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カラス屋、カラスを食べる

2019.01.12 公開 ツイート

もう二度とドバイで買い物なんぞするものか 松原始

何かを一筋に愛することは、そう簡単なことじゃない――カラスを研究して25年。東京大学総合博物館の松原先生が、その知られざる研究風景をつづった『カラス屋、カラスを食べる 動物学者の愛と大ぼうけん 』から一部をご紹介します。愛らしい動物たちとの、ちょっぴりクレイジーなお付き合いをご賞味ください。(前回までのお話はこちらから)

▲ブダペスト、ハンガリー国会議事堂​​​​​(写真:iStock.com/TomasSereda)

カラス屋、国際動物行動学会へ

2005年のこと。無事に博士号を取得して、ちっとは「研究者」という顔ができるようになったこともあり、ハンガリーで開催された国際動物行動学会(IEC)に参加した。

実はこれが初の国際学会への参加で、それどころか初の海外旅行だったのだから、私もたいがい、世界が狭い。

参加するだけではバカらしいので、もちろん、発表もする。だが、聴衆を前に英語でペラペラしゃべる自信は全くないので、ポスター発表にした。日本動物行動学会はポスターセッションが基本なので、その方が慣れているというのも理由だ。

さて、そのためには海外旅行である。右も左もわからない。そこで研究室で隣の席だったモッチーと一緒に行くことにした。彼は彼で、私が多少はドイツ語を知っていることを期待していたらしい。観光ガイドなど読んでみると、ハンガリーは英語があまり通じず、むしろドイツ語の方が通じる、とあるからだ。確かに、私は大学で第二外国語としてドイツ語を履修した。

ほぼ完全に忘れているが……。

ブダペストはハンガリーの首都だ。街の真ん中をドナウ川が流れ、川の西側の地区が「ブダ」、東側の地区が「ペシュト」で二つ合わせてブダペスト(マジャール語の発音だとブダペシュト)である。

ヤン坊マー坊の天気予報みたいだが、本当のことだ。

日本からハンガリーへの直行便がなかったので、研究室の人たちは様々な経路でブダペスト入りした。優雅にエールフランスでパリを経由したり、ロンドンを経由したり。私とモッチーはウィーン経由にした。

というのも、ウィーンからブダペストまで、列車で行けるからである。夏の東欧で「世界の車窓から」ごっこだ。他にも長距離バスとドナウ川の定期船という方法があったのだが、バスは現地語ができないと辛そうなのでちょっと遠慮した。船もかなり魅力的だったが、渇水や増水で運航を中止することもあると知り、心配になってやめた(行ってみたらドナウは氾濫寸前まで増水しており、やめて正解だったろう)。

 

▲ウィーンとブダペストをつなぐ高速列車「レイルジェット」(写真:iStock.com/artas)

モニターに映った黒い直方体の謎

さて、関西国際空港から深夜便のエミレーツ航空に乗り、まずはドバイへ。海外便の飛行機も初めてだ。だが、距離が遠いだけで国内便と変わるまい。

と思っていたら、CAさんが多国籍なことに気付いた。当たり前か。あと、メニューが豪華だ。酒もいろいろある。基本、英語で書かれたインストラクションを眺めていると、横から「What would you like to drink?」と聞かれた。たまたま英語を読んでいたので、無意識に「I'd like to have coffee, please」と答えてから、「待て、今のアクセントは日本人だったんじゃないか」と気付いた。だが、時既に遅し。どう見ても日本人のCAさんは以後、フライト中全て、私に英語で話しかけてきた。まあいい、練習だ。

だが、納得いかないのは、私に英語で声をかけた後、隣のモッチーには日本語で話しかけていたことである。俺、何人に見えるんだろ?

ドバイまでは11時間ほどかかるが、地球の自転を追いかけながら飛んでいるので、到着しても時計の上ではあまり時間が変わっていない。機内はなかなか快適である。

シートバックのモニターをフライト情報にして現在位置などを眺めていたら、時々、妙なものが表示されることに気付いた。

黒い直方体が表示され、飛行機マークに重ねて矢印が出るのだ。矢印は斜めを向いているから、別に飛行方向ではない。風向き表示……それも乗客に見せるのは妙だ。

しばらく考えてから、これはメッカ(イスラム教の聖地)の方角を示しているのだと気付いた。機内で祈りたい人はそちらを向くのだろう。黒い直方体はメッカのカーバ神殿のアイコンだったわけだ。

▲メッカのカーバ神殿(写真:iStock.com/Aviator70)

ドバイに到着し、空港ロビーに行こうとすると、通路の途中に厳重なセキュリティチェックがあった。ここの磁気検査はひどく厳しく、ペン一本、ベルトのバックルでもひっかかる上、怪しいものは全て外してX線を通すよう指示される。

私は靴のハトメがいけなかったのか、靴も脱げと言われた。めんどくせえな、と思ったが、目の前に巨漢のセキュリティポリスが仏頂面で腕を組んで仁王立ちしており、あまつさえ右手をこれ見よがしに腰に下げた拳銃のあたりにやったりしているので、ごく大人しく指示に従うことにした。

とはいえ、ベルトを抜かれてずり落ちそうなジーンズを押さえつつ、靴を脱いで通路を歩かされるのは、なんとなく刑務所的で嫌なものである。

巨大なカフェラテ

さて、たどり着いたロビーは、なんというか、キンキラキンなショッピングモールとしか言いようがなかった。ある意味、アラビアンナイト的ではある。

▲ドバイ国際空港(写真:iStock.com/aksphoto)

2階層ぶち抜きで物凄い数の商店が並び、アトリウムにはスーク(市場)みたいなものまである。フロアにはジャガーとポルシェがデンと置かれ、「ポイントを貯めて豪華なクルマを当てよう!」と書いてある。買い物してポイントを貯めると抽選に応募できる仕掛けだ。もっとも、ジャガーの抽選に応募できるほどポイントを貯めるまで買い物したら、その代金で中古車の1台くらいは買えそうであった。

もう一つ言えば、ドバイでジャガーが当たっても、家まで乗って帰るのは大変だ。いやまあ、あれは「見本」であって実際には居住地域のディーラーから届くのだろうが、仮にこの場でホイと渡されたとしても、「よきにはからえ」と言えば誰かがなんとかしてくれるような大富豪もうじゃうじゃいそうな、そんな空港である。

とにかく疲れたのでモッチーと手近なカフェに座り、ドルで支払えるのを確認して「カフェラテをくれ」と頼む。ドルは知り合いが「チップに便利やからいつも用意してたんやけど、もう海外に行くこともないから」と1ドル札を1束くれたのを持っていた。

あたりをぼーっと眺めていると、目の前にドンとカップが置かれた。

 

確かにカフェラテだが……なんだこの巨大なマグカップは? 直径12センチ、高さは20センチ近くある。何かの間違いかと思ったが、これがレギュラーサイズなのだ。ついでに改めて勘定書を見て軽く血の気が引いた。これ一杯で800円超? 普段の昼飯4回ぶんだと? ふざけんな。もう二度とドバイで買い物なんぞするものか。

ドバイでのトランジットは約8時間あった。周囲はアラブ系、アフリカ系、インド系の家族連れでいっぱいだ。家族旅行だったり、里帰りだったりするらしく、ちょっとした民族大移動である。ベンチにお父さんとお爺ちゃんが座り、その周りにカラフルな布を広げてお母さんとお婆ちゃんと子供たちが座ったり寝転んだりしている。もはや自分の家状態。しかも、それが普通。

なんだろう、この大金持ちと庶民感覚が同居している感じは。

結局、ここで買ったのはマーケットの一番端っこにある小さなコンビニの、しかも現地で生産しているミネラルウォーター1本だった。値段は100円ほど。

1ドル札で払ったら、アラビア文字の書かれた小さなコインをお釣りに渡してくれた。

 

* * *

 

次回。トランジットを終え、いよいよウィーンへと足を踏み入れた松原先生を待っていたのは……とんでもなく貴重な、とあるカラスでした。ご期待ください。

関連書籍

松原始『カラス屋、カラスを食べる 動物行動学者の愛と大ぼうけん』

カラス屋の朝は早い。日が昇る前に動き出し、カラスの朝飯(=新宿歌舞伎町の生ゴミ)を観察する。気づけば半径10mに19羽ものカラス。餌を投げれば一斉に頭をこちらに向ける。俺はまるでカラス使いだ。学会でハンガリーに行っても頭の中はカラス一色。地方のカフェに「ワタリガラス(世界一大きく稀少)がいる」と聞けば道も店の名も聞かずに飛び出していく。餓死したカラスの冷凍肉を研究室で食らい、もっと旨く食うにはと調理法を考える。生物学者のクレイジーな日常から、動物の愛らしい生き方が見えてくる!

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カラス屋、カラスを食べる

カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。

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松原始 動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。

1969年、奈良県生まれ。京都大学理学部卒業。同大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学博士。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館勤務。研究テーマはカラスの生態、および行動と進化。著書に『カラスの教科書』(講談社文庫)、『カラスの補習授業』(雷鳥社)、『カラス屋の双眼鏡』(ハルキ文庫)、『カラスと京都』(旅するミシン店)、監修書に『カラスのひみつ(楽しい調べ学習シリーズ)』(PHP研究所)、『にっぽんのカラス』(カンゼン)等がある。

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