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時をかける老女

2021.09.28 更新 ツイート

#13

信仰は認知症には勝てなかったようだ 中川右介

2020年秋、中川右介は91歳の母を引き取り、介護生活をスタートさせた。いまの彼女の関心事は「今日が何曜日か」だけだ。「何月」で「何日」か、はどうでもいいらしい。クリスマスが近づいていた。それなりに熱心なキリスト者だった母はいま、それを話題にもしない。

(写真:iStock.com/losiks)
 

12月22日 火曜日

<介護57日>

ここへ来た当初は朝6時には起きていたのに、最近は7時になっても起きて来ない。

そのため、朝は慌ただしい。それでも、デイサービスのお迎えまでには準備完了。

ひばりヶ丘で入っていた家財保険の更新の通知が転送されてきた。更新せず解約。だがどこに連絡していいか、届いた書類に電話番号の記載がない。ようやく見つけてかけるが、そこではなく、担当者から連絡させる、とのこと。4時過ぎにかかってきて、解決。

届いたクレジットカードの明細は、最後の月の公共料金のみ。来月からは支払いはもうないと思うが、住所変更の手続き。

転送されてくる郵便物も少なくなった。

そう言えば、母宛には、喪中ハガキは一枚も来なかった。91とはそういう歳なのだろう。

4時半にデイサービスから戻る。「あー、我が家は落ち着くわ」

ホッとした様子。牛乳がなくなっていたので、「コンビニで買ってきて」と頼む。

他には買わないで、と言ったにもかかわらず、例によって、助六寿司とか菓子パンとか、いろいろ買ってくる。用意していた夕食はどうしてくれるのか。

(写真:iStock.com/Olga Ubirailo)

「そんなにお腹が空いているの?」「そうじゃないけど、見たら欲しくなった」

結局、具だくさんのお吸い物もあったので、助六寿司も、全部は食べられない。パンはまったく手を付けない。「明日、食べる」と言うが、覚えてはいまい。

話しているうちに、ここにいる前はどこにいたのか、思い出そうとする。60数年前の静岡と、荻窪の間が、今日も埋まらない。埋まらないのは、不安だから「怖くなってきた。馬鹿になった」と言い出す。「じゃあ、もう寝たら」「そうする」

デイサービスで入浴済みなので(記憶してないが)、着替えて就寝。

12月23日 水曜日

<介護58日>

起きてすぐ、何曜日か確認。デイサービスがない日と確認。これを何度も繰り返す。

朝食の、昨日の菓子パンを見せると、「これはお菓子でしょう」と不服そう。

しっかりしている。普通のご飯にする。

「仕事で忙しい」と宣言すると、おとなしく部屋に。しかし10分ほどでまたやって来る。

外へ行きたいとは言わない。今日はアルバムを見ていた。過去への旅。そこにいるのが自分だとは分かるが、どこで、誰と写っているのか分からない。しかし、そんなに気にしていない。

昼食では、「昨日、どこかに行ったわよね」

弟の家に行ったのを断片的に思い出す。テーブルにある「石原プロモーション」の本を見て、渡哲也を、「だれ、これ」。渡は彼女の失われた60年の間にデビューしているから、分からない。

石原裕次郎は「こういう人、いたわね」覚えているが、関心はない。

(写真:iStock.com/mihominoru)

もともと、うちは父も母もハリウッド映画とフランス映画は好きだったが、日本映画はあまり見ていない人だった。裕次郎より、アラン・ドロン。

午後も部屋でアルバムを見ていたらしい。

夕方、大きな荷物が届く。自分宛のだと分かり、「なあに、これ」と興味津々。ちょうどいいのであけてもらう。区からの介護用品だったので、がっかりしていた。食べ物でも期待していたのか。

「区がくれたから、どんどん使おう」と説明。

何事もない、水曜日。

12月24日 木曜日

<介護59日>

ミッションスクールを卒業したこともあって、母はキリスト者で、教会にもよく行っており、聖歌隊で歌ったり、新任の牧師を追い出す運動をしたり、いろいろやっていた。

いまの彼女の関心事は今日が何曜日かだけで、何月で何日かはどうでもいいらしい。クリスマスも正月も、話題にしない。

信仰は認知症には勝てなかったようだ。

何度も棄教を求めたが、「あなたたちの世話にはならない、私には神さまがいる」と言い張り、親子不和が極限にまで達したこともあった。その家庭内宗教戦争は忘却によって決着がついた。

(写真:iStock.com/gldcreations)

父が骨折して入院したと、父の後妻から連絡。コロナのおかげで、見舞いに行っても面会できないそう。電話で、様子を聞く。元気がなかった。

 

夕食は、キリストの誕生を祝う気はないが、商業主義に従い、チキンとケーキ。

テレビは安倍晋三前首相の記者会見。「前首相」とテロップが出るので、「安倍さんはいつ辞めたの。見るの久しぶりね」「夏」「なんで辞めたの。どんな悪いことをしたの」「たくさんありすぎて、説明できない」「いまの首相は誰なの」「スガ」「誰、それ」

タブレットで菅義偉首相を見せる。「この人、ダメよ」よく分かっている。

ニュースでのクリスマス風景にも特に反応はない。ケーキを出しても、クリスマスだからケーキとは分かるが、祈るわけでもない。

こんなにも信仰が脆いとは。本気で信じていたわけではなかったのかと疑ってしまう。それとも、子どもに面倒をみてもらうため、神を忘れたふりをしているのか。

12月25日 金曜日

<介護60日>

25日になっても、クリスマスの話題なし。

日曜日に行った弟の家のことが、今になって断片的に思い出され、混乱しだした。刺激を与えない方がいいのか。

なぜ、弟は離れた所にいるのか。なぜ親子三人(母、私、弟)で暮らさないのかと、何度も聞く。

「あなただって、お兄さんやお姉さんとは、大人になってからは別々に暮らしているでしょう」と言うが、その社会常識が理解できない。

物忘れはひどいが論理的思考はできていると思ったが、それも怪しい。

「あなたは知ってたの?」「何を」「わたしがおかしくなってきたこと」「知ってたよ」「それならいいわ」いいならいいだろう。

おかしいな、と思ったのは5年前。それまでは毎年、私の誕生日には必ず朝、電話をかけてきた。

それが5年前から、かけてこなくなった。すでにその前からケアマネさんが付いていて、メモリークリニックにも通っていたのだが、なにか一線を越えた気はしたのだ。

しかし、その後も、ときどき訳の分からない電話をかけてくるようになる。

「もうすぐ10億円が入る」と言い出した時は、詐欺に引っ掛かったのではと心配した。弟夫婦も一緒に追求したら、「神さまが宝くじを買ったら10億円当たると言ってくれたので、買った」と白状。

年末ジャンボを何百枚も買ったのではと思ったが10枚だった。一応、スマホで撮って番号を控え、大晦日に調べたが当たるはずはない。正月に「当たらなかったじゃないか」と言うと、「神さまから、絶対他人には教えてはいけないと言われていたのに、あなたたちに教えてしまったので当たらなかった」と、もっともらしいことを言っていた。

これは認知症というより、信仰が産む妄想ではあった。

次は、「神さまがマンションを用意してくれた」と言いだし、引っ越しの荷造りを始めた。ケアマネさんが心配して電話をかけてきた。

(写真:iStock.com/Jylia Murtazina)

そのマンションの場所が具体的なので、ケアマネさんは信用したらしい。吉祥寺にあるという、そのマンションへ一緒に行った。たしかに彼女の言う場所に、それらしき物件がある。

だが、彼女のために用意されたはずの部屋には住んでいる人がいた。空き室だったら、面倒なことになったのだが、住民がいてよかった。

不動産広告を見て、ここに住みたいと思ったことがあり、その願望が、妄想を生んだのか。

引っ越せないと諦めたかと思ったら、数日後、武蔵野市役所へ行き、「私が住めるはずの所に誰か住んでいる」と相談するという大騒ぎもあった。

しかしこれで神さまを疑いだし、そのうち何も言わなくなったのが、2年前。キリスト教という邪教がもたらす悲喜劇。

12月26日土曜日

<介護60日>

デイサービスへ行っている間に、有楽町へ行き、加藤登紀子さんのコンサート。

3時半開演。厳重な感染対策をして、休憩なし90分の凝縮版。今年最後のコンサート。

同行の2人と、計3人で食事して9時半に帰宅。

母は寝ている。

*   *   *

※毎月13日、28日更新

※著者への感想、コメントはフォームで受け付けています(非公開)。編集部がお名前を伏せた上で「読者の声」として一部抜粋し、公開させていただく場合がございます。

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時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。

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中川右介

1960年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部文芸科卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長。映画、歌舞伎、クラシック音楽、歌謡曲、漫画についての本を多数執筆。最新刊に『アニメ大国建国紀1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち』(イースト・プレス)。その他の主な著書に、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)等。

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