
先日、アルバイトのNさんが店を辞めた。四年間働いてくれたので、まあ長い時間といってよいだろう。もちろん、いつかはこの店を出ていく人だとわかってはいたが、長いあいだ一緒にいるうちには、何かしら情というのも湧いてくる。彼女から仕事を続けられなくなりましたと聞かされた時、ついにこの日がきたかと、体じゅうを冷たい風が吹き抜けた。
思えばアルバイトの人には恵まれていて、これまでは特に募集をしなくても、必要な時に自分から声をかけてくれる人が必ずいた。店の開店時、これは夫婦二人以外にも手伝ってくれる人が必要じゃない? と思っていたら、以前別の仕事で知り合っていた学生のMくんから連絡があり、彼が週に一度か二度、店でアルバイトをすることになった。カフェで出すお菓子をどうしようか考えていたときは、ケータリングやフードコーディネイトの仕事をしていた女性から手紙が届き、彼女がお菓子をつくりにきてくれることになった(なんて都合のよい話!)。
彼らはいま東京や奥会津で、それぞれ自分の仕事をしている。いまでは編集者となったMくんだが、就職活動中のある日わたしの横にしんみりと立ち、来週からしばらくのあいだ休ませてくれといってきた。自転車で東北まで北上するというのだが、よく聞いてみると自分探しとかではなく、進行中の面接で「なんか学生時代に面白い体験ないの? たとえば自転車で日本一周するとかさぁ」といわれたからなのだとか。
それって圧迫面接でしょ。そんな会社やめちまえとか夫婦二人でわあわあいったのだが、それでも彼は自転車で北へと向かい(「いま日光です!」などとたまに元気そうなメールが届いた)、いまではその会社で働いている。
NさんはMが就職で辞めたころ、やはり自分から連絡をしてきた。あまりうわついたところはなく、店に並べているような本に詳しいという訳でもなかったが、それは仕事をする上で大きな問題にはならなかった。彼女の働く姿を見ていたから、最近の若い人はなどと世代をひと括りにして考えることもなくなった。
本人がこの仕事をどう思っていたかはわからない。長いあいだ辞めずにいたので、そんなにいやではなかったのだろう。イベントのとき登壇者と話しながらも、お客さんといっしょに笑っている彼女の姿が視界に入ると、「楽しんでくれてよかった」となぜだかほっとしたものだ。
彼女はいつも仕事が終わるとさっと帰っていったが、最終日も風のように、いつのまにかいなくなってしまった。もう少しじっくりと話をすればよかったと思うが、そうなると何をいえばわからなくなるので、それでよかったということか。
今回のおすすめ本
『二重のまち/交代地のうた』瀬尾夏美 書肆侃侃房
「僕の暮らしているまちの下には、お父さんとお母さんが育ったまちがある」
津波で流されたまちは嵩上げされ建物も建ちはじめたが、それはわたしの知っているまちではない。喪失感とそこからの回復。ほんとうの「復興」とは何か、様々な表現を使って考えた。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。