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しらふで生きる

2022.11.13 公開 ツイート

30年間飲み続けた酒を断った芥川賞作家 禁酒三日間で感じた絶望と恐怖 町田康

芥川賞作家でミュージシャンの町田康さんは、30年間、毎日お酒を飲み続けていたそう。それがある日、お酒を飲むのをぱったりとやめました。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

*   *   *

30年間、1日も欠かすことなく飲み続けてきた

十月というと秋口。一年のうちでもっとも酒のうまい季節である。というと十一月になるとうまくなくなるように聞こえるがそんなことはまったくなく、十一月の酒もうまい。いや下手をすると十一月の酒は十月よりもさらにうまいかも知れない。

そうすると十二月はどうなるのか。そして新玉の春。というとやはり、「一年のうちでもっとも酒のうまい季節である」と嘯(うそぶ)く。嘯いて飲む。

そして三月になっても四月になってもずっと嘯いている。要するに、どんな季節でも酒はうまく、いやさもっといえばどんな時候でも、どんな時節でも酒はうまい

(写真:iStock.com/Shaiith)

というより逆に、こんな時候だから、といって酒を飲み、こんな時節だからといってまた飲むのであり、雪見酒、花見酒、祝い酒、弔い酒といろんな名前が付いてはいるが、要するになにかあればそれを理由・言い訳にして酒を飲む

じゃあなにもないときは飲まないということになるはずだがそんなことはなく、「いやー、今日はもうなにもないから。しょうがない。飲むか」と言って酒を飲む仕儀と相成る。

飲めば酔う。酔うと楽しくなる。楽しいと飲みたくなるからもっと飲む。そうするともっと酔う。そうするともっと楽しくなるからもっと飲む。これを無限に繰り返し、極点に達するまで飲む。極点に達するとそこから先のことは覚えていない。おそらくは爆発しちまったのだろう。

 

爆発しつちまつた楽しみに

今日も濁酒の降りかかる

爆発しつちまつた楽しみに

今日も風さへ吹きすぎる

 

爆発しつちまつた楽しみは

例えばジャージにサンダルで

爆発しつちまつた楽しみは

こぼれた濁酒で染みだらけ

 

爆発しつちまつた楽しみは

なにのぞむなくねがふなく

爆発しつちまつた楽しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

爆発しつちまつた楽しみに

げらげら笑い暴れだし

爆発しつちまつた楽しみに

なすところもなく朝がくる

 

かかる戯れをついしてしまうのが酒を飲んで楽しくなった際に現れる典型的の症状であり、私は二十三歳から五十三歳までの三十年間、一日も欠かすことなく酒を飲み続け、毎晩、ときには日中、甚だしいときは早朝から、このような症状に見舞われて生きていた

それは私の生そのものであり、「人、酒を飲む。酒、酒を飲む。酒、人を飲む」という言葉どおり、我や酒。酒や我。今日をも知らず明日をも知らず徳利から酒を飲み続け、酒こそ我が人生、と言って言われて、爆発し続けていたのである。

 

そんな私がふっつりと酒をやめ、さあ、それでどうなったか。そのことについてざっくばらんに語っていこうと私はいま思っている。

なぜかというと、その私の実地の体験、身の上に起きた変化、やめてどうなったか、といったことが、もしかしたなら皆様方の参考になるかも知らん。と思うからである。

さあ、そういうことで実地の体験を述べていこう。もちろんそうして私の生活の中心にあった酒であるから、それをよすことでいろんなことが随分と変わった。

どんなところが変わったか。思いつくままに列挙すれば、先ずは身体面が変わった。それと同時に精神面が変わった。それと軌(き)を一(いつ)にして日常の生活パターンが変わり、そうしたことは仕事に影響を及ぼして、そうすると当然、家庭の経済面に変化の兆しが現れる

これらはひとつのことが起こり、その影響を受けて次のことが起こるのではなく、互いに影響を及ぼしながら同時進行していくので、順序立てて話すのが難しいのだが、とりあえずひとつびとつの面、例えば精神面についてどんなことがあったかというと。

正月という最大の危機を迎えて

時期時期によって異なって、特に、最初の三日間、最初の一週間。最初の一か月、三か月、六か月目、一年目、あたりまではその時期によって精神面も随分と違っていたように思う。

ことに最初の三か月目くらいまでは、自分は禁酒しているのだ、自分は酒を断った人間だ。自分は酒を飲まないということが強く意識せられ、自分の人生にもはや楽しみはない。ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、という思いに圧迫されて、アップアップしていた。

そして反射的に、「こんなにも苦しい思いを和らげるためには酒を飲むしかない」と思い、「あ、そうだ、俺はその酒をやめているのだ」と思い出して絶望するということを七秒に四回宛繰り返していた。

(写真:iStock.com/cagkansayin)

そんなことでまともな仕事ができる訳はなく、例えば小説を書いても、主人公がたまたま入ったうどん屋で食べたおかめうどんに毒が入っていたため主人公が不慮の死を遂げ、やむなく副主人公を主人公に据えて話を進めるのだが、これも餅を喉に詰まらせて死に、どうしようもなくなって土砂崩れで全員が死に、奇跡的に生き残った七人がこの世の復活を願って「だんじり祭り」を執り行うのだがなにも起こらない。みたいなことになっていたのではないか、と推測するのだが怖くて確認できない。

そして日々を危機の感覚のなかで生きていた。その危機とは、「俺は酒を飲んでしまうのでないか」という恐怖であり、それは、「また酒を飲んでしまうダメ人間としての自分」を否応なしに認めざるを得ないという敗北感に直結する恐怖であったが、同時に、「こんな苦しい思いをして生きて、いったいなんの意味があるのか」という問いでもあり、それは脳内に響く、「いいぢやありませんか。今日酒を飲んだから明日死ぬという訳ぢやないんですから」という変なおばはんの声であった。

ことにそのおばはんは執拗で、いくら黙れと言っても、その囁きをやめず、言うことを聞かないでいると、その熱い身体をぴったりと密着させてきて、それでも剛情にしていると、ついにはテイクダウンをとり、腕を決めて放さない。そのうえでなお「いいぢやありませんか」と言いつのってやめない。

それをいつまでも耐えていると関節が折れる、というかそこまで耐えられるものではなく、たまらずタップ、というのはつまり小銭を握ってコンビニエンスストアーに走り、紙パックに入った清酒かウイスキーのポケット壜を購入する、というところまで追い詰められたのも一度や二度ではない。

それをどうやって乗りこえたかは「今も続く正気と狂気のせめぎあい」の項に詳述したので繰り返さないが、とにかくさほどに苦しかった。

 

けれども月日は過ぎる。

とにかく最初の三日間はそんな日が続き、一週間が過ぎ、一か月が過ぎた。私が酒をやめたのは十二月の末であり、ジングルべジングルべ鈴が鳴る、なンど言って人々がキリスト・イエス様のご誕生を祝うクリスマスであった。

町では人々が酒を飲み暴れ散らしていた。国中の鶏が虐殺され竈に入れられ照り焼きにされた。その頃、私はというと田舎の家で蜘蛛の巣を食べていた。というのは嘘。ごく普通の和食を食べていたが、蜘蛛の巣を食べるような苦しみを相変わらず感じていた。

ただ一月が経つうちに微妙な、普通にしていたら絶対に気が付かないような変化があった。

それは、一日のうちで酒のことを考えている時間がごく僅かではあるが減少していた、ということで、それまでは起きている間はずっと酒のことを考えていたが、「あれ? そういえば俺いま酒のこと考えてなかったな」と、ふと思う瞬間が生まれ始めたのである。

 

とはいうものの、それは一日のうちのごく僅かな時間で、やはり殆どの時間、焼けつくような酒への渇仰、に囚われ、「ああっ、酒、飲みてぇ」と呻き、悶えていた。

そして年が明けて正月。これが最大の危機であった。

なぜなら正月というのは、昔に比べればそんな大袈裟なものでなくなったとはいえ、やはりおめでたい祝いの日で、祝いの日にはやはりやはりどうしても酒を飲むようなことになってしまうからである。

それも個人的な祝いであれば個人の努力でなんとかなるかも知れない。しかし正月というのは世の中全体でする祝いであり、世間全体が祝いの雰囲気=酒を飲む雰囲気に充ち満ちている

そして目の前には節料理という、どう考えても酒のつまみとしか思えない料理が並んでいる。そして、私が禁酒中であることを知らない人が年末に、「滅多と手に入らないおいしいお酒が手に入りました。あなたのような酒好きに飲んで貰いたいと思いましたので贈ります」という手紙とともに送って呉れた清酒がある。別に葡萄酒や三鞭酒を呉れた人もある。

私は正月の御馳走と幻の銘酒を前にして、「ここが俺の人生最大の難所だ」と呻くように呟いていた。

さあ、私はどういう挙に出たか。

関連書籍

町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

30年間、毎日酒を飲み続けた作家は、突如、酒をやめようと思い立つ。絶望に暮れた最初の三か月、最大の難関お正月、気が緩む旅先での誘惑を乗り越え獲得したのは、よく眠れる痩せた身体、明晰な脳髄、そして寂しさへの自覚だ。そもそも人生は楽しくない。そう気づくと酒なしで人生は面白くなる。饒舌な思考、苦悩と葛藤が炸裂する断酒の記録。

町田康『リフォームの爆発』

マーチダ邸には、不具合があった。人と寝食を共にしたいが居場所がない大型犬の痛苦。人を怖がる猫たちの住む茶室・物置の傷みによる倒壊の懸念。細長いダイニングキッチンで食事する人間の苦しみと悲しみ。これらの解消のための自宅改造が悲劇の始まりだった――。リフォームをめぐる実態・実情を呆れるほど克明に描く文学的ビフォア・アフター。

町田康『餓鬼道巡行』

熱海在住の小説家である「私」は、素敵で快適な生活を求めて自宅を大規模リフォームする。しかし、台所が使えなくなり、日々の飯を拵えることができなくなった。「私」は、美味なるものを求めて「外食ちゃん」となるが……。有名シェフの裏切り、大衆居酒屋に在る差別、とろろ定食というアート、静謐なラーメン。今日も餓鬼道を往く。

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しらふで生きる

元パンクロッカーで芥川賞作家の町田康さんは、30年間にわたって毎日、お酒を飲み続けていたといいます。そんな町田さんがお酒をやめたのは、いまから7年前のこと。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

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町田康

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。

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