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しらふで生きる

2022.11.20 公開 ツイート

脳から酒粕がとれて眠りが深くなった 芥川賞作家が綴る断酒体験 町田康

芥川賞作家でミュージシャンの町田康さんは、30年間、毎日お酒を飲み続けていたそう。それがある日、お酒を飲むのをぱったりとやめました。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

*   *   *

酒なしでご馳走を食べる気にならない

断酒半年。この素晴らしい事業を達成した私は自信と誇りに充ちあふれていた。しかしだから自信と誇りに充ちあふれていつも笑顔で暮らしていた、ということはなかった。

表面上はいつもと変わらぬ、と言いたいところではあるが酒を飲んで御陽気にならない分、陰気でしょぼくれたおっさん味が増し、女に持てる心配もないのを身の仕合わせと心得、うす暗い文章道を、ひとりでトボトボ歩いていた。

けれども内心にはいまいったような自信があった

しかしそれはあくまでも心の内の問題に過ぎなかったのである。

(写真:iStock.com/Biserka Stojanovic)

とはいうものの。「おっ」と言われることがあった。「おっ、なんか、ちょっと痩せはったんとちゃう?」と言われるのである。

それも一人や二人ではない。といって三十人でもないが、十三人くらいの人に、「なんか痩せはったんとちゃう?」と言われる。

というのは間違いなくよいことである。なぜなら昨今の情勢を鑑みるに肥ってドテッとしているより痩せてシュッとしている方が好感が持たれるというか、まあ、はっきり言って女などにも好かれる傾向にあるからである。

 

しかも私のような年をとった男=おっさん、が肥満していた場合、極度に厭悪され、迫害・差別を受ける。しかし、これを糾弾することはできない。なぜなら、おっさんはおっさんでそれなりの下心を持っているからである。

と言うと、「いやそんなことはない。私は相手が誰であれ、その個人の尊厳を尊重しているのでエログロナンセンスとは無縁だ。私は君子だ」と言う人が現れる。けれどもそういうことを声高に言う人に限って陰でえげつないことをやっていることが多い

と言うと、「いや、そんなことは俺はしない。いやさ、考えたこともない」と仰る高士が現れ、実際にそんな場合がある。そのときは謝る。というか念のために、先に謝っておく。「すまん。許してくれ。俺が悪かった」

って僕はなんの話をしているのか。ってそう、肥ったおっさんは迫害され、それに抗弁できぬ、ということだった。

ということで、肥っているよりは痩せている方がなにかと便利な世の中で、「ちょっと痩せはったんとちゃう?」と言われることは善きことと考える。

 

そしてその痩せた原因は、というと他になにをした覚えもないので間違いない、禁酒・断酒の効能である。

なぜ酒をやめると痩せるのか。私は専門家ではないのでよくわからないが、インターネットで禁酒者の体験談を読むと、酒をやめたら痩せた、と報告する人は多い。これ以降は推測だが、つまるところ、おいしい酒にはどうしてもおいしいお料理というものがついてきて、酒を飲むとどうしても飲まない場合に比べて食べる量が増すのではないだろうか。

自分の場合などもそうで以前は貧乏なくせに上等の肉や魚をよく食していた。これ偏(ひとえ)に旨い酒を飲みたいという酒餓鬼の心ゆえで、山盛りの大トロをお菜に丼飯をバクバク食す、なんてことは断じてなかった。

そしてそのことが、つまり旨い肴と旨い酒というものが一対になっているということが人生の習い、主義・信条となっていたので、いざ酒をやめると単独でうまいものを食するということはなく、私の食膳から御馳走が消滅、そのことを不満に思う気持ちもなかった。

酒も飲まないのにそんなもの食ったって意味ないだろう」って訳である。

 

その結果、私は極度の粗食家になり、その結果、体重が減少した。

というのは私に限った極端な例かも知れぬが、しかしそれにしても多くが体重の減少を報告している。

ということを肝臓の働きから説明する人もあった。どういうことかというと、飲んだアルコールは肝臓が分解してくれる。なので私たちは酒を飲んでも死なない。しかしそのとき、肝臓はけっこう苦労するので他の仕事ができなくなる。その結果、代謝の働きが鈍くなって肥満する、というのである。嘘か本当か知らないが、まあそんなこともあるのかも知れない。

しかしまあ私の場合は体重が減って人に、「痩せはったんとちゃう」と言われるようになった。そこで試しに体重計に乗ってみると八瓩(キログラム)がとこ体重が減少していた

八瓩というのは例えば小型犬一頭の体重に匹敵する重量で、常に小型犬一頭を身体に巻きつけて生活していたのかと思うと、楽しいような部分もあるが、やはり重いし、できたら自分で歩いてくれないかなあ、という気持ちの方がどうしても強い。

そして常に身体に巻きつけていた小型犬が急にいなくなったのだから、周囲の人がすぐに気がつくのは当然である。

酒をやめたら脳がよくなった?

さあこれで肥った醜いおっさんとして迫害・差別されることはなくなった。そこで私はそこからさらに一歩進んで女に持てるようになったかも知れないと考え、いけてるおっさん感が漂うように気を配りつつ、人の集まる場所に積極的に出掛けていき、気障なポーズをとったり、ジョークを口にして人を笑わせるなどしてみた。

そうしたところ顔見知りの女が向こうから近づいて来た。早くも効果が現れたのか! と驚いているとその女は眉を顰(ひそ)めて言った。

暫くお目にかかりませんでしたが……、どこかお悪いんですか?

「ぎゃん」

私は一声哭いてその場から逃げ帰った。私は、私くらいの年齢になると痩せても、痩せて美しくなった、と思われるのではなく、患っている、と思われるのが普通である、ということを忘却していたのである。

(写真:iStock.com/Natali_Mis)

しかしまあ実際は患っているわけではないのでこれは心の外に現れた、善きこと、禁酒の一得である。私はかつて私がパンクロッカーであった時代に着ていた服を着て「俺はアナーキストだ」と叫ぶこともやろうと思えばできるようになったのである。

 

しかしその他にはどんなことがあったのか。単に体重が減少しただけか? というとそんなことはなく、実に様々なことがあった。

例えばこれも科学的根拠のあることではないが脳が少しよくなったように思われる。前は脳が非常になんというか酒漬けで、まあ或る種、粕漬けのような状態になっていた。

そのことを教えてくれたのは私方で使っている石油ファンヒーターである。

この石油ファンヒーターは実に腹立たしい石油ファンヒーターで、一酸化炭素中毒を防止するために三時間以上連続して運転することができない。

じゃあ三時間経ったらどうなるかというと、タイマー装置が作動して自動的に停止するのである。はっきり言ってこんなものは隙間風が吹き込む安普請の私方にはまったくもって無用の装置で、解除してしまいたいのだが、出荷時から組み込んであって絶対に解除できないようになっている。しかしまあみなみな隙間風が吹く家に住んでいる訳ではなく、世の中には気密性の高い立派な家に住んでいる方もたくさんおらっしゃる。だからまあこうした装置が組み込んであるのも仕方のないことだ、とは思う。けれども絶対に許すことができぬ一事がここに存するのは、停止するなら黙って停止すればよいものを、この甘えきったクソ野郎は停止するに際して、メロディーを垂れ流す。しかもその節が、「ラブ・ミー・テンダー」の節なのである。

つまりこのクソ野郎は自己都合で勝手に運転を停止しながら、「自分は運転をやめる。でも愛してね。優しく愛してね」とほざきやがるのである。これが人間ならとっくの昔にぶち殺している。しかし、石油ファンヒーターなのでそういう訳にもいかず、冬の寒い夜、ガタガタ震えながら酒の力を借り、ようやっと眠りについた私は三時間ごとに、このいまいましい「ラブ・ミー・テンダー」に起こされてきた。そして翌日は宿酔に睡眠不足が加わって、起きた時点で既に脳が労れていて、ろくな仕事ができず、私の世間的な評価がグングン下落していった。

しかるに酒をよしてからは、「ラブ・ミー・テンダー」によって深更に目覚めることがなくなった。なぜか。普通に考えれば眠りが深くなったからで、なぜ眠りが深くなったかというと粕漬けのようになっていた脳から酒粕がとれたからだと自分では思う。

そして夜中にラブ・ミー・テンダーと歌う痴れ者の声を聞くことがほとんどなくなり、宿酔も睡眠不足もなくなった。だからといって石油ファンヒーターを許すわけではないが、脳から酒粕がなくなったので心にも「ゆとり」が生じ、「やさしさ」「ぬくもり」といった概念が自分のなかに芽ばえてきて、前ほど殴りたいとは思わない。でも少しは殴りたい、と思うところをみるとまだ少なからぬ酒粕が残っているのだろう。

 

そして肝腎の仕事の方はどうか、というと、まあ世間的な評価がグングン上昇するということはいまのところない。ないけれども自分としては思考が一段、深くなったというか、酒を飲んでいる頃には酒粕に邪魔されてつながらなくなっていた脳のWi-Fiがつながって、各部署間の連絡がスムーズになり、みんながストレスなく仕事ができるようになったように思う。

まあそれも主観的なものであるが、宿酔がなく眠りが深いだけでも、時間あたりの仕事の出来高が上がることだけは確かであると思われる。

自分の場合で言うと、「今日はこれくらい進めばよいな」と予測して始めた仕事が終わってみれば予測の1.5倍から2倍程度進んでいるという感じである。

ということで、まずは体重の減りと睡眠の質の向上について申し上げた。

引き続き変化について申し上げる。

関連書籍

町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』

30年間、毎日酒を飲み続けた作家は、突如、酒をやめようと思い立つ。絶望に暮れた最初の三か月、最大の難関お正月、気が緩む旅先での誘惑を乗り越え獲得したのは、よく眠れる痩せた身体、明晰な脳髄、そして寂しさへの自覚だ。そもそも人生は楽しくない。そう気づくと酒なしで人生は面白くなる。饒舌な思考、苦悩と葛藤が炸裂する断酒の記録。

町田康『リフォームの爆発』

マーチダ邸には、不具合があった。人と寝食を共にしたいが居場所がない大型犬の痛苦。人を怖がる猫たちの住む茶室・物置の傷みによる倒壊の懸念。細長いダイニングキッチンで食事する人間の苦しみと悲しみ。これらの解消のための自宅改造が悲劇の始まりだった――。リフォームをめぐる実態・実情を呆れるほど克明に描く文学的ビフォア・アフター。

町田康『餓鬼道巡行』

熱海在住の小説家である「私」は、素敵で快適な生活を求めて自宅を大規模リフォームする。しかし、台所が使えなくなり、日々の飯を拵えることができなくなった。「私」は、美味なるものを求めて「外食ちゃん」となるが……。有名シェフの裏切り、大衆居酒屋に在る差別、とろろ定食というアート、静謐なラーメン。今日も餓鬼道を往く。

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しらふで生きる

元パンクロッカーで芥川賞作家の町田康さんは、30年間にわたって毎日、お酒を飲み続けていたといいます。そんな町田さんがお酒をやめたのは、いまから7年前のこと。いったいどのようにしてお酒をやめることができたのか? お酒をやめて、心と身体に、そして人生にどんな変化が起こったのか? 現在の「禁酒ブーム」のきっかけをつくったともいえる『しらふで生きる』から、一部を抜粋します。

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町田康

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。

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