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トランプ時代の地政学

2019.05.17 更新

マラー報告書、ほくそ笑んでいるのはプーチンか?杉本宏

(共謀も司法妨害もなし。ゲーム終了 とツイートしたトランプ大統領)

 

4月18日、ロシア疑惑に関する、マラー特別検察官の報告書が公開された。トランプ大統領を白とも黒ともしなかった「灰色裁定」は、来年の大統領選に向けて、すでに共和・民主両党の政争の具となっている。が、448ページの全文に目を通した杉本氏は、灰色裁定の結論以上に、あることに強い疑問を抱いたという。いったいそれは何だったのか? 

* * *

プーチン大統領の本当の狙いは何だったのか。そして今、「してやったり」とほくそ笑んでいるのだろうか――。2016年の米大統領選でロシアがトランプ陣営に肩入れした「ロシア疑惑」の捜査の指揮を執ったマラー特別検察官の報告書を読んでいて、そんな疑問に駆られた。

 

 

平成から令和への連休を使って、米司法省が先月18日に公開した448頁の報告書を斜め読みしてみた。端折って言えば、「玉虫色の決着」という印象は免れないが、2年近くかけて500人から聴取した捜査の結果をまとめただけあって、事実関係の詳細な記述には圧倒された。

ロシアによる選挙介入、衝撃の詳細が明らかに

報告書の主な結論は、以下の三つだ。
(1)「ロシア政府による2016年大統領選への介入は全面的かつ計画的だった」。
(2) しかし、ロシア政府とトランプ陣営が共謀した証拠は「見つからなかった」。
(3) トランプ大統領による司法妨害の有無については判断を見送った。

このうち、(2)と(3)については、すでに政争の具と化しており、来年の大統領選まで米政界を揺らし続けるだろう。要は、トランプ大統領と陣営幹部を刑事訴追するに至るだけの十分な証拠を得られなかった、ということだ。あくまでも「推定無罪」であり、疑惑が晴れたわけではない。この「灰色裁定」を共和党は「白」と受け止め、民主党は限りなく「黒」に近いと主張する。

しかし、ロシアが選挙介入したという事実認定そのものについては、トランプ大統領を除けば、衆目の一致するところだ。CIAなど16の米情報機関を統括する国家情報長官室が2017年1月に公表した報告書とほぼ同じ結論だが、マラー氏の報告書の方がより詳細で、「ロシア政府の関係者とトランプ陣営との間に数多くの結びつき(link)があった」とまで踏み込んでいる。

捜査は、主に、(1)ロシアの企業インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)によるSNSを悪用した世論操作と、(2)ロシアの軍参謀本部情報総局(GRU)によるハッキングに絞られた。IRAは、プーチン大統領とつながりがあるとされるロシア新興財閥の実業家が運営する会社で、スタッフを米国に派遣し、フェイスブックやツイッターなどのアカウントを取得し、米国人や団体を名乗って偽情報を流し、トランプ陣営を応援する投稿や広告を掲載した。

一方、GRUは、民主党のクリントン陣営のコンピューターにアクセスし、職員やボランティアのメールをハッキング。さらに、内部告発サイト「ウィキリークス」を使って盗んだ陣営の情報を暴露し、クリントン候補に打撃を与えようとした。当時、トランプ陣営は、ロシアがサイバー攻撃を仕掛けたり、盗取した情報を流布したりしていたことを察知していたという。

FBIの「スパイゲート」で反転攻勢に出るトランプ陣営

さて、冒頭の疑問に戻ろう。ロシアは、米大統領選に介入して何を達成しようとしたのだろうか。

報告書を一瞥すると、二つの可能性が浮かび上がる。一つは、ロ米関係の改善だ。トランプ氏を当選させることで、ロシアによるウクライナ南部クリミア半島の併合などで冷え切ったロ米関係の「リセット」を虎視眈々と狙っていた、と思わせる記述が報告書のあちこちにある。

仮にそうだとすれば、「当てが外れた」とプーチン大統領は後悔しているのではないか。トランプ氏は大統領選で、クリミア併合を受けてオバマ政権が科した対ロ経済制裁の緩和を示唆していたが、大統領として制裁を追加・強化せざるを得ない状況に追い込まれたからだ。こうした制裁のなかには、選挙干渉に関連するものもあるが、クリミア紛争やシリアのアサド政権への武器供与、サイバー攻撃などロシアの「邪悪な行動」が引き金になったものもある。

もう一つは、「米政治システムの分断」だ。大統領選前から深刻さを増していた人種や宗教、移民問題などで対立を煽る情報を流し、米政治の攪乱を狙ったという記述がある。そうだとすれば、民主、共和の党派対立に拍車をかけているマラー報告の「灰色裁定」にロシア側はニンマリしているに違いない。

灰色裁定を受け、民主党は、トランプ大統領の政治責任を議会で追及しようと必死。それをかわそうと、大統領と共和党は「スパイゲート」で逆襲する姿勢を鮮明にしている。オバマ前政権下の連邦捜査局(FBI)が「ロシア疑惑」との関連で、法的手続きを経ないで職員をスパイとしてトランプ陣営に送り込んで監視していたのではないかという疑惑で、その追及を大統領は再選戦略の柱の一つに据える構えだ。この先、相次ぐ疑惑で政治の分断が一層深まれば、ロシアの思う壺にはまってしまう。まさに、米国が誇る民主主義の復元力(resiliency)が問われていると思う。

「非公然活動」を行っているのはロシアだけではない

日本では全く報道されないが、ロシアによる選挙介入は、インテリジェンスの世界で「非公然活動」(covert action) とか、「積極工作」(active measures)と呼ばれる諜報活動の一種だ。海外の外交・安全保障環境を積極的に改変するため、影響力を秘密裏に行使する影の活動を指す。秘密にすべきは、活動そのものではなく、背後で糸を引いている政府の存在だ。選挙介入が暴かれても、プーチン大統領やロシアの当局者が「知らぬ、存ぜぬ」を通しているゆえんだ。

ところで、非公然活動は、ロシアや中国など権威主義国の十八番ではない。米国も冷戦時代、世界中でプロパガンダや選挙介入、反体制派の支援、体制転覆などを頻繁に行っていた。かつて日本の自民党もCIAから資金援助を受けていたことはよく知られている。9・11同時多発テロ以降、CIAがテロ集団や武装勢力の幹部を殺害しているが、これも非公然活動の一つだ。

陰謀論に巻き込まれないことが肝要

来年の大統領選を控え、ワシントンでは、ロシアや中国などによる選挙介入に対する警戒感が高まっているようだ。トランプ大統領は、今回の介入を「ロシアのいたずらに過ぎない」としているが、マラー氏の捜査を「国家内国家(deep state)」を形成しているリベラルなエリート達による陰謀と信じるトランプ支持者も少なくない。そんな中、日本企業の活動が世論操作などの非公然活動ではないかと疑われないように注意を払うことが求められていると思う。

日本には対外情報機関がない。それにもかかわらず、90年代初め、日系企業が日本政府の影の「影響力の代理人」を務めているという陰謀論が米国内で飛び交ったことを心に刻むべきだ。
 

杉本宏『ターゲテッド・キリング』

「対テロ戦争」という果てしない戦争が世界を覆う中、標的殺害(ターゲテッド・キリング)という非公然攻撃を米国は展開している。一種の「闇討ち」は、効率的ではあるが、米国政府に様々な法的・倫理的なジレンマを突きつける。米首脳たちの内紛と懊悩を通じ、21世紀の正義と戦争の行方を追う。

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「世界の警察官を辞める」だけでは収まらず、いまや世界秩序の攪乱要因になりつつあるトランプ大統領のアメリカ。海外取材経験の豊富なジャーナリストであり、国際政治研究も続ける著者がトランプ大統領・アメリカの本音を読み解き、日本とのかかわりを考察する。

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杉本宏

ジャーナリスト。慶應義塾大学大学院修士課程修了。マサチューセッツ工科大(MIT)政治学部博士課程単位取得退学。防衛大学校非常勤講師を経て、朝日新聞社入社。政治部、外報部などを経て、ロサンゼルス、アトランタ、ワシントンに赴任。記者としての取材活動のかたわら、国際政治研究も続ける。著書に『ターゲテッド・キリング――標的殺害とアメリカの苦悩』(現代書館)がある。

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