語った。

この記事が、数週間後に「Yahoo!」に転載され、思いのほかに大きな反響を頂くこととなった。

他人の人生の裏側とか内側というのは、案外、ひと様の興味を惹くものなのかもしれない。

 

人生というものは、どんな人にもすべからくあるものなので、読者の方にとって、ご自分の人生を重ね、普遍性や一般性を読み取りやすい、という点もあるだろう。

そんなわけで、今年のこの連載では、僕の半生について、時系列に沿って語り、また、その合間に、読者の皆さんの人生にも寄り添ってみては、という提案を、竹村編集長から頂いた。

具体的に言ってしまうと、皆様のお悩み相談である。

人生・恋愛・セックス・政治・社会・カネ、何でもいい。イカレポンチなオジにちょっと相談してみたいな、とか、感想を聞いてみたいな、とか、あるいは、ただ、ちょっと愚痴りたいだけ、とか、まあ、何でもいい。

皆さんの抱えているもので、何か、ちょっと吐き出してみたい、というようなことがあったりしたら、この下に記載されている要項に基づいて、ご応募下さい。

残念ながら、頂いたご応募のすべてについて、何らかのお返しが出来るとは限らない点については、予めご容赦下さい。

 * * *

昭和40年(1965年)、東京・吉祥寺に母方の祖父が借りていた借家で、僕の人生はスタートする。

正確に言えば、母は福島の実家に里帰りをし、僕を出産したので、戸籍上の出生地としては、その住所が記載されているが、生まれて数週間を過ごしたにすぎないその場所に、僕の思い出はない。

中央線の吉祥寺駅と三鷹駅の、ちょうど中程の線路脇に建つ二階家を、祖父は借りていた。

電車が線路を走る度に、轟音と振動が伝わる、その小さな家は、今で言うところの二世帯住宅の造りになっていた。

一階には、僕の一家が暮らし、外階段を使い、別の玄関がある二階には、まだ若く、独身であった、母の弟と妹が二人で住んでいた。

二階に住んでいた叔父は、銀座にある「サンモトヤマ」という、当時では珍しかったハイブランドのセレクトショップで働いていた。

この洒落者の叔父の影響で、僕は、グッチやエルメスといったブランドの名前に、子供の頃から親しんで育った。

叔母は美大を出てから、彫金を学び、趣味と実益を兼ねて、身近な人の依頼を受けては、アクセサリーを作るということをしていた。

同じ家に暮らし、何かにつけ、両親の教育とは無関係、かつ無条件な愛情を注ぎ、さまざまなことを教え、一緒に遊んでくれた、この叔父と叔母の存在は、後年の僕の、美意識や趣味などの形成に何らかの影響を及ぼしているのではないか、と思う。

僕の父は、地方出の秀才で、一浪の後に、東大へと進んだ。

東大は、60年安保の真っ只中にあった時代で、父はデモに明け暮れて、学生時代を過ごした。

学生運動に傾倒した学生は、就職の際、不利に働き、父は当時の花形産業であった、鉄鋼などの一流企業を諦め、数少なく門戸の開かれていた、マスコミ企業を選択し、東洋経済新報社という出版社に就職する。

血気盛んだった父は、僕が生まれた頃には、社内の諍いだかなんだかの挙げ句、東洋経済新報社を退社することになり、四谷にあるアジア経済研究所という研究機関に転職し、研究員として勤務していた。

母は、東京の私大の国文科を出て、祖父の伝てで就職し、OLとして二年ほど働いた後、父と結婚し、専業主婦となる。

母方の祖父は税理士だった。福島県郡山市の出身だが、東京へ出て、税理士事務所を興し、妻との間に五人の子供を儲け、何不自由ない暮らしをしていた。しかし、第二次大戦の勃発により、空襲の激しい東京から、故郷である郡山へと、家族を疎開させることにする。

東京で生まれ育った母は、この疎開先の郡山の中学校で、村一番の秀才と呼ばれていた僕の父と、同級生として出会う。

早熟な田舎の秀才であった父が、東京から来た、周囲の女学生よりは若干、垢抜けていたであろう母に惹かれたことは、想像に難くない。

父と母は、すぐに学校や村公認のカップルとなったのだと聞く。

父と母は、中学を出て、それぞれ県立の男子高と女子高に進み、高校を出ると、共に東京の大学へと進学する。

郡山の田舎の中学校で出会った幼いカップルは、高校・大学と交際を続け、父が大学を卒業した翌年、結婚する。

結婚をした二人は、先に述べた母方の祖父が借りていた吉祥寺の一軒家で、新婚生活を始める。

長女として、僕の姉が生まれたのは、同い年である父と母が、25歳の時だった。

その二年後に長男として、僕が生まれる。

姉は、とても愛くるしい赤ん坊だったそうだが、僕は、頭の大きな海坊主のような風体で生まれ落ちたのだという。

子供の頃、お姉ちゃんはあんなに可愛いのに…、というような言われ方を随分として、少なからず不快な思いをした記憶が僕にはあるが、数十年が経った今、姉と僕が、誰からも、とてもよく似ている、と言われるのは、不思議なことである。

両親は、姉や僕が3歳になると、近所の幼稚園ではなく、ひばりヶ丘の「自由学園幼児生活団」に通わせることを決める。

情操教育や人間教育に特色を持つ、この学園の幼稚園を選択したのは、「婦人の友」や「暮らしの手帖」などを愛読し、美しい暮らし方・豊かな生き方といったものに、憧憬を抱いていたであろう母の意思に基づくものだったのではないか、と思う。

幼時に戦争を経験した母は、自分の享受することができなかった豊かな教育環境を、子供たちに与えたい、と願ったに違いない。

近所の遊び友達が皆、通っている幼稚園ではなく、バスに乗って、知り合いのいないところに通うのが、子供心に僕は不満だったが、個性を重んじる自由学園の授業やレクリエーションは、楽しかったという淡い記憶がある。

冒頭に添えた画像は、この「幼児生活団」の遠足で動物園を訪れた時のものである。幼い僕が兎を抱いている。視線が兎に向いていないのは、緊張のためだと思う。抱いた兎があまりに柔らかで愛らしく、それを傷つけてしまわないよう、細心の注意を払っているのである。

母の手編みと思しき、半袖の毛糸のシャツを着て、半ズボンにはやはり母の手であろう魚の刺繍が施されている。魚の尾が3の形をしているのは、何らかのしるしだったのだろうか。肩から提げているフランネルの鞄も、母の手作りであろうことが察せられる。

母が、幼い僕に振り注いだ、この愛情や教育は、果たして、今の自分の中に生きているのだろうか、と僕は自問する。

齢50を越して、定職も持たずに生きている今の僕を、老いた母が日々、憂いていることを僕は知っている。

自分は、どこで何を間違えたのだろう、と母はおそらく、ずっと考え続けている。

一流企業に勤め、素敵な女性と幸せな結婚をして、子宝に恵まれ、人として豊かな人生を送って欲しい、という母の願いから、若干、遠いところを今の僕は生きている。

<つづく>
 

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矢吹透『美しい暮らし』

味覚の記憶は、いつも大切な人たちと結びつく——。 冬の午後に訪ねてきた後輩のために作る冬のほうれんそうの一品。苦味に春を感じる、ふきのとうのピッツア。少年の心細い気持ちを救った香港のキュウリのサンドイッチ。海の家のようなレストランで出会った白いサングリア。仕事と恋の思い出が詰まったベーカリーの閉店……。 人生の喜びも哀しみもたっぷり味わせてくれる、繊細で胸にしみいる文章とレシピ。

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