
わたしの住む村には牧場がいくつかある。
牧場といっても牛はいない。馬だけだ。厩と馬場があり、乗馬ができたりする。
そのうちのひとつの牧場主さんとうちの夫は仲が良い。夫は近所に住むおじいさんの大きな犬を毎日散歩させており、その途中でよく牧場に立ち寄るのだ。あまり人になれない犬なのに、その牧場主さんのことは好きらしい。
馬の洗い場を借りて犬を洗わせてもらったこともある。わたしも手伝いに行った。馬は犬を興味深そうにじっと見ていた。
「犬だ」
「犬だよ」
と囁き合う声が聞こえそうなほど、感情豊かに犬を見ていた。
わたしは犬を洗うことより馬が近くにいることのほうが嬉しくて、犬を洗い流すのをおろそかにしながら馬をこっそり眺めていた。
馬は美しい。
長い首、細い足。引き締まった胴。そこだけ固そうな不思議な形のひづめ。完璧だ。つやつやの毛もまあるくてやけに澄んでいる目も素晴らしい。余談だが、わたしが馬肉を口にしないと決めているのは馬と仲良くなりたいからである。
あるとき犬の散歩から帰ってきた夫が、そういえば牧場の人に頼まれごとをしたんだけれど、と言った。
「牧場の留守番をして欲しいんだって」
動物の世話仕事は年中無休である。牧場は家族で営んでいるため、もう数年お墓参りにすらいけていないという。だから、春が来たらどこかのタイミングで一日二日、馬の面倒を見てもらいたい、ということだった。
牧場の留守番。なんて甘美な言葉。
馬を眺め放題ではないか。
馬というのは繊細な生き物である。知らない人間が簡単に近寄っていいものではない。感染症の問題もある。だからわたしは遠くから馬を眺めるだけで我慢していたのだ。
留守番をするということは、馬を近くで見られるということだ。ご飯をあげたり掃除をしたり、お世話もさせてもらえるかもしれない。あわよくば背中にブラシをかけられるんじゃないか。いやそれはさすがに欲張りすぎか。
わたしも世話をしたいと恐る恐る夫に言うと、牧場主さんに伝えてくれた。
「じゃあ、春になったら一度練習してみよう」
牧場主さんはそう答えたそうだ。馬のお世話の練習。つまりテストだ。上手くできるだろうか。落第したらどうしよう。しかしもし合格したら、ちょこちょこ留守番をさせてもらえる可能性もある。そうしたら、馬だってわたしのことを好きになってくれるかもしれない。基本的に、生き物は自分にご飯をくれる者に好感を持つのだから。
春になったら。
考えるだけでどきどきする。わたしはかなりの緊張しいなので、挙動不審すぎて馬に警戒感を与えてしまうのではないか。それが一番怖い。
山の春は遅い。はやく暖かくなって欲しいような、夢見ている間が一番幸せなような、そんな時間を過ごしている。
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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。