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時をかける老女

2021.09.13 更新 ツイート

#12

「あなたは私の孫なの?子どもなの?」が再び 中川右介

2020年秋、中川右介は91歳の母を引き取り、介護生活をスタートさせた。母の記憶はせわしない。何を覚え、何を忘れるのか、その法則はあるのか、介護のストレスを抱えながらも興味はつきない。

(写真:iStock.com/fona2)
 

12月15日 火曜日

<介護50日>

朝、7時を過ぎても起きて来ない。何を着ていいのか、迷っていた。

デイサービスから戻ったときは、いつもと同じ。入浴したはずだが、覚えてない。

食事の時は、「あなたは私の孫なの? 子どもなの?」が、始まった。今日は不安定なようだ。

部屋に、ひばりヶ丘でのデイサービスのスタッフが作ってくれた、写真に寄せ書きしたものがある。それを持って来て、「これは、どこでもらったの?」「ひばりヶ丘のデイサービス」「ひばりヶ丘って、どこ」2か月前まで暮らしていたところが分からない。

「わたしは東京に来たばかりでしょう」と言う。「60年以上、東京にいる」と言っても、信じない。しかし、自分が91歳というのは分かっている。「なにがなんだか分からないから寝る」と言って、6時半就寝。

12月16日 水曜日

<介護51日>

いまや「魔の水曜日」、朝から何度も、「今日は行かなくていい日ね」と確認する。

そんなにいやなのだろうか。

9時過ぎ、仕事を始めていると、例によって、地図を持ってやって来て、「何がなんだか分からないから、確かめに行きたい」と言う。

いつも行くデイサービスの施設へ行ってみたい。徒歩で10分ほど。送迎のクルマはいろいろな人を乗せて下ろすので、最短距離ではない。日によって、20分から40分もクルマに乗る。

そのため、距離と方向がまったく分からず、それが気になって仕方がないのだ。

「分からない」のが怖くて、確かめたい。正常だ。ぼけていない。

「いいよ」と寒くないようにコートを着させて送り出すと、10分ほどで戻ってきた。

「途中で分からなくなった」

地図を一緒に見て、現在地と目的地、道順を確認する。

「これで行ける」と喜んで出かけ、2時間が過ぎる。なるようにしかならないので、仕事をしていた。11時半、外へ出てみると、20メートル先を歩いていて、私を見つけて手を振る。

無事に帰ったのだが、かなり遠くまで行って、迷ったらしい。見ると、コピー用紙にカラープリントした地図を数枚持っている。

「誰にもらったの」「あっちの人」「あっちって、デイサービスの人?」

「全然違う方に行ってしまい、五日市街道だって言われた。もう何がなんだか分からなくて、いろいろな人に聞いたらバスに乗れと言われ、それで乗って、見たことのあるところで下りた」と整理すると、こんな感じである。

最寄りのバス停はうちの目の前なので、そのひとつか二つ前で下りたのだろうか。

地図は、どこかのコンビニの人が印刷してくれたらしい。迷っていること、誰かに聞くしかないこと、コンビニは親切だということは、分かっている。

そういえば、5年前だったか、ローソンの前で転び、それを見た店員が救急車を呼んでくれたことがあった。高齢者にやさしくしろというマニュアルがあるのかもしれない。どこのコンビニかは知らないけど、ありがとうございました。

「東京がこんなに広いなんて知らなかった。帰れたのは奇跡よ」

(写真:iStock.com/frimages)

「奇跡は二度起きないからね」

「もう、二度と行きません」

だいぶ懲りたよう。

しかし、また明日になれば、迷ったことも忘れているのではないか。

 

昼食後、疲れたと言って、パジャマに着替えて本格的に寝る。午後、私は打ち合わせで荻窪駅近くの喫茶店へ。編集者と会い、15時過ぎに戻ると、起きていた。

そして、例によって「パンを買ってきたい」「おなか、すいてるの? お昼、食べたでしょう」「そうだったかしら」

こういうのが介護殺人事件につながるのだろう。ひとがせっかく作っているのに、忘れる。

「自分が、いま食べたいものだけ買ってね。僕のはいらないから」

いったん、出かけたが、戻ってくる。「お金がなかった」と言うのだが、財布には、たしかにお札はないが、コインで1500円前後はある。

「これだけあれば大丈夫だよ」「なら、行ってくる」

今度は数量制限しなかったので、大中小、と買ってきた。

当然、食べきれず、半分残す。仕事中で忙しいことは察するらしく、そのあと、部屋へ。

寝てしまったようで、5時半に予約していた歯科医はキャンセル。

6時半に起きてくる。パンを食べたことは忘れている。午前中の冒険も覚えていない。

用意していた夕食はちゃんと食べて、入浴して7時半就寝。

12月17日 木曜日

とくに事件なし。

12月18日 金曜日 夜

<介護53日>

昨日は事件がなかったと書いたのがいけなかったのか。昼食中に、デイサービスから電話。

母が混乱していると言う。入浴後、腕時計がないと言い出し、さらにオーバーもないと言っている。

そうなのだ。私も迂闊であった。母は寝る時も含めて入浴時以外は腕時計をつけている。それが昨晩は、入浴前に外したまま、洗面所に置いたまま寝て、朝も洗顔した時に時計に気づかなかったのか、そのままだった。私はそれに気づいており、今日は時計はいいのかなと思ったが、本人に言わなかった。

オーバーも、いつも着ていたが、今朝はそんなに寒くないと本人が、着て行かないと決めた。

そういうわけで、いつもと異なる状態で出かけて、入浴後、時計がないと騒ぎ出し、多分、カバンを見て、そこにもないのでオーバーのポケットに入れたのでは(カギを入れて、それを忘れることがある)と、探そうとしたら、そのオーバーもない。

施設は高齢者が、「ない」と言い出すのに慣れているので、靴や外套は全て名札を付けて管理している。入浴時も着たものなどの管理は抜かりない。

だから、今日は腕時計はつけてなかった、オーバーは着てなかったと説明するが、本人としては納得しない。

(写真:iStock.com/kate_sun)

で、電話で、「息子さんから説明してくれ」と言う。電話で、「時計はうちにあるよ。オーバーもあるよ」と言うと安心した。

帰ってきた時は大騒ぎしたのは忘れ、時計を渡すと、「あら、どこにあったの」。

習慣を忘れてはいない。ただ、その日の朝は覚えてない。記憶の不思議のサンプルが貯まっていく。

12月19日 土曜日

<介護54日>

デイサービスから帰ると、興奮している。

送迎のクルマはその日によってコースが違う。今日は最短コースだったらしく、「学校(デイサービスのこと)はすぐ近くだったのよ」

今にも、これから歩いて行きそうだった。さて、明日、「行きたい」と言い出すか。

夕食時、「ドラえもん」を見ていたら、「ドラえもんは、どんなお話だったか、よく分からないのよ」ドラえもんとは分かる。

ニュースになり、「コロナって、どんな病気?」「肺炎になって死ぬ」「怖いわね」といつもの会話。

マスクをしなければならないのは分かっているが、それとニュースのコロナとが繋がらない。

12月20日 日曜日

<介護55日>

今日は弟の家に、母を預けることに。

普段、「Fはいまどこに住んでるの」「何をしているの」と言ってるのだが、「F の家に行くよ」と言うと、「Fってだあれ」「あなたの次男」「そんな子いたかしら」と冷たい。

他人からいきなり名前を言われると、分からなくなるらしい。

それでも出かけるのは嬉しいようで、準備をする。カバンの中を点検していると、折りたたんだ白い紙が出てきて、「これ、なあに」と言って広げると、「これなーに」という紙。ギャグだ。デイサービスで昨日やったクイズらしい。

こういうのをするので、「学校」と思うのだろう。

サイフを出し、小銭しかないので、「お金がなくなった」「パン屋に行ったからだよ」「そんなに買ったかしら」「買ったよ。今日はお金はいらないよ」

しかし不安そうなので、3000円を渡す。

荻窪駅までバス。突然、「あなたは、よく三鷹で待っていて病院に連れて行ってくれた人よね」

三鷹からバスでメモリークリニックへ行っていたので、バスに乗って思い出したのだろう。三鷹で会っていた人と今は一緒に暮らしているのに、それが一瞬、繋がらないのか。

荻窪駅に義妹(弟の妻)が迎えに来ていて、受け渡す。

その後は自由時間。吉祥寺へ出て、古書店、ジュンク堂などを流して、15時に荻窪駅で義妹から母を受けとる。ニコニコとしていたので楽しかったのかと思いきや、家に戻ると、「東京は怖い」と繰り返す。

「あんな、知らない人の家に行くのはもうたくさん。デイサービスは仕方がないから行くけど、もう二度と、どこにも行かない」と固い決意。

弟は仕事でいなかったので、義妹と姪だけで、姪もバイトで途中でいなくなった。

義妹を、息子の妻だと認識できない。その瞬間は分かるのだが、数分で分からなくなる。それは私の妻でも同じで、名前も覚えてないし、その場で忘れるので、いつも「あなた」と呼ぶ。

義妹は引っ越しの時も一緒にいたが、あの時も「親切なお手伝いさん」と思っていた。別にひどいことをされたわけではないが、本人としては見知らぬ他人と密室で何時間も過ごしたわけで、怖かった。

(写真:iStock.com/unformatted17)

「東京は知らない人ばかりで、怖い。あなた、よく住んでいられるわね」

疲れたらしく、寝る。

7時に起きてきて、夕食。ニュースを見て、いつものコロナの会話。入浴後、部屋で寝る準備をしていたが、リビングへ来て、いきなり

「私の貯金通帳はどこかしら」「預かってるよ。どうしたの」「化粧クリームがなくなりそうだから、買いたいの」「どこで売ってるの」「分からない」

いま使っているのを持ってきてもらい、タブレットでAmazonを開いて探す。

イオナというメーカーの、パーフェクトジェル オールインワン とかいうもの。ピッタリ同じものはなかったが、それでいいと言うので、1986円で買う。タブレットで買えることに疑問はないよう。自分でAmazonで買ったことはないはずだが。

安心して、就寝。

12月21日 月曜日

<介護56日>

朝起きて、いつもの儀式。「今日は何曜日だったかしら」

新聞を取りに行き、21日月曜日と確認。「昨日は日曜日だったから、どこにも行かなかったわよね」「F(弟)のところに行ったじゃない」「えっ。Fって誰」「あなたの次男」「あなたは違うの」「ぼくは長男、右介」「ああ、もうひとりいたわね。でも、昨日はどこにも行かなかったわよ」

「行ったよ」と弟の家で撮った写真を見せる。

「これ、わたし? いつからこんなお婆さんになったの」「さあ」

「昨日、ここへ行ったのね」少しずつ思い出しているようではあるが、義妹も姪も思い出せない。

「もう、最近どんどんバカになっていく」

昨日のことを忘れるのは予想通りであった。気を取り直して、テレビを見て、「コロナってなあに」の会話があって、食事も終わり、デイサービスへ。

ちゃんとお化粧をしていく。そのとき、鏡は見ないようだ。

夕方、帰宅。

昨日Amazonに注文した、なんとかジェルが届いていたので、渡す。

(写真:iStock.com/sabelskaya)

頼んだのは覚えている。「あら、もう来たの」

自分の意思での行動は、忘れないのだろうか。受け身だったり、気にいらないことは忘れるのか。

法則があるようでないのか。

夕食をとらせ、入浴させる。

「これから出かける」と言うと、「怖いから、私は寝てていい」と言うので、「寝ててください」

6時過ぎ、家を出て、銀座へ。

歌舞伎座7時15分からの玉三郎を見る。

帰宅したら、寝ていた。

*   *   *

※毎月13日、28日更新

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時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。

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中川右介

1960年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部文芸科卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長。映画、歌舞伎、クラシック音楽、歌謡曲、漫画についての本を多数執筆。最新刊に『アニメ大国建国紀1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち』(イースト・プレス)。その他の主な著書に、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)等。

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