作家の中川右介さんが、認知症になった91歳の母を引き取ってからの日々を綴った介護日記(幻冬舎plusで2023年12月までを公開)が、『時をかける老女 認知症の母を介護した1880日』(ビジネス社)として刊行されました。自宅で介護を始め、96歳で大往生されるまでの5年間。認知症の母親と一緒に住むということ、介護のこと、そして名言の数々を残したお母様のことについて、あらためてお話をうかがいました。

『時をかける老女』のその後
――――本になったカバーですが、装画がとても素敵ですね。実用的な介護日記というよりも、幻想的な世界が広がっていて、連載を拝読していた時の、どこか異空間とつながっているような感覚がよみがえりました。
中川 味戸ケイコさんという画家で絵本作家の方の作品です。この本のために描いてもらったのではなく、すでにある作品の中からデザイナーさんが選んでくれたものです。「時をかける」のイメージから選んでくれたのだと思います。似顔絵っぽいものより、ここまで全然違うほうがいいですね。

――――お母様は、昨年(2025年)12月に亡くなられたのですね。
中川 はい。96歳9か月の大往生でした。幻冬舎plusに連載した日記は2023年12月31日まででしたね。
あのあと、認知症もさることながら、足腰がだいぶ弱ってしまい、うちの中で何度も転倒して、そのたびに自力では立てなくなってしまいました。救急車を呼んだこともあります。
それもあって要介護3になり、特養(特別養護老人ホーム)に入れるようになったので申請し、施設に空きが出たので、2025年7月に入居しました。まさにその日にまた転んで腕を骨折してしまったのですが、それで、在宅での介護は終わりました。
入居したとき96歳でしたが、ケアマネジャーさんたちは「100歳まで生きます」と言っていました。そうしたら半年もたたない12月に亡くなりました。朝起こしに行ったら、心肺停止という状況だったそうで、おそらく眠っている間に、苦しまずに逝ったと思います。
――――今回出された本では、そうした最期までのお話と、さらにはまた別の運命的な事件までが書かれています。
中川 もともと幻冬舎plusの連載を読んでくれていた、同世代の編集者(男性)が、「本にしましょう」と会社を説得してくれて、書籍化が実現しました。彼もお母さんを亡くされたばかりで、何かそういう縁もあったのかもしれません。
「母と娘」とは違うかもしれない、「母と息子」の関係
――――『時をかける老女』は淡々とした日常の中で、たとえば事件があっても、それがほっこりするものだったり、微笑ましく思えるもので、拝読していて楽しかったです。「母と息子の“いい関係“」が出ているようにも思えました。これが「母と娘」になると、どうなるんだろう、勝手に自身の(母と娘の)関係の延長線上で考えて、壮絶になりそう、と恐れ慄いたりもしました。
中川 確かに「壮絶」なことはなかったなぁ……。
全部で5年分あって、書いた日記を全部載せたら500ページをこえるのは間違いなかったので、だいぶカットしています。
まず、連載ではリアルタイムだったので載せていた「今日は何もなし」という日は全部カット。一方で、「母が亡くなった現在」の視点で加筆した部分もあって、それはフォントを変えて、後で書いたものと分かるようにしました。
だから、事件としては削ったことはないと思う。むしろ、事件中心に残しました。事件といっても、ささいなものですが。「読みもの」としての面白さを優先させ、事件と、面白い発言、会話を中心にまとめなおした感じです。
――――この本は、認知症になったお母さまの「名言集」の側面もあるように思います。哲学的なやりとりが日々なされているといいますか……。
たとえば、戦時中、女学生だった時に、学徒動員で工場で飛行機を作っていたという思い出話の中で、「あの飛行機、本当に飛んだのかしら」とつぶやかれています。衝撃の発言に、当時のあらゆる状況がギュッと凝縮されているなと思ったり。
ご自身のアルバムを見ながら、たくさん行った海外旅行を一つも覚えていないことを嘆きつつ、「これから行くつもりだったけど、もう行っていたのね」「行ってないのはあの世だけね」とおっしゃったり。
中川 哲学的な人だなんて思ったことないけど、他人からみると、そうなのかもしれませんね。
人間の記憶の不思議さ
中川 この本を自分で読み返してみたとき、人間の記憶って不思議だなあと、あらためて思いました。
自慢するわけではありませんが、何を覚えているけど、何は忘れてしまうかという記録を克明に書いたので、認知症の研究の役にも立つのではないかなとも思っています。
専門医や介護に従事している人たちは、当然ながら、その人が認知症になってからのことしか分かりません。でも家族は、元気でしっかりしている時のことが分かっているから、それとの対比で、どの部分の記憶が欠落したかが分かります。
母の場合、完全に欠落したのが、平成の30年間。60歳になったあたりからのことは、ほぼ何も覚えていなかった。10年以上、僕がやっていた会社に毎日来て、働いてくれていたのですが、何ひとつ覚えていません。
平成になってから家族となった、僕の妻や弟の妻とその子、母にとっての孫のことも、分からない。会っても、誰だか分からない。それでいて、菅直人さんやその奥さんのことは会うとよく覚えている。昭和の時代から知っていますからね。
50年以上暮らしていた東京のひばりが丘のことは、引っ越して数日で、その地名すら忘れたけど、子ども時代に暮らしていた静岡のことは亡くなる直前まで、覚えていました。
介護日記を公開することの意味
――――日記を公の場で書いていてよかったこと、効用みたいなものはありましたか。連載が始まった当初、“いわゆる悲惨な介護殺人の当事者にご自身がならないよう、その予防として公開したい“といったことも書かれていました。
中川 日記でも、公開を前提として書くのと、他人に見せる気はない自分の記録として書くのは、違いますね。昔は「公開日記」なんて大作家とか有名人しか書かせてもらえなかったけど、いまはSNSやブログがあるので、誰でも公開日記が書け、読んでもらえます。
いろいろ問題もあるSNSだけど、読者がいる前提で、誰もが日記を書けるようになったのはいいことだと思うので、介護だけでなく、育児や闘病、看護も、どんどん書いたらいいと思います。
記録として残せること以外の日記の利点は、その日の出来事や自分の感情を整理できること、一日ごとに客観的に俯瞰できることです。感情的に高ぶったり落ち込んでいても、書くことで、少し冷静になれる。
認知症の親がいることに恥ずかしいという思いもあるでしょう。隠したい人もいると思う。親が衰えてしまったことを、他人に知らせてしまうのがいいことなのか、という葛藤はあるかもしれません。
でも、親の介護をしていることをいったん公にすると、たとえば「ミーティングは16時からでどうでしょう」ときかれたとき、「母がデイサービスから帰ってくるのが16時半なので、もっと早い時間、15時はどうですか」と堂々と言え、先方も「子どもの保育園のお迎えみたいなものですね」と理解してくれ、スムーズにことが運びます。
認知症の症状は人それぞれですが、共通する部分もかなりあって、読んでくれた人から、「うちもそうだ」と返事が来ることもよくありました。そうなると、なかには会ったこともないSNSの中だけの知り合いでも、同志だって思えます。みんな大変だけどがんばっている、こっちもがんばろうとなってくる。
さっき「名言集」と言ってくれましたが、母がいろいろ言うと、それが、トンチンカンなことであればあるほど、腹も立つんだけど、「お、これは今日の日記に書いてやろう」となって、「いいネタができた」とポジティブに受け取れるようになった。
一生懸命、食事をつくって出して、食べ終わって、「おいしかった?」ときけば、「おいしかった」とは言うんだけど、「何がおいしかった?」ときくと、たったいま食べたものも思い出せない。それは腹が立つというか、がっかりする。
だけど、母は「おいしいものがおいしかった」とか、食品名以外の答えを一生懸命、考えて返してくる。そのやりとりを書いてやろうと思うと、「今日はどう言うかな」と楽しくなってきましたしね。
迷子になったり、骨折して入院したりという事件も、大変だったけど、いいネタができたと思うようになりました。日記を書くという点では、おかしなことがあるほうがいい。
――――たしかに、毎日、縁側で穏やかにお茶を飲みました、では、読むほうとしてはやや物足りなさを感じてしまうかもしれませんね。
男は愚痴を言わずに、殺人事件に向かう
中川 介護殺人防止というのは、半ば冗談ではあるけど、いろいろな鬱憤、不満、不安を溜め込むのはよくないです。愚痴を言える関係の親しい人に言うのもいいけど、その人だって愚痴なんか本当は聞きたくないだろうし、相談されても答えようがないこともある。
そういうこともSNSに書けば、発散できます。あとSNSのいいところは、1対1ではないから、それを読んだ人は、別に返事をしなくてもいい。こっちも、何か返ってくれば嬉しいけど、何もなくても、それは構わない。
ストレスのたまり場として公開日記を利用していいと思います。翌日、読み返して恥ずかしかったら削除すればいいですし。
――――確かに女性は、友だちとお茶飲みながら、その日々の愚痴とかいろいろなことをおしゃべりできますが、男性はあまりそういう日常風景がないですね。そうなると、本当に自分ひとりで背負ってしまう。何かしら外とのつながりがあったほうがいいですね。
中川 介護殺人って、ほとんど男性でしょう。夫が妻を殺す、息子が親を殺すのが大半な気がします。いま言われたように、女性は「おしゃべりする」機会があるけど、男は、それが少ないかもしれない。だから男は愚痴を言う機会も相手もなく、一気に殺人事件に向かう。その防止にSNSに書けばいいんです。
無限ループにどう耐えるか
――――中川さんとお母様の会話の中に、同じ質問とやりとりが無限に続く場面が出てきます。
「私、ここへ来て2年はたったわよね」「二ヶ月目だよ」
「その前はどこにいたの」「ひばりが丘」
「そんなところ、知らない」と、いつもの失われた時を求める会話に。これが疲れる。
本人も疲れ「何がなんだか分からないから、寝るわ」
同じ話を無限ループさせられると、やはり相手をするのは大変じゃないですか。そこをイライラしないコツはあるのでしょうか。
中川 それは、「これはもう演劇だ」と思うこと。「ああ、またお芝居が始まった」って。延々と繰り返すこともあるけど、あるシチュエーションになると、何か月も前とまったく同じことを言うのも、面白いです。
たとえば、認知症のクリニックに通っていたけど、行く途中は「そんなところ行ったことはない」と言う。それから認知症の病院だと説明すると、「あなたは、私がバカになっていたのを知っていて、連れていってくれるのね」と言うでしょう。それで、「もう何年も通っているよ」と言うと、必ず、「そんなに通っているのに良くならないんだから、行っても無駄なんじゃないの」と言う。
書かれたセリフがあるみたいに、まったく同じことを言う。イライラする以上に、面白いです。これは僕が演劇好きだからかもしれないけど。
――――いろいろな発言が、それぞれ理にかなっていて、メチャクチャなわけではないんですよね。
中川 根本的なところ、大前提の認識は間違っていても、そのあとの思考経路は正しい。それも発見でしたね。
――――お母さまがおかしなことを言っても、基本的に中川さんはそれを“正そう“とはしていないように思います。それは心がけてそうなったのですか。
中川 認知症になる前のほうが大変でした。とにかく“神様を信じている人“だったんですよ。僕は「神はいない」と思っているから、親子で神はいるかいないかの論争になり、お互いに譲らないから結論も出ないし、これはしんどかった。
あと、“聖霊様“が下りてきて会話をする、聖霊リーディングができる人で、これも大変だった。神様から「10億円もらえるから老後は安心です」と言われて、信じてしまう。こっちは詐欺にひっかかったんじゃないかと心配するんだけど、神様と聖霊様を信じているから、話にならない。それで、この人とは話しても無駄だとなって、一時期、疎遠になったこともあります。
――――10億円の話は、読んでいて、どんな結末なのか、ちょっとドキドキしました。意外なオチでしたね。あと確かに、“信仰が違う人“を説得するのは大変です。
中川 その“信仰“が、認知症になると、ある段階でなくなってしまった。それを含めて、自分の考えを主張しなくなったので、その意味では、認知症になってからのほうがいろいろ楽でした。
――――なるほど。とはいえ、認知症になられても、“聖霊様“との会話は続いていたようですね。
中川 聖霊様は続きましたね。よくブツブツ何かを言っていた。でも最後の1年くらいは、とっくに亡くなった叔母(母の妹)から電話があったとか言い出しました。夜中に「これから誰か来るから、出迎える」と外に行こうとしたり。
ただ、いま思うと、これは聖霊様ではなく、認知症の症状としての幻聴や幻視だったのかもしれません。
介護にはレスパイト(休憩)が必要
――――介護を経験されて、今思うことと言いますか、本を通して伝えたいことというのは何でしょうか。
中川 いま介護をしている人に言いたいのは、どんどんサボれ、ということです。
介護サービスには、朝から夕方まで預かってくれる「デイサービス」と、13時から翌日の12時までの1泊2食を単位とした「ショートステイ」というのがあります。ショートステイは何日でも続けることができます。
5泊6日とか、極端に言えば、25泊26日でもいい。保険の点数のような関係で無制限ではないですが、そうやって、親を預けることができます。
これが育児とは違う点で、保育園は泊まりでは預けられないから、どうしても帰れない日は子どもをおじいちゃんおばあちゃんに預ける、などとしているわけでしょう。
けれども介護の場合、ショートステイができます。これは、介護されている親のためのものでもあるけど、介護している子どものためのものと考えていいんです。
毎月、ケアマネジャーさんは介護の計画書を作ってくれますが、そのなかに介護をしている人の「レスパイト」を確保するというのが、推奨されている。レスパイトは「休憩、息抜き」という意味です。月に何日かは介護をするのを休みなさいと、なっています。
僕は勝手にそれを「介護休暇」と呼んでいたけど、正式な介護用語では「レスパイト」。これが大事です。最初は仕事が忙しいとか、出張のためにしか預けられないのかなと思ったけど、そうじゃないんです。ショートステイの申し込みに、理由はいりません。
だから、歌舞伎を見に行くとか、甲子園まで阪神の試合を見に行くためにも、母を預けていました。で、そのことも日記に書きました。ショートステイに預けて、甲子園へ行ったとか。もしかしたら、あいつは親を預けて遊んでばかりいると思われたかもしれないけど。
でも、そうやっていたから、介護殺人にならなかったと思います。なんで俺はボケた母のために自分の楽しみを犠牲にしなければならないのか、と思うことはなかったから。母も、別に嫌がることなく、行ってくれましたし。
最初は、「なんで、そんなところに行くの」と言っていたけど、「大阪へ出張する」とか言えば、それ以上はきかなかった。連れて行くときも、うちを出る時は、「そんなところ、行ったことがない」と言うけど、着くと、「前に来たことがある」と言って、嫌がらずに入りました。
ケアマネジャーさんが言うには、認知症になって、色々分からなくなるけど、嫌なことは嫌で、そういう拒絶反応は出るそうなんです。好きなこと、やりたいことは言えなくても、してほしくないことは、態度に出る。だから着いて、「ここは来たことある」と言って、とくに嫌がらなければ、嫌な思いをしていないと解釈していいらしい。
――――お母さまが嫌がったことは、なかったようですね。
中川 ナンノだけ。南野陽子がテレビに映ると、不機嫌になる。
――――そういえば、南野陽子に息子を取られるんじゃないか、と警戒心を抱いていたとか(笑)。「この子はやめなさい」と助言されているのがおかしかったです。
中川 ナンノを見て、息子が好きなタイプの女の子だと察知したのか、自分が子どもの頃に仲の悪い子に似ていたのか、よく分かりません。松田聖子や中森明菜には、何の反応もしなかったけど、南野陽子だけは不機嫌になりました。
認知症とお金の問題
――――最後に、本当は親が認知症になる前に整理しておいたほうがいいのだろうなあと誰しも思う「お金」のことについて、少しお聞かせいただけますか。
中川 要支援になってから、あちこちに口座があったのを、本人と銀行に行って解約して、一本化しました。
ひとりで暮らしていた時は、通帳もカードも実印も僕が管理して、母には毎月、現金で3万円を渡していました。普段の買い物は西友でカードで買っていて、その明細もチェックしていました。
その前は、介護サービスのひとつに、安心なんとかサービスというのがあって、月に1回、銀行の通帳を見て、おかしな動きがないかチェックしてくれていました。ただ、リアルタイムで見るわけではありませんから、出金された後で分かってもどうしようもない部分もあるんです。危ない事件はなかったようです。
大きな詐欺にはひっかかっていないとしても、実はテレビ通販で買ったらしいものが、未開封の状態でいろいろありました。いくら無駄遣いをしたのか、そのあたりは分かりません。ヘルパーさんが気づいて、ナントカドリンクがどんどん届いています、という報告があって、それを止めたことはあります。
――――なるほど。認知症になってからでも対応策はゼロではないのですね。本にはなかった話も含めて、今回はありがとうございました。

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※連載は終了しましたが、著者への感想、コメントはしばらくの期間、こちらのフォームで受け付けています(非公開)。これまでも様々なご感想をお寄せいただき、誠にありがとうございました。
時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。











