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愛の病

2021.05.16 更新 ツイート

窓の外 狗飼恭子

 気づいたらもう春が終わりそうだ。
 あまりにも目まぐるしく起こる人生の岐路に立たされ続け、引っ越しをしなければならなかったことを忘れかけていた。そうなのだ。わたしが今住んでいるマンションは、今度の秋に取り壊されることが決まっているのだった。

 

 わたしはコロナ禍関係なくほとんど毎日家にいるので、窓から見える景色をものすごく重要視している。今もこの仕事机の上のパソコンからふと顔をあげれば、流れる川の水と空が見える。飛んでる鳥も見えるし散歩する犬も見える。時々は、部活動帰りに練習しているのだろうあまり上手じゃない管楽器の音楽も聴こえる。

 いい家だな、と思う。引っ越しが多いわたしが今まで住んだすべての家の中で、ひょっとしたら一番気に入っている住処かもしれない。
 

 わたしはわりと物件を探すのがうまい。どこに住んでも大差ない暮らしをしているので、駅の近くとか特定の場所へ行きやすいとかではなく、ただただなんとなく住んだら楽しそうな家を選ぶのだ。できたら知らない町がいい。わたしにとっては、住みたい「町」より住みたい「家」かどうかのほうが重要だ。だからほとんどは、住んでからその街のことを知ることになる。家の周囲にまったくスーパーマーケットがなくて呆然としたこともあったけれど。

 今回だって、不動産屋のホームページを片っ端から検索し、いくつかのお気に入りの物件を見つけていた。一度も行ったことのない場所ばかりだった。でもこの中にある家だったらどれでも住みたい。きっとまた楽しい日々が送れるだろう、そう楽観していたのだ。

 けれど、家探しを再開して驚いた。昨年末の突然の母の死とそれにまつわるさまざまな出来事によりあっぷあっぷの日々を送っているうちに、気に入っていたすべての物件はすでにほかの人の手に渡ってしまっていたのだ。元ペンションだったという広いがぼろぼろの建物も、築七十年の古民家も、元・写真館だったという家の中にブランコのあったあの家ももう誰かのものだ。なんてことだ。元歯科医院だという物件はまだ残っていたけれど、元レントゲン室の使い道がわからないのでなかなか決心がつかない。

 もう一度、ゼロから家探しをしなければならない。あと数か月以内に引っ越しを完了せねばならないのに。
 さて、どうしたものか。
 次の家には長く住みたいと思っていた。

 死ぬまでとは思わないけれど、少なくとも十年くらい同じところに住みたい。けれど今から慎重に選んでいたら、取り壊しに間に合わない。時間もないし、コロナにより昨今は内見もままならないのだ。

 だから決めた。
 もう、長く住むのは諦める。結果そうなるかもしれないけれどそれを考慮せず、ただただ欲望のままに家を決めよう。
 ものすごく浅はかに、なんとなく、一瞬の気分やノリで、住む場所を決めてしまおう。

 わたしの欲望。 
 海だ。
 次は海が見える家だ。

 わたしは海のない県に生まれ育った。からっ風の吹く乾いた平野だった。その後はずっと東京住まいだから、海の見える場所に住んだことが一度もない。今まで一度もないことこそ、軽い気分でしてしまうのがいい。嫌だったら、またすぐに越せばいいだけだ。

 家探しをすすめる指針を見つけ、少しだけほっとする。引っ越しは航海に似ているな、などとどうでもいいことを考えた。
 突然ふと、同棲していた恋人と別れ、急いで家を探さなければならくなったときのことを思い出した。

 あのときも、なかなか引っ越しができなかった。少しずつ彼の荷物が運び出されていって、部屋が少しずつ広くなっていった。あの部屋の窓からはとてもとても広い空が見えた。
 次の部屋から見える窓の外の景色も、綺麗だといいなと思う。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

好きな人の前で化粧を手抜きする女友達。日本女性の気を惹くためにヒビ割れた眼鏡をかける外国人。結婚したいと思わせるほど絶妙な温度でお風呂を入れるバンドマン。切実に恋を生きる人々の可愛くもおかしなドラマ。恋さえあれば生きていけるなんて幻想は、とっくに失くしたけれど、やっぱり恋に翻弄されたい30代独身恋愛小説家のエッセイ集第3弾。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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