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しらふで生きる

2022.11.06 公開 ツイート

断酒のメリットと恐ろしさ 芥川賞作家が自分を「普通以下のアホ」と言う理由 町田康

芥川賞作家でミュージシャンの町田康さんは、30年間、毎日お酒を飲み続けていたそう。それがある日、お酒を飲むのをぱったりとやめました。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

*   *   *

自分を普通以下のアホとする

人間は人間である以前に動物であり、自己を保存しようとする本能がある。なので自我を滅却するのは難しいし、比較的容易な自己認識の改造を行うのも容易ではない。

そこでそのためのもっとも簡単な方法として、自分を普通以下のアホ、とすること、を提案したが、どんな人間にも自分を大事にしたい心があるから、それもなかなかに難しい。

そこで、自分を普通以下のアホと規定することによる現実的なメリットをふたつ挙げた。

(写真:iStock.com/Chalabala)

特に勉学において己を低くおくということは、己を高くおくより遥かに多くの学びを得ることができる

それ以外にも人生の様々の局面で敗北感・挫折感を味わわないで済むし、ちょっとした人の親切や僥倖、いやさ、普通のことにたいするありがた味ということを感じることができて、人生がよろこびに包まれるという意外なメリットがあることを多くの人が知らない。

ことに西洋流の個人主義、積極主義がよいのだ、ということで、自分は賢児だ、有能だ、と臆面もなく自分を売り込まないと後回しにされ冷遇される、みたいなことに馴染めないことに気が付かないまま自分を賢児と思っている/思おうとしているとき、ふと、このメリットを享受すると、たまらなく解放されたように感じる。

 

それは病を得て初めて知る健康のありがた味を健やかなまま知るようなものである。

自分は損をしているのではないか? 能力に見合った報酬を得ていないのではないか? その分を誰かに掠め取られているのではないか? そんな疑念を常に抱き、そうならないように監視・目配りを続けなければならない人生は既にして地獄である。

時の政権が自分を無視して冷遇する。この偉い俺を無視するなんて間違っている。と狂乱し、その狂乱のパワーと賢い智慧で、政権を打ち倒す。ところが新しくできた政権は、思ったほど自分を重用しない。こないだよりもっと狂乱して、また打ち倒そうとするが、あまりにも狂乱したため判断を誤って敗北し、流れ矢に当たって犬死にする。

或いはそれが嫌なので都からそんな遠くない山奥に隠棲して日々、嫌味なコラムを書き綴る。

楽しいか? そんな人生

楽しくないに決まっている。しかし、自分を賢児としてそれにふさわしいと自ら考える楽しみや快楽を模索し続けると必ずこんなことになってしまい、その苦しみを和らげるために酒を飲む。しかれども此の世に純粋な楽しみは稀少、それらは必ず人生の負債となってのしかかってくるのは既に私たちの見たところである。

 

このたまらない解放感は、ほんの些細なこと、川のせせらぎを聞いて、背中に日の温もりを感じて、風に揺れる草花を見て感じる愉悦とイーコールであり、これはなんの負債も伴わない、神からの贈り物、人生の予めの純利益である。

しかし巨額な債務を、痺れるような、というか実際に痺れる、強烈な酔いを知ってしまった私たちはもはやこれを感知することはできない。

けれども酒を飲まない子供の頃は日々、そうしたよろこびを感知していたことを私たちは記憶している。

自分を普通以下のアホと見なし、そしてその結果、自己認識改造を果たすことによって酒をやめることができるが、それにいたる過程で私たちが得る最大のメリットは、実はこの、些細なことによろこびを感じる感覚を取り戻すことができる、という点にあるのである。

 

いま私は恐ろしいことを言ってしまったような気がする。しかしこれは酒をやめた私の、現時点でのギリギリの実感である。もとよりそんな感覚を取り戻そうと思って、つまり負債を伴わない純粋な楽しみを得ようという目的を持って酒をやめたわけではない。

ただ、霊的な訳のわからないものに導かれて、自分でも説明の付かない、自分で自分を国道に突き落とすような状況で酒をやめた。

そうしたらこんなことになった、というに過ぎない。多くの偉大な発見が偶然を契機とするのにこれは似ているのだろうか。そんなことは私にはわからないが、結果的にそのようなことを知ることができたのはよかったことだといまは思っている。

なので卿等はこのことを酒をやめる目的・理由にすればよいと私は思う。

種々のメリットを感じながら普通以下のアホと断ずることによって自己認識改造を果たせば酒をやめられるというメリットがあり、酒をやめることには些細なことに最大のよろこびを感じるというメリットがあるのである。

さて、それのなにが恐ろしいのか。

それはそうすることによって虚無・退廃に陥ることである。

自己認識改造と人格改造は違う

誕生と死は一対である。存在しなかったものが意志と無関係に此の世に現れ、多くは意志に反して消えていく。その間にあるものは幸不幸ではなく、また善でも悪でもなく、ただ苦痛と快楽だけである。そしてその苦痛と快楽もまた必ず一対となって現れ、美食や荒淫は後々の病苦となって人を苦しめるし、やり甲斐・達成感を感じる仕事は常に失敗や挫折と二人連れである。

地位や名誉、財産は「これをいつか失うかも知れない」という恐怖を孕み、若さや美しさも必ず衰える。

示したとおり、飲酒はこれのもっともわかりやすいもので飲酒で楽しみの反対側に宿酔や浪費、信用の失墜といった苦しみが伴う

(写真:iStock.com/flyingv43)

これをどのようにとらえるかは当人の人生観次第だが、いまはこれを廃する方法を示し、困難ではあるが概ね有効な方法を提示することができた。

しかし、どうせ人生がゼロの地点で釣り合うならば。そして貪欲に楽しみを希求してもがいたところで、その反対側に苦しみが残るならば。人はなにも努力しないで、どんどん衰退していく。「どうせやったって結果がゼロなら意味ないじゃん」ということになって、虚無退廃の淵に沈んで、薄暗い部屋に暗い目をして引きこもり、食事はすべてコンビニ弁当で済ませ、たまに出掛けると思えばスロットを打つ程度、本も読まず、映画も観ず、介護生活を夢見て、怠惰で無気力な人生を送り、しまいには飯も食べなくなって意味不明の笑いを浮かべつつ、悟りを開いた、などといった妄言を投稿していたかと思ったら、それも途絶え、家賃の支払が滞ったため管理会社の者が部屋に入ったところ、蓮華座を組んで衰弱死していた。みたいなことになりかねない。

またそうした人が増加すると社会の活力が失われ、少子高齢化がますます進んで、産業も衰退し、数千年の栄華を誇った人類の文明が滅んでしまうかも知れない。

もちろん人類が滅んだからといって地球がどうなるわけでもなく、人間以外の動植物その他生命非生命にとってはその方が好都合かも知れないし、まして宇宙がどうなるわけでもなくて、なぜ人類が繁栄し続けなければならないのか、と問われると答えに窮する。或いはそうすると、この世を創り賜うた神の面子を潰すことになるからか。だとすれば心の底からそれを信じていない人間には関係の無い話である。

いやさだからといって、いますぐ人類の文明が滅んで原始の動物状態になるのは困る。なぜならそんな状態になったら此の世の苦しみがいや増して嫌だし、自分に連なる子や孫がそんな苦しい目に遭うのも可哀想だ。だからどうしてもそうなるならば、急になるのではなく四世代か五世代くらいかけて、徐々にゆっくりとなっていけばよい。ならないならならないで猶よい。

 

って私はなんの話をしているのか。そう、虚無退廃に陥るのはそうした観点から見てもよろしくない、ということだ

だから、そのように、というのは自分が普通以下のアホと考えることによって虚無に陥らないための工夫が必要である。

そのためにはまず自尊心を失わない、ということであろう。テレ・ビジョンや中波ラヂオを見聞きしているとよく、円高とか円安といったことを言っている。

自分の国の銭で他国の銭を買おうと思ったらなんぼうかかるか。米国の銭一弗は何銭するのか。或いは何円するのか。それが前より多くなったら円安、すけなくなったら円高と言っているのである。

これが高いか安いかはいろんな会社の株式やら債券やらの値段にも影響し、また、外国になにかを売って儲けようと思った場合の儲けにはモロに影響があるので、国の舵取りをする人は皆、この円高とか円安ということを非常に気にしている。しかしそれは他の国も同じことなので、それをめぐって国と国との、なんというか、揉め、のようなことがよくあり、あからさまに自分の国の銭を高くしたり安くしたりしたら、他の国から「なにをエテカッテなことさらしとんじゃ、ぼけ」と言われ、集団でよってたかってボコボコにされる。それに対して「誰がエテコじゃ、ぼけ」と言い返すと戦争になる。

 

自己認識改造を行って自尊心を失わないようにするためにはこのことを知るべきであろう。以前に申し上げた通り、自己認識改造と人格改造は違う。認識を改めるということは自己をより正確な物差しでみつめようということで、その際、自己のあり方は改造前も改造後も変わらない

なのでそこに卑下する心は生まれない。なぜなら自己を他と比べて無理矢理に低くしているわけではないからである。

自己を不当に低く切り下げて、その差益によって利益を得よう。賢児だと思われていれば少しばかり勉強してもあまり評価されないが、バカの振りをしていればちょっと増しなことを言っただけで「おおおっ、意外にやるやんけ」と感心され、三日拘束でギャラ一千万円の仕事が入るかも知れない。といったようなことを考えて自己そのものを切り下げればそこに人の顔色をうかがい、人に阿る卑屈な心が生じ、自尊心はみるみる失われて、一千万円では埋め合わせのつかぬ虚無感・喪失感が負債となって残る。そして現実には一千万円どころか一千円の仕事すらなかなかなく、「最低賃金以下やんかー」とか言いながら「大五郎」などをグビグビ飲んでしまうのである。

このこと、即ち認識改造を行いながら自尊心を保つことはとても大事なのでさらにお話しいたすことにいたしますことにいたしましょう。

関連書籍

町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

30年間、毎日酒を飲み続けた作家は、突如、酒をやめようと思い立つ。絶望に暮れた最初の三か月、最大の難関お正月、気が緩む旅先での誘惑を乗り越え獲得したのは、よく眠れる痩せた身体、明晰な脳髄、そして寂しさへの自覚だ。そもそも人生は楽しくない。そう気づくと酒なしで人生は面白くなる。饒舌な思考、苦悩と葛藤が炸裂する断酒の記録。

町田康『リフォームの爆発』

マーチダ邸には、不具合があった。人と寝食を共にしたいが居場所がない大型犬の痛苦。人を怖がる猫たちの住む茶室・物置の傷みによる倒壊の懸念。細長いダイニングキッチンで食事する人間の苦しみと悲しみ。これらの解消のための自宅改造が悲劇の始まりだった――。リフォームをめぐる実態・実情を呆れるほど克明に描く文学的ビフォア・アフター。

町田康『餓鬼道巡行』

熱海在住の小説家である「私」は、素敵で快適な生活を求めて自宅を大規模リフォームする。しかし、台所が使えなくなり、日々の飯を拵えることができなくなった。「私」は、美味なるものを求めて「外食ちゃん」となるが……。有名シェフの裏切り、大衆居酒屋に在る差別、とろろ定食というアート、静謐なラーメン。今日も餓鬼道を往く。

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しらふで生きる

元パンクロッカーで芥川賞作家の町田康さんは、30年間にわたって毎日、お酒を飲み続けていたといいます。そんな町田さんがお酒をやめたのは、いまから7年前のこと。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

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町田康

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。

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