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もう一度だけ会えたなら、ぼくとわたしは──

2026.06.17 公開 ポスト

「毎年桜を見ると、ママのことを思い出す。」10年目の命日、多摩川の桜の下で少女が耳にした驚きの一言とは。越尾圭

2025年3月に発売され、その切ない設定と胸を打つ結末が多くの読者の心に深く残った越尾圭さんの小説『ぼくが生きるということは、きみが死ぬということ』(通称・ぼくきみ)。

それから1年が過ぎ、待望の続編『もう一度だけ会えたなら、ぼくとわたしは──』(通称・ぼくわた)が、2026年6月11日に発売となりました。

前作で命の入れ替わりを経験した十和田航平と、10年前に母を亡くした娘・明里が織りなす「その後の奇跡」を描いた感動作です。

舞台は、あの切ない別れから10年が経った世界。「もう一度ママに会いたい」と願う明里と、小説家となった航平が、試行錯誤の末に七夕の夜の再会を試みます。「10年間、それぞれが胸に抱え続けてきた想い」がどう交錯していくのかが読みどころです。

*   *   *

▶前作『ぼくが生きるということは、きみが死ぬということ』をおさらい

まずは、すべての始まりとなった前作『ぼくきみ』の物語を振り返ります。

【『ぼくきみ』あらすじ】

ブラック企業で働き、心も体も疲弊し切っていた十和田航平。

一方、末期がんで余命宣告を受けた一児の母、椿美羽。

満開の桜の下、決して交わるはずのなかった二人の魂が、突然入れ替わってしまいます。「死にたい」と願っていた航平と、「生きたい」と願っていた美羽。一見、お互いの願いが叶ったかのように思えた入れ替わりでしたが、それぞれの人生を送るうちに、二人は本当の気持ちに気づき、互いを深く思いやるようになっていきます。

果たして、最後に「死ぬ」のはどちらなのか。

切なすぎる運命の結末に、多くの読者が涙しました。

▶あの日から10年。

物語は、小説家となった航平と、遺された娘・明里、二人の視点で交互に紡がれていきます。

「毎年桜を見ると、ママのことを思い出す。」

幼い頃に母を亡くし、桜が咲くたびにその面影を胸に抱いて大きくなった明里。 あの日からちょうど10回目の命日、一人で多摩川の土手を走る彼女が、満開の桜の木の下で耳にした「驚きの一言」とは──。

二人の想いが重なり合うとき、再び動き出す物語。まずはその始まりのシーンを、じっくりとお楽しみください。

*   *   *

(本編より一部抜粋)

三月二十九日、土曜日。

ママの命日を迎えた。毎年、ママの好物だったイチゴのショートケーキを等々力のお店で買ってきて、リビングの端にある小さな仏壇に供えている。しかし今年、パパは会社に行ってしまった。いつもは在宅勤務で土日も休みのくせに、今日に限って管理職研修とやらがあるらしい。一日ずれるけれど、明日二人でケーキを買ってくることにした。

それを決めてから友だちと約束を入れ、ランチの後にカフェで長話をして帰宅した。スマホの時刻を見ると、午後四時半になろうとしている。パパは研修後に飲み会があり、今日はちょっと遅くなるらしい。ご飯は昨日の残りの生姜焼きが冷蔵庫にあるので、それを食べるようにと今朝言われていた。

SNSを開いてタイムラインを眺める。昨日、東京で桜の満開が宣言されたので、桜についての投稿が多く目に入る。

そういえば、ママは亡くなる間際に桜を見にいったと、パパはつねづね言っていた。

あれから十年が経つ。

毎年桜を見ると、ママのことを思い出す。命日はいつもパパと一緒に過ごしていたから、たまには一人で多摩川の桜を見にいってみるのもいいかもしれない。

思い立ったらじっとしていられず、ジャージに着替えてマンションを出た。高校でも陸上部に入るつもりだ。ママも同じく陸上部で短距離走の選手だったけれど、自分は短距離が苦手で、中距離の千五百メートルを得意としている。多摩川までは多少距離があり、往復するとちょうどいい運動になるから、普段もよく走っていた。

等々力駅から環状八号線を越えて南下していく。動物病院の脇を走り抜けた。小さい頃はこの病院に来ている犬を見るのが好きだった。今も犬が好きだけれど、あの犬たちは病気や怪我のために受診しているんだと気づいてからは、心の中で「早く治ってね」と念じるようになった。

今日も同じように念じ、等々力不動尊の前を過ぎていく。ここから下り坂になる。加速し、そのまままっすぐ進んでいった。家を出てから十五分くらいで多摩川の土手沿いに着いた。河川敷に下りると、土曜日で天気もいいからか、たくさんの人がお花見に繰り出している。

十年前もこんなふうだったのかなと思いながら、軽い足取りで走っていく。ママがどの桜の木を見たのかはわからないけれど、この光景に違いない。

ママはどんな気持ちで桜を見ていたのだろう。最後の力を振り絞って、それでも見たかった桜の花。病院に戻ってきたママと話して、「本当のママが戻ってきた」と思った。きっと、桜がママを癒やしてくれたんだ。そんなふうに感じたことを思い出した。でも、その後すぐにママは息を引き取ってしまった。

当時の記憶がふいに顔を出し、きゅっと唇を結ぶ。

あの時に桜を見にいかなければ、もう少し長く生きられたかもしれない。けれど、きっと桜を見たからこそ、ママは笑顔で旅立ったんだ。

土手の向こうに建っている病院が見えてきた。ママが入院していた世田谷南部総合病院だ。明里自身もたまにこの病院で診てもらうけれど、ママを思い出してしまうので、できればあまり来たくはなかった。

病院の前を過ぎ、第三京けい浜ひん道路の高架の下をくぐって上野毛方面へ駆けていく。土手に続いている道があるので、そこを上って細い道に出る。上野毛から回って帰ろうと思い、その道を進んでいった。少し行くと大きな桜の木が立っていて、その木の下でもシートを敷いて花見客たちが盛り上がっている。

楽しそうだなあと思っていると、視界の先につい最近、見た覚えのある人がいた。

あれは、とわ……?

ええええっ、ちょっと待って。

明里は驚いて立ち止まった。目を凝らして横顔を確認する。服装もサイン会の時と同じジャケットに見えた。間違いない、とわだ。地元の作家のサイン会だったから、このあたりに住んでいるのはわかっていたけれど、こんなに近くに住んでいたなんて。

とわは目の前で咲いている桜の木を見上げていた。木は土手よりもずっと高く伸びているから、この道からでも充分に桜を楽しめる。とわもお花見に来たのかなと思いながら、明里は足を踏み出した。一瞬、声をかけようか迷った。でも、もう二週間が経つし、きっとわたしのことは忘れているだろうな。そう思いながら、歩いて後ろを通り過ぎようとする。

その時、とわが桜に何かを語りかけているのに気づいた。さすがは小説家だ。桜の木を空想の人に見立てているのだろうか。しかも笑みを浮かべてすらいる。

明里は感激しながら、とわのすぐ近くまで歩み寄った。とわは話すのに夢中なのか、こちらに気づかない。やっぱり、忘れてるんだ。そりゃ、そうだよねと思ってすぐ背後を通り抜けようとした時、彼は言った。

「じゃあ美羽さん。また来年」

 

 

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もう一度だけ会えたなら、ぼくとわたしは──

2025年3月に発売され、その切ない設定と胸を打つ結末が多くの読者の心に深く残った『ぼくが生きるということは、きみが死ぬということ』の著者・越尾圭さんの最新作『もう一度だけ会えたなら、ぼくとわたしは──』。本特集では、発売を記念して本作にまつわる様々な情報をお届けします。

 

 

 

【あらすじ】

 

売れない小説家の航平(とわ)と、十年前に母・美羽を亡くしたとわファンの明里は、満開の桜の下で出会う。航平と美羽が最期の一年を入れ替わっていたという真実を知らされた明里の心には、ある“想い”が生まれる。“もう一度ママに会いたい”──二人は七夕に美羽を呼び出そうとする。大切な人との切ない再会の夜、何を伝えるのか──。

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越尾圭

一九七三年、愛知県生まれ。早稲田大学卒。第十七回『このミステリーがすごい!』大賞・隠し玉を受賞し、『クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない』(宝島社文庫)でデビュー。著書に『協力者ルーシー』『なりすまし』(ともにハルキ文庫)、『誰がためにその手は』(ハーパーBOOKS+)など。

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